■ Strawberry demanded that Death should help him.8

 薄く、口内が白く光り、目の前にいる彼に向けて吐き出された。
 身構えた彼の前に、胡桃色の髪を跳ねさせながら入り込む。
「“三天結盾”!!」
 ポケットについていたヘアピンから三つの光が飛び出し、逆三角形の光の壁を形成して、バケモノの攻撃を完全に拒絶した。使い手である彼女自身の力だ。彼女の思いが強ければ、その強度は比例して大きなものとなる。
「すまない、井上」
「うん、大丈夫。それより急ごう!」
 チャドは頷き、軽く力を抜く。腕を構え、
「“巨人の一撃(エル・ディレクト)”!」
 わざと威力を殺した、霊力の塊をバケモノ―――もとい従獣(ヘラミエンタ)へと放つ。腹の底に響くような声をあげ、従獣は二人の人間を威嚇した。
 足が動き出したのを見て、チャドと織姫も駆け出した。
 ここは住宅街であり、派手な戦闘をすることはできない。この先の、人気の無い川原にまで誘導するしかなかった。そちらからも、若干霊圧の衝突は感じられるが。
「………」
 ふいに、チャドが天を仰ぐ。
「茶渡くん…? どうかした?」
 織姫の問いかけに、彼は「いや」と首を振る。
「どうやら、朽木や阿散井のところにも出てるみたいだ。霊圧の衝突を感じる」
「…ほんとだ。大丈夫かな」
 追いかけてくる従獣を振り返りながら言う。
 限定霊印を押してきているだけでも、八十パーセントの霊圧を制限されるというのに、ルキアと恋次は意図して十パーセントほどの霊圧しか出していないようだ。尸魂界に発見されないためなのだろうが、いくらなんでも、九十パーセントの霊力を押さえ込んで勝てるような敵ではない。
 どこかから、子供の戯れる声がする。それに反応したか、従獣は足を止めた。
「椿鬼!」
 主の声に呼応して、ヘアピンから椿鬼が躍り出る。
 今は、挑発をする程度で良いのだ。使い手の心を感じ取り、椿鬼はバケモノの長い首元をかすめるだけに留めた。
「ギウ!」
 子供の声の方に顔を向けていたバケモノは、ゆっくりとこちらへ戻し、再び足を進めた。ひきつけながら逃げ回るにはなかなかの体力を消耗することになったが、それでも、住宅街の人々を護りながら戦うことを思えば、大したことはない。基本的に、戦闘においては、「自分の身は自分で護る」ことのできる者だけが、居合わせることを許されるのだ。
 走る先にようやく、川原が見えてきた。


 両脇に夏梨と遊子とをそれぞれ抱え、響転(ソニード)を駆使して逃げ回る。初めは自分ばかりを狙っているものだと思っていたが、どうやらこの怪物たちは、少女二人をも標的にしているようで、こうして連れて逃げることがある意味安全だった。
(バートンの奴……っ)
 以前、一護が妹らを助ける際に斃した従獣とは、別次元の類だった。たしかに、彼等がペットとして飼うバケモノにも、階級のようなものはある。単なる偵察級の、攻撃力も守備力も低いものから、死神の隊長格相手でも充分にやりあえるとされる、襲撃級のものまで様々だ。しかし、今回の彼等は明らかに、後者に限りなく近い層に属するタイプだった。
(俺を見つけるためだけじゃねーのかよ…!? 何だってこんな…)
 このレベルになると、かつてと比べ見違えるほどに戦闘力が上がっている破面の一護といえど、数日前のように太刀一つで斃すことは困難だ。
「お兄ちゃん! 前!!」
 遊子の声に我に返り、身をひねってかわした。
「一兄、おろして! 両手が塞がってちゃ、刀も抜けないだろ!?」
「そういうわけにもいかねぇだろ!!」
 そもそも、今回突然送り込まれた従獣は、彼等を追う三体だけではない。霊圧を探れば、容易に気付くことができた。ここ以外の場所で、三体のバケモノが出現している。
 まず、一体はルキア、恋次と交戦中のようだ。二人とも、尸魂界に下手に位置を知られるとまずいと盛んに零していたので、斬魄刀の始解もせず戦っているらしく、発生している霊圧は微弱だ。
 次に、一体。こちらは、どうやらチャドと織姫が相手をしているらしく、だがこちらもまた、ルキア達ほどではないものの、霊圧は微弱だ。やたらに動き回っているようで、定期的に霊圧の爆発が感じられることから、どこかに誘導しているようだ。
 そして最後の一体は、石田のところのようだ。彼は全力で戦っているようで、霊圧が膨張している。幸い、石田の霊圧が弱まっているということもなく、現在の戦況は五分五分といったところだろう。
(前なら、普通に斃せてたのにな…)
 と、横目で追走してくる従獣を睨み付ける。
 そう。一護は、自分の力量でこのバケモノたちを斃せることはわかっていた。たしかに一太刀でとはいかないだろうが、全力を出せば、赤子の手をひねるようなものだ。それも、三体同時に、息をつく暇も与えずに、肉の片鱗さえも残さずに、だ。
 ただ、彼には、この空座町を少しも破壊しないでそのことを成せる自信は、少しもなかった。そんなことをすれば、町は文字通り、灰と化すに違いなかった。
 刹那、フッと影が覆いかぶさってくる。
 次いで聞こえる、キュウン、という、音。
 一護は目を見開き、慌てて遊子と夏梨から手を離す。
「きゃあっ!!?」
「うわっ!?」
 突然支えがなくなって、思わず狼狽した声を上げたものの、一護はちゃんと低い位置で手をはなしてくれたらしく、そこまでの落下をしたわけではなかった。しかも、ご丁寧なことに、わざわざ茂みの中であり、彼自身は一瞬にしてバケモノの目の前に移動していた。
 一護の頭上には、三体の従獣。その口には、赤黒い光が集まり、蓄積されていた。放たれるまでにもう時間はない。
(――――どうする…!?)
 頭をフル回転させる。こちらが虚閃を放ったところで、三体分にはさすがに勝ち目はない。せめてと思い斬魄刀を抜くが、いつもの斬撃ではしのぎきれるわけがない。本気を出さない限り、彼に勝ち目はない。
(どうする? どうする!?)
 本気を出せばいいじゃないか、と、声がする。紛れもない、自分の声だった。
(どうする?)
 空座町なんかどうなったって、いいじゃないか。
 自分が助かれば、いいじゃないか。
(……どうする…っ!!?)
 人間や死神がどうなろうと、いいじゃないか。
 赤黒い光が、これでもかというほど増幅する。
 ――――お前は、破面なんだから。
「一兄!!!」
「お兄ちゃん!!!」
(どうすりゃいいんだ……っ!!!)
 護りたい、だけなのに―――――!!

 ――――名を知るのと知らぬのとでは…その発する力は、自ずと大きく違ってくる

「……!?」
 斬魄刀を、見下ろす。
 よく見慣れた、しかし名前も知らない、今の自らの斬魄刀が、かすかに熱をもっている。

 ――――よく憶えておけ、一護。その斬撃の名は―――

 赤黒い光が、放たれる。
「一兄ぃぃ――――――ッ!!!!!!!!」
「お兄ちゃあぁぁぁあんッ!!!!!!!!」
 茂みから絶叫する、妹。
 顔を上げた一護は、勢いよく、刀を、
「      」
 ――――振るった。


 一瞬で移動し、従獣の真上をとる。瞬歩でも響転でもなく、“飛廉脚”と呼ばれる滅却師(クインシー)特有の移動方だ。
「シッ!」
 短く息をついて、携えている大霊弓・“銀嶺弧雀”から1800の矢を連射する。しかし、長い首を覆う、鎧のような皮は、そう容易く穴を空けてはくれなかった。
「ギュア!」
 長い尾を器用に回し、前のめりになって、上をとっていた石田へと振るう。
「“魂を切り裂くもの(ゼーレシュナイダー)”っ……!」
 銀嶺弧雀を構えたまま、片手で腰にささっていた銀の棒を引き抜く。と同時に、霊子によって刃が形成され、彼はバトントワラーよろしく“魂を切り裂くもの”を回転させた。これは、滅却師のもつ武器で唯一、刃があるものだ。以前、石田が自身の病院の倉庫から、無断で拝借したものである(虚圏で用いた際には、ペッシェ・ガディーシェに「泥棒」と詰られたが、本人は素知らぬ顔で使い続けている)。
 高速回転する刃と巨大な尾がぶつかり合い、互いがはじかれる。その衝撃を利用して、石田は少し離れたところに着地した。
(何なんだ、コイツは…!? その辺にいるような虚とは全然違う…)
 “魂を切り裂くもの”を銀嶺弧雀に添え、従獣の正面へと回り込む。紅い目玉をぎょろつかせるバケモノに向け、構えた。
(ひょっとして……こいつが…)

『さっき、朽木達にも説明したんだけど、この従獣ってのが、俺達破面のペットなんだ』

(…従獣……!?)
「ギッ…ウヴ……」
 そのとき、突然、バケモノの霊圧が、歪む。
「…!?」
 石田が眉を顰め、何事かと構えを解き―――
 ―――バサッ!!!
「ギゥガアァァァアアア!!!!!!」
 爆発的な霊圧の上昇と共に、従獣の背中から、古代の翼竜を想像させる羽が現れた。
「なっ……」
 巨大なそれがはためくと、石田の身体が一瞬だが浮き上がる。思わずあわてて踏ん張ったが、その行動のために、次なることに対処するための思考が遅れた。
 従獣の巨体が半回転したかと思えば、尾がスイングするような具合で迫ってきたのだ。しかも、先ほどよりずっと勢いは大きい。とっさに銀嶺弧雀で自身の身体を庇ったが、盾の代わりをするにはあまりに、お粗末だった。巨大な質量に軽々と殴り飛ばされた石田は、すぐそこの川に飛び込むこととなった。
 すぐに水面に顔を出したが、
「がはっ! げほっ、げほっ!」
 肺に入り込んだ水を外へ出そうと、咳を繰り返す。荒い息にまじえ、自分の失態を毒づく。
「くそっ……!」
 顔を上げ、目を見開く。バケモノの口中が、白く光っていたのだ。
 あわてて対処しようにも、いるのは水の中で、しかも川だ。流れに抗うことで精一杯で、とてもではないが間に合いそうにない。
 大きく開かれた口から、白い閃光が放たれる。
「…くっ…!」
 かなりの攻撃を受けることを想定して、目を瞑った。
 ―――バチバチバチバチィ…!!
「……!?」
 激しい音にも関わらず、痛みがこない。不審げに目を開けると、自分と従獣の間にあったのは、逆三角形の壁だった。続いて、地を走るようにしてきた霊圧の衝撃波が、翼をもつバケモノを打ち飛ばす。
「これは…!」
「石田!」
「石田くん!!」
 目を向けると、住宅街の方から織姫とチャドが走ってきているところだった。
「茶渡くん! 井上さん!」
 水をかきながら、岸に急ぐ。
「すまない、助かっ……」
 そのとき、石田の視界に入ったものは、走る二人の後ろから現れた巨大な影。それは、どこからどう見ても、従獣以外の何者でもなかった。
(ふ…増えた―――――――――っっ!!!!!!???)
 心の中で絶叫する石田である。
 助けてくれたことに礼を述べようとしたが、この二人は、一匹でもかなりの強さを誇るというのにも関わらず、もう一匹連れてきたのだ。
 走り寄ってきた二人。織姫が手を伸ばしてくれたので、それにつかまりはするものの、尋ねずにはいられない。
「あ、あれ!? その後ろにいるのって、敵だよね? そうだよね!?」
「うん!」
「そうだが…」
 どうにか、川原にあがる。当然、とでも言うように頷く二人を、絶句したまま眺める。後からやってきた従獣にしても、チャドの技によって飛ばされたバケモノに歩み寄っていき、軽く小突いてみるなど、なんとも異様な光景がそこにあった。
「住宅街では戦えないからな。ここまで誘導してきたんだ」
 説明をするチャドの左腕に、白い鎧が現れる。“悪魔の左腕(ブラソ・イスキエルダ・デル・ディアブロ)”であり、元々、彼の右腕は盾、すなわち『防御』の役割を担い、『攻撃』を担うのはこちらであった。
「ここなら、全力で戦える」
「そ、そうだったのか。…よ……良かった…」
 “井上さん、あのバケモノとも友達になったのかと思ったよ…”という言葉は、辛うじて飲み込んだ。それはそれでかなりのチャンスには成り得るが、だがしかし、何となく歓迎できないものがあった。
「?」
 キョトンとした顔で首をかしげる織姫に、「いや、なんでもないんだ」と石田はメガネを押し上げる。
 ただ、よく考えてみると、この辺で人気がない広い場所といえば、この川原くらいしかない。織姫とチャドの考えは、当然であるといえた。
「石田。あのバケモノ共を、どう思う?」
 銀嶺弧雀を握りなおし、チャドに並ぶ。
 彼等の目の先では従獣が二匹、低い唸り声を上げながらこちらを見ていた。
「少なくとも、虚じゃあない。でもそれに似た霊圧を身体に宿している。なら……」
「一護の言っていた、従獣か」
「恐らくね」
 ヒュンッ、と風に乗って周囲を飛び回るのは、織姫の能力である盾舜六花だ。彼女もここでならばと、能力を全開にしている。
「来るよ…」
 三人が構えると同時に、二体の従獣が、動き出す。


「っ…! “自戒せよ、ロンダニーニの黒犬! 一読し、焼き払い、自ら喉を掻き切るがいい”! 縛道の」
 そのとき、従獣の巨大な前足が、勢いづけるようにして後ろにひかれたことに気付き、思わず詠唱を止める。
「赤火砲!!!」
 横合いから飛んできた火の玉が、バケモノの目に炸裂する。
「ギュウっ…!」
 ギラリ、と目が光ったかのように見える。それはたしかに、今の攻撃を放った恋次に向けられている。そして、一瞬でひいていた足を、彼に向けて振るった。その巨体からは想像もできない速さに、死神はあっけなく飛ばされる。
「ぐあっ!!!」
「恋次!!」
 何とか受身をとり、しかし痛む腹部に体勢が立て直せない。歯を食いしばる。少し勢いづいたあの一撃でこれでは、対抗しきれないように思った。ちら、と斬魄刀を見る。久しく解放していないので、妙に疼いているようだ。「俺達を使え」「儂らにも戦わせろ」。言われているのを感じるが、それでも、蛇尾丸を始解するわけにはいかなかった。
 霊圧が上がり、尸魂界の技術開発局によって、正確な場所が見つかってしまうことは勿論だが、理由はもう一つある。死神の立場である二人は、あくまでこの世界の調整者(バランサー)だ。限定霊印を押しているとはいえ、彼等の霊圧はかなりのもの。不用意に霊圧を高めれば、現世の魂魄に悪影響を及ぼさないとも言い切れなかった。それほどに、彼等は強くなっていることを、自覚している。
 この四年間、何も事件が起きなかったからといって、怠けていたわけではないのだ。藍染のこともあってから、死神の鍛錬は以前よりもずっと激しく、厳しくなり、皆強くなっていった。数ヶ月ほど前から、現世へ赴く際の限定率八十パーセントでは緩いのではないかと懸念され、限定率を八十五パーセントにまで引き上げるという意見さえあがっていたほどだ。
 同じ理由で、鬼道にしてみても、四十番台以上はご法度である。だが、この僅かな時間を戦って、三十番台までの鬼道だけを用いての戦闘は明らかに無茶であることは、嫌でも悟らされた。
「っ!」
 従獣の口内に、赤黒い光が集まる。
 ルキアは恋次に駆け寄り、片腕を自身の首に回らせると、刀をもっていない手で彼の腰を抱え、瞬歩でその場を離れた。その際に、懐から取り出したエメラルド色のボールを、わざと落とす。光の壁が立ち上がり、そこに従獣の虚閃が炸裂した。どうやらその光の壁は、鬼道の八十一番・“断空”と同じだけの強度を誇るらしく、力強い閃光を見事に受け切ってみせた。浦原商店を出るとき、霊力を存分に発することのできない二人に、テッサイが渡してくれたものだった。
「すまねぇ、ルキア」
 自らルキアから離れる恋次だが、その足はよろついており、顔を見ても、先ほどの従獣から受けた攻撃の被害は甚大であった。息も肩でしており、頬を冷たい汗が伝っていた。
「こうなっては、仕方ない…!」
 ルキアが斬魄刀を構える。
 恋次の止める隙もなく、彼女は言葉を紡いだ。
「『舞え、“袖白雪”』」
 解号を受けた袖白雪は、刀身も柄も鍔も純白に染まる。柄頭からヒラリと流れ出た帯もまた、純白であった。暫くの間、霊圧を高めないために解放されていなかった彼女の斬魄刀は、一層美しく輝いている。
「ルキア、お前!」
「っああぁ!!!」
 猛進してくる従獣の前で、袖白雪が踊る。振り下ろされてくる巨大な前足が、一瞬にして凍り付けにされた。
「ギウァアアア!!!」
 雄叫びをあげ、長い首を激しく動かして、鋭利な歯が揃った口を大きく開け、迫る。
 ヒュッと風を切る音と共に描かれた円から、白い光が天へと向かって伸びる。それは、見る間に氷柱と化した。ギリギリのところでそれをかわしたバケモノであったが、その口の端には薄い氷が貼り付いていた。突然の攻撃力の上昇にたじろいだか、従獣は二人の死神との間合いをとった。
「…尸魂界に見つかっては困る。だが、ここで足を止めるわけにもいかぬ」
 恋次は無言で、蛇尾丸を見下ろした。
「でもよ…」
「私は………九番隊の、副隊長でもあるからな」
 微笑むルキアに、恋次は、まだ藍染らとの戦いが終わって日の浅いときの、檜佐木との会話を思い出す。

『失礼しまーす…』
 執務室を開けると、目を疑うほどの書類の山に囲まれた中で、必死に筆を走らせる檜佐木が視界に入った。
『お、悪りぃな、いきなり呼んで』
『な…何スか、この書類の量……』
 十番隊に行ったとき、怠ける乱菊と怒り心頭に発している日番谷の周りにあった書類の量もかなりのものであったが、ここにある量は、それを優に超えていると思われた。
『いや、まぁ、瀞霊廷通信の分もあってな。ほら、藍染のこともあっただろ。その事後処理の書類、お前んとこにも大量に来てるだろ?』
『え、ええ…まあ…そりゃ、いつもよりはだいぶ多いっスけど…』
 しかも、六番隊は隊長と副隊長共に虚圏へ乗り込んでいたので、数倍の書類となっていた。白哉は相変わらず、周りに頼る姿勢はあまり見せなかったものの、ある朝には副隊長はたまげることになったことが複数回あった。副隊長室に一束の書類が届けられたのだ。無言での「一緒にやれ」という圧力だったらしく、恋次は徹夜して片付けていた。途中、彼の部屋を訪問した理吉が、問答無用で手伝わされることになったのは、言うまでも無い。
 適当に、近くの山に積まれていた書類に視線を落とす。隊長向けの書類も滅茶苦茶に混ぜられていた。
『すまねぇが、ちょっと手伝ってくれねぇか』
『何で俺なんスか! まだ俺だって書類残ってんスよ!? それに、この隊長印のやつは、先輩じゃなくって隊長に……』
 そこで、恋次は酢を飲んだような顔になった。対して、檜佐木は自嘲気味に笑って、少し肩をすぼめる。筆を進める手を止め、居心地悪そうに視線を彷徨わせた。
『……まだ、隊長っていねーからさ、九番隊は。隊長業務も全部、俺なんだよ』
 唇を噛み締め、俯く。うっかりしていたにも、程があった。
『隊長業務、さすがに隊士にやらせるわけにもいかねーし。ちょっと手伝ってくれよ』
 恋次は、頷く。考えてみれば、副隊長業務も隊長業務も、瀞霊廷通信の編集書類も、全て九番隊では檜佐木が一人でこなしているのだ。
 それから数時間、彼はその場に居座って、黙々と九番隊の書類をこなした。
 やがて、恋次は「あの」と声をかけながら顔を上げる。
『なんだ、どーした?』
『その…この量、いつもやってるんですか?』
『あ? ああ…まあな。今回は、ちょっと多いけど』
 首を回して、周囲の書類の山を眺める。かなりの量をこなしたはずだが、まだ半分も片付いていなかった。納得のいかなそうな顔つきで、無言で眺めている彼に、檜佐木は小首をかしげる。
『…なんだ? 疲れたか?』
 眉間に皺を寄せ、改めて、書類処理に追われる九番隊副隊長を見つめた。
『納得、できてるんスか? こんな量…隊長の裏切りったって、先輩がこんなにやることないじゃないっスか』
 隊の状態から考えても、全然見合った書類の量ではない。やっていて、少しずつ恋次の腹は煮えていた。人の好い檜佐木が、まるで裏切った東仙要の尻拭いでもさせられているのではないかという疑心が生まれた。
 しかし、何食わぬ顔で、彼は言った。
『納得、できてるよ』
 何を今更、と筆を置いて、椅子の背にもたれかかり、笑う。
『納得できてなかったら、しねーよ。とっくの昔に死神なんてやめてるさ』
 絶句して、恋次は檜佐木のことを凝視する。心が広い、というものではない。彼の目はたしかに、納得していた。この現状に至るまでの、全てを。
『お前の言い分は分かる。それが俺のことを思って言ってくれてるってのもな。でも、俺、たしかにこの仕事の量にうんざりしたことはあるけど、嫌だと思ったことはないぜ』
 引き出しから隊長印をとりだし、正面の書類の右下にある欄に押した。
『お前は怒るかもしれねーけど、俺はやっぱ、他の死神達ほど、東仙隊長のことを恨んでも憎んでもいねーんだ。こんだけ書類やってると、寧ろ尊敬もしてくる』
 語る檜佐木の顔は、穏やかで静かだ。恋次は黙って、耳を傾ける。
『それに、隊長のこれまでやってきたことは、偽りの姿もあったんだろうが、全部が全部そういうわけでもねえと思うんだ。少なくとも、そう信じてぇ』
 真っ直ぐに、彼は恋次を見据えた。そこにあるのは、ある種の謝罪と決意。
『俺は九番隊の副隊長だ。あの人の下で、働いた死神だ。周りにとやかく言われようが、俺は今後、俺の下で働いてくれる死神に、あの人と同じことを代々伝えていきたい』

 ――――俺は、俺の正義を貫き通すぜ。


 恋次は、口許だけで笑う。
「しっかり、先輩に教育されやがって、この野郎……」
 袖白雪を携えて、従獣へ向かっていく、幼馴染の背中を見つめる。馬鹿野郎、と呟いて、前のめりになっている身体を起こす。腹部の痛みは未だあるが、無理矢理にでもしっかりと立ち上がる。斬魄刀を、抜いた。
「『咆えろ……“蛇尾丸”』……!」
 待ち構えていたように、恋次の斬魄刀が、七枚の刃節に分かれた。


 かくりと肩膝をつき、肩で息をする。震える身体に力を込め、地面の一点を見つめる。頬を伝う汗を拭うことなく、ただ、自身の手に、斬魄刀が握られていることのみを確認した。
 徐に視線を動かして、見つめた。斬撃を放つとき、彼の手の中で姿を変えた、鍔の存在しない、身の丈ほどの無骨な大刀となった斬魄刀を。
「これが……俺の……」
 “斬月”
 ほんの数分前は知らなかったはずなのに、今は自然に口にできる、刀の名前。何より、彼が驚いていることは、
(………知ってる……!)
 自分はこの斬魄刀を、覚えていた。
(間違いねぇ…斬月だ)
 幾度も、振り回した。虚と戦うときも、死神と戦うときも、誰かを助けるときも。それが誰であったのかは思い出せない。明確に、どんな修羅場を乗り越えてきたのかも、どんな修行をしたのかも分からなかったが、霧が晴れたような気分だった。とくに、これで本当の意味で、確信ももつことができた。
 この斬月は、破面のそれとは本質的にも全く異なる、いわゆる「死神がもつ」斬魄刀だ。
(俺は………死神だったんだ…!)
 ずっと、ざらついた記憶に翻弄されていた一護は、口許に恵美を浮かべた。やっと、まだほんの一部にすぎないとはいえ、記憶をつかんだのだ。
「一兄!」
「お兄ちゃん!」
 茂みの中にいた夏梨と遊子が飛び出してくる。彼は、腰を屈めて少女二人を迎える。
「夏梨、遊子、怪我はねぇか?」
「大丈夫だけど…」
 二人は顔を見合わせ、夏梨が、斬月を見た。
「ねぇ、一兄。それって…」
 軽く持ち上げ、頷く。
「斬月だ。…俺が、死神だったときに使ってたやつ」
 その科白を聞き、遊子が身を乗り出す。
「お、思い出したの!?」
 あまりに期待を込めた声であり、躊躇う。
「いや…まぁ、でも、そうか。ちょっとだけな」
「やったあ!」
 遊子が笑顔を浮かべるので、一護も微笑を返した。
 しかし、夏梨の方は深刻そうな面持ちで、兄を見上げる。
「…ねぇ、一兄…この霊圧…」
 彼も表情を改め、頷く。
「従獣、まだいるみてぇだ。多分、朽木達が応戦してる」
 そうして、一護は二人を交互に見つめた。
「俺は、あいつらを助けに行く。でも…お前等も一緒に来てくれねぇか?」
「「え?」」
 意外な申し出だった。この兄のことだから、自分達はここで待っていろと言われるものだと思っていたが、彼は今、“一緒に”と言ったのだ。
「分かんねぇけど、従獣はお前等も狙ってる。ここに残るのは逆に危ねぇ」
 不安げに顔を曇らせる二人に、笑いかける。
「心配すんな。お前らのことは、俺が必ず護る」


 一番大きな霊圧の衝突を感じ、かつ数が二体である川原へと向かう。初めはクロサキ医院の方へ行こうかと思ったのだが、突然死神の霊力が爆発したので、人間よりはまだ勝ち目はあるだろう。それですら、怪しいが。
 自分にしっかりとしがみつく、少女二人の身体を脇に抱え、できるだけ衝撃がいかないように走った。
「響転、使うぞ」
「うん!」
「分かった」
 二人は、しがみつく力を強めた。
 先ほど、一度予告なしで響転を使ったところ、あまりの速さに夏梨と湯子が手を離してしまったのだ。一護が抱えていたので落ちるということはなかったが、それでも相当恐かったらしく、空中で彼は妹に激しく怒られた。
 空を駆けながら、思う。
 自分だけならず、この少女らまでもを襲った従獣のこと。それを送り込むことができるのは、基本的に、虚圏で現在破面を統べる、バートン・ヒャド・レニツァだけであるはずのこと。自分を捜すには、あまりに手荒いこと。
(いよいよ…バートンのこと、信じられなくなってきたな……)
 感覚的には長く、バートンの下で過ごしていた一護は、かすかに悪寒を覚える。
 移動を続ける彼の遥か後方で、一匹の、虚に似た生き物が、蝿さながらの動きでその場を去る。そして、記憶を失った破面は気付かない。その生き物は、彼の斃した三体のうち一体の従獣から分離した、紛れも無い小型の従獣であるということを。


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