■ Strawberry demanded that Death should help him.6

 眉間の皺を一層深く刻み、たどたどしく読み上げる。
「…く、ろ…さき…いいん…」
 夕方頃、夏梨に浦原商店に迎えに来てもらい、一護は、自宅・クロサキ医院までつれてきてもらった。ルキアと恋次は、「妹と二人の方が、何か道中思い出すかもしれない」と、僅かな可能性を考えて、わざと遅れて来る。
 しかし実際は、夏梨が色々と口にしたにも関わらず、何も思い出してはいない。会話もほとんどなかった。多分、従獣(ヘラミエンタ)を斃した際、少女の前で泣いたことに対する羞恥心から余計に会話量が少ないのだろうが、そんなことを言っている場合ではないだろうに。
「一兄の…っていうか、あたしらの親父、医者なんだよ」
「そうなのか…」
「うん。あと…」
「あと?」
「………」
 言葉がつまり、暫し視線を彷徨わせる。
「夏梨?」
「…なんでもない!」
 ぱっと顔を上げ、笑う。
 本当は、一心が死神であることも言おうと思ったのだが、今言ったら、“医者で死神? 人間じゃないの? じゃあお前等や俺は?”と混乱するのではと懸念した。また、遠からずルキアらの死神から、その話は聞くことになるだろう、という予測もあり、やめた。
 しかし今、そんなことよりも、まだ「思い出した」のでなく「覚えた」、“夏梨”という名前を、躊躇うことなく口にしてくれたことが、嬉しかった。
「ほら、入って、一兄! 自分の家なんだからさ!」
「お…おう」
 玄関に入り、あがる。
 物珍しそうに、広くもない廊下の両側を眺める。
 玄関の正面に飾られた額縁の中に、「頑張れ日本! 父」と書いてある紙があり、一護は不思議そうに首を傾げる。
「何だ? これ」
「四年前からの大人の事情。さ、こっちこっち!」
 サラリと兄の質問を受け流し、夏梨は彼の背を押してリビングに入れた。
「おかえりなさーい!」
 キッチンから、おたまを持った遊子が姿を現す。本当は、一護に抱きつきたくてたまらないが、早く記憶を取り戻してもらう為にも、至極普通の対応をしようと、心に決めていた。夏梨との約束でもある。
「えーっと…」
 一護は、少女を見て少し考える仕草をし、「…遊子、だっけ」と言った。
 瞬間、夏梨と一護はギョッとした。遊子の瞳から、涙が突然零れ落ちたのだ。
「あ、あれ!? 悪りぃ、やっぱ違ったか!!?」
 慌てる兄に対し、黙って首を横に振る。
「あ、そだ、遊子、目にゴミ入ったんだよな! うん! よし、こっち来ようか! 一兄はちょっと待ってて!!」
 早口で言い、夏梨は少女の手を引っ張ってリビングから出て行った。
 一人になった一護は、自分は何かしただろうかと自問し、首を捻る。とりあえず、よく分からないけれどあとでもう一度謝っておこう。
 ふと周囲を見回して、賑やかな部屋だな、と独り言ちた。
 虚圏自体には、娯楽というものもなければ、あたたかい空間などは実質、存在しない。部屋には寝る場所さえあればどうにでもなるので、とても殺風景だ。しかし、あそこでは、それが普通だった。だから、そもそも壁がクリーム色であるとか、綺麗な花の写真がついたカレンダーだとか、カラフルな地球儀であるとか、木そのものの色の棚が置いてあるというだけで、無駄に色とりどりで派手であるように思えた。一般人の感覚なら、この黒崎家のリビングは賑やかではなく、寧ろ片付いた様子だと捉えるだろう。
(とくにこれ、凄げぇな…芸能人か?)
 唯一、一般人でも、実際に華やいだように見えるであろうその部分。それは、ある壁の大部分をしめた、ポスターのような大きさの写真である。そこには、美しく笑顔を浮かべた女性が見られた。
(優しそうだな…ロリやティファニーとかとは、ちょっと違う感じ…)
 引き寄せられるように、一護はその巨大写真に近づき―――

 降る雨。
 繋いだ手。
 揺れる視界。
 増水した川。
 叫ぶ声。
 笑う少女。
 飛び散る血。

(――――――!!!??)

 ――――だめ! 一護!!


 クロサキ医院の前の電信柱近辺に、目を何度も擦る遊子と、彼女の頭をポンポンと撫でたやる夏梨の姿があった。
「ったくもー、そりゃ、嬉しかったのは分かるけどさ。約束しただろー、普通にしてようってさあ」
「うん…分かってる…分かってるんだけどね…ヒック…と、とまんなくて…」
 肩を竦める。遊子が落ち着くまでは、もう少しかかりそうだ。
「じゃあ、一兄ほっとくわけにもいかないし、あたし戻るよ。遊子は落ち着いてから戻ってこいよな」
 少女が頷いたのを確認し、夏梨は再びクロサキ医院の中に入った。靴を脱ぎ、リビングに入りながら口を開く。
「一兄〜、ごめん、遊子なんだけ…ど…」
 一瞬だけ、呼吸が止まる。
「一兄!?」
 倒れている兄に素早く近づき、揺り動かした。
 自然と、身体が熱くなる。必要以上に巡りの速い血流が、自分を息苦しくさせていた。こうしていると、嫌でも思い出す。そして、あのときと同じように、また彼は二度と目を開けてくれないのではないか―――。
「……う…」
「一兄? 分かる!?」
 眉間に皺を深く刻み、起き上がる。顔色が悪かった。
 虚ろな瞳で、少女を見る。
「……か、りん…」
 ホッと息を漏らす。意識ははっきりしているようだ。
「どうかした? 大丈夫?」
 へたりこんだような姿勢のまま、例の巨大写真を見上げる。
「これ……誰だ…?」
 数拍の、沈黙。
「…あたしと遊子…一兄の…お母さん」
 ゆっくりと、一護の表情が、驚きの色に染まる。
「…俺、の…?」
 こくり。夏梨は、首肯した。

 ――――だが、貴様は幼い頃に、母親を亡くしている

 浦原商店で語っていた、ルキアの声が、頭に響いた。
「これが…俺の…」
 綺麗な、女性だった。


 「15」と書かれたプレートのかかるドアを開けて、明かりを点ける。夏梨が促すと、一護は一つ一つを丁寧に瞳に映しながら、部屋の中へと足を進ませた。
 クロス模様のベッド、整然とした机、少しだけ汚れた押入れ、立てかけられたギター…。
「ここが、一兄の部屋」
「へえ…」
 落ち着きもなくキョロキョロとしている兄に、少し笑う。
「遊子はもうちょっとで戻ってくると思うから、ご飯ができるまではここで待っててよ」
 一護が目を丸くしたことに気付き、少女は怪訝そうな顔つきになった。
「…なんだよ? あたし、変なこと言った?」
「飯、遊子が作んのか? 父親は?」
 そこか、と頭を掻く。
「んー、まぁ、ヒゲは正直使えねぇし、ここんとこ戻ってきてないし。それに、遊子、器用だからさ」
「そっか」
 曖昧にも頷く。
 夏梨が一階におりていき、一護は改めて、部屋の中を見回した。
 舌打ちする。…全くといっていいほど、この部屋にも覚えがない。
 ふと、机の上に飾ってある写真立てに目を留めた。
 あの、浦原商店に押しかけてきた人間達が、そこにいる。容姿は若干違うので、少し前に撮ったのだろうということを推測することは簡単だった。何故か何人か涙ぐんでおり、全員の手には筒らしきものがある。あと奇妙なところといえば、全員、お揃いの服を着ていることだった。
「……ん…?」
 そして、見たことのある人物がいることに気付き、顔を近づける。しっかりとそれに焦点を合わせると、表情が凍りついた。
「…………俺………?」
 そう。それは、紛れもない、「人間」の自分。首に無理矢理腕を回してきて号泣しているのは、たしか「浅野」という名の人間だ。対し、「自分」は心底迷惑そうな様子で、仏頂面である。
 脳裏に、浦原商店で会った、たつきと啓吾の顔が、そして織姫、チャド、石田の顔が、順に思い出される。
 この写真のような笑顔も涙もなかった。しかし、それでも一つ、「あたたかさ」は、同じだった。
「………何、だよ…」
 倒れそうになって、写真から目をそらし、ベッドに深く腰掛ける。
 どこかに、疑いがまだあった。どこかで、嘘であってほしいと願っていた。
「俺は……“何”なんだよ…」
 現世に来てすぐ、ルキアに腕を掴まれたときに吐いた科白と、全く同じだ。
 いくら自問しても、答えは出ない。他人に問えば、「黒崎一護という名の人間である」という。それが真実であると、写真を見て、今更思い知った。
 だが、それでも、バートンやガレットやユウ達を、破面を、仲間だと思う。だからこんなに、気持ちはざわつくのだ。
 ガン、ガン、ガン。
 ハッとして、振り向く。窓を叩いているのは、これもまた浦原商店にいた、ライオンのぬいぐるみ。
 すぐに鍵を開けてやると、ぬいぐるみは自ら窓を開けて中に入ってきた。
「よう」
 ヒョイと手を挙げたので、一護は中途半端に頷く。
「…なんだよ、その顔は。俺がここに来ちゃいけねーのか?」
「いや…俺に、何か用か?」
 いつものように怒鳴りかけ、堪えた。一護はからかう風でなく、本音をただ零しているだけなのだ。
「別に。俺様の家はここだからなァ、帰ってきただけだ!」
 ちなみに、コンにしてみても、これは四年ぶりの帰還だ。霊力を一護が失ってからは、強制的に尸魂界の技術開発局の死神達に連行され、解剖や分析といった実験のモルモットに扱われていた。一応、彼は唯一の「生き残り」として、「モルモット」というよりは多少良い待遇であったのだが、その度合いが一般と技術開発局の局長とでは激しい差があると思われ、結局はある種の地獄を体験している時期があった。尤も、いたのは二年弱で、そろそろコンの命が危ういのではと、技術開発局にまで現世から出張してきた浦原が助けてくれたのだ。彼いわく、「黒崎サンに、もしものときはって頼まれたんスよぉ」とのこと。当時の一護は、技術開発局がどれだけ異質な者の集団であるかをよく理解しており、死神でなくなって以降、行方不明となったコンを心配していたのである。浦原に助けられてからは、数日前に至るまでのおよそ二年と数ヶ月間、彼は浦原商店に居候する身となった。
「え、でも…お前は…」
「……テメェだからな。俺様をここに置いたのはよ」
 彼は眉間の皺を深める。
「俺が…お前を…?」
 外をずっとピョンピョン跳ねつつここまで来たので、少し汚れてしまっていた。自ら布地の足を叩いて、土を払う。
「俺様は改造魂魄だ。破棄されるところを、たまたま逃れて、たまたま手違いで姐さんが手に入れ、てめぇのところに行き着いた」
 らしくもなく、静かに喋る。
「てめぇは、そんな俺を、ずっと一つの存在としてみて、てめぇの家に俺を置き、俺に名前をくれた」
くるり、と人形の足を器用に動かして、こちらに向き直る。
「感謝はしてるぜ」
 いつもなら、自分がこんなことを言えば、「気持ち悪い」と返してくれるはずだ。しかし、そうすることで、この全てを忘れてしまった元死神代行の記憶が、少しでも頭に浮かんでいてそう返してくれたなら、今はよかった。臭い科白を吐いた甲斐があったと思える。でも、
「あ…ああ…」

“どうしたんだよ、いきなり。気持ち悪りぃな…頭でも打ったんじゃねぇか?”

 そんな言葉を返してこなかった一護は、目の前にいるにも関わらず、妙に遠くにいるような感じがした。

   *   *   *

 円形の巨大なテーブルの周りに、計七名の破面の姿があった。
 ガレットは明らかに疲れた様子で、左隣ではぐずった様子のユウが、座っていた。
「知っている者も多いとは思うが」
 バートンの声に、一同の視線が集まる。
「今、ナリア・ユペ・モントーラは行方不明だ。何か心当たりのある者はいないか」
 彼等は首をかしげる。
「強いて言うなら、ずっと何かに悩んでたみてぇだけど」
 ガレットの言葉にも、せいぜい相槌を打つ程度だ。
「従獣(ヘラミエンタ)を使って、現世に探りを入れたんじゃなかったのか?」
 ガンテンバインが問うと、バートンは肩を竦める。
「それが、戻ってこなくてな。現世にいる死神にでも斃されたのだろう。情報は皆無だ」
「でも、ナリアはすぐに従獣に気付けたはずでしょ? なら、まだ戻ってこないってことは、現世にはいないんじゃない?」
 ティファニーが、テーブルの上で両手の指を絡めながら言う。
 無言で彼は頷く。そういうことになってくると、残るは尸魂界か虚圏のどちらかしかないわけなのだが…。
「貴様が余計なことをしてくれたおかげでな…」
 ガレットを睨み付けると、本人はヒィと小さく叫ぶ。
「だだだ、だって! 砂埃酷でぇから、マントいるかなっていうか、俺としてはつけてもらわねぇと困るっていうか!」
 鳥のような骨格の仮面で顔半分を覆った黒髪の破面は、肩をゆらして笑う。
「キキキキッ! ガレット、いつまで砂埃毛嫌いしてんの? だっせー」
 …というわけであり、異界からの霊圧感知を妨げるマントを彼はまとっていなくなってしまったがために、実際にそこに出向かないと霊圧は感じられない。つまり、虚圏にいたままでは他の世界にいるかどうかの確認はまず不可能となってしまっている。しかも、現世には従獣を放ったが戻ってこないので、おそらくいないと考えられる上、虚圏にはバートンらが感知できていないので、いるはずがないのだ。尸魂界には、ティファニーが捜しに行ったのだが、結局何も感知できなかった。
 結論、彼がどこにいるのか、全くもって分からない。
「やっぱ、現世にも誰か行ってみたほうがいいんじゃないのかな…」
 破面が親指を顎にあてながら提案する。
 彼には、ヘアバンドを模したような形で仮面の名残がある。複雑な装飾を施したかのように見える、ゴツゴツとした骨が印象的だ。
「でも、ナリアとか、このユウに聞いた話じゃ、隊長格の死神が現世に張ってるみたいだぜ? 負けるこたねーと思うけど、本気出さなきゃ多少手こずる可能性もあるわけだし、それで無駄な体力使って今後に支障がでたら、馬鹿馬鹿しいじゃん。とくに、現世に結局、いなかった場合」
 ガレットの言う事も尤もだ。
 しかしこれでは、何も進まない上、ナリアの戦闘力はかなりのものなので、それをなくして事を進めるのは、実際利口な行動であるとはいえない。
「じゃ、もっかい尸魂界ってのは? もうあんま怖ぇ死神いねーだろ? キキッ!」
「? どういうことだ?」
 尸魂界は、死神のいる世界。最も危険であるはずだ。
 ガンテンバインに疑問が浮かぶのも、当然のことである。
「僕が行ったときに、隊長格がほとんど揃ってくれたからさ。一通り片付けといたの。死んだはずだよ、結構しっかり斬ったから」
「おー。いい仕事したね!」
 ヘアバンドの破面が小さく拍手する。
「じゃ、尸魂界に今度は複数人で」
「いや」
 言葉を遮ると、全員の視線が集まった。
「もう少し、待ってみる」
 バートンは静かに告げた。
 たしかに、急く気持ちはある。ただ、そこで一つの、嫌な予感にたどりついた。だからもう少し、考えてみようと思ったのだ。

 ――――もし、従獣を倒したのが、死神でなかったとしたら?

   *   *   *

「…………」
 席についた一護は、何故か一向に箸を手にとろうとしない。何か、そわそわと落ち着かない。そんな彼が心配になったようで、夏梨と遊子は顔を見合わせた後、尋ねた。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「え? …あ…」
 気まずそうに視線を彷徨わせ、また、目の前に並ぶ料理に戻す。
 遊子の手作り。食卓に運んだのは夏梨。味噌汁や白米から湯気が立ち昇る。
「食べなよ、一兄。遊子の作ったご飯って、すっげー美味しいんだぞ!」
「いや…その、…」
 顔を一旦俯かせた。
「なんか、慣れねぇっていうか…」
 遊子と夏梨が、揃って首をかしげる。
 頭を掻く。そのとき、マントが少し腕に引っかかったので、脱いでしまいたいと思ったが、霊圧を他の空間から察知されないためには、やむを得ない。
「虚圏じゃ、こうやって飯食うこと、あんまねぇからさ。落ち着かなくて…」
 バートンが多少友好的なので、一護の知る範囲での破面は、仲間意識もあって仲良しだ。だから、皆で集会場に集まって、お茶会じみたことをやることはあった。
 しかし、やはりそれでも、彼等は破面だったのだ。互いに、畏怖や羨望、貪欲、忌諱の念が全くないといえば、嘘になる。疑心暗鬼ではないといえば、嘘になる。皆一様にして、バートンによって集められるまでは、ずっと弱肉強食の空間で生きてきたのだから、心の奥底が、直しようもないほどに荒んでしまっていても、無理のない話だ。だから、皆で楽しく話し、食べ、飲む。そのときはいつも上辺だけで、どこか底冷えしていた。
 驚いたのだ。ここに、その“底冷え”したものは、全くなかったから。
「……何、言ってんの」
 顔を上げる。二人は、笑っていた。
「落ち着かなくなんか、ないよ。だって、一兄、ずっとこうやって、あたしらとご飯食べてたんだもん!」
「そうだよ! お兄ちゃん、早く食べて!」
 邪念がない。何処にも、少しも。
 漸く、一護は箸に手をつける。碗をとり、味噌汁を口にした。
「………」
 遊子と夏梨は、内心ドキドキしながら、彼を見守った。
 コクッ、と喉仏が動く。碗を下ろした一護は、唇を震わせる。
「…美味いっ……」
 噛み締めるように、言う。
 嬉しそうにしている遊子と夏梨を見て、
「ごめんな」
 何も、覚えていなくて、ごめん。
 何も、思い出せなくて、ごめん。
「ありがとな」
 待っててくれて、ありがとう。
 だから、もう少し。――――きっと、思い出すから。


 自室のドアを開け、中に足を踏み入れると、おや、と思う。明かりが点いていた。そのまま入っていくと、ベッドの上に胡坐をかいて座る恋次が目に入った。
「来てたのか」
「おう。邪魔してるぜ」
「朽木はいねーんだな?」
「ああ? いるぞ」
「は? 何処に?」
 恋次が後ろを指さすので、不思議に思いつつ振り向く。
 開けられた押入れに、ルキアが座っていた。
「言われぬと気付かんのか…」
 彼女が呆れ顔である一方で、一護は、まさか彼女がそこにいるとは思ってなかったらしく、大変驚いた様子で、
「く…朽木!? て、てめぇ、また、んなとこに…!」
 一瞬、空気が凍る。
 ――――『また』………?
 ルキアと恋次は、一護を凝視する。とうの彼も、違和感を覚えたらしく、小首を傾げた。
「…あれ…? え、…『また』って…何言ってんだ、俺…? 朽木が、んなとこに座ってんの、見るのは…初めてで…いや、違う…? 朽木、は…いつも…そこにいて…? でも…俺、…そんなの…あ…うぅ……?」
 色々な画が、フラッシュバックする。
 何だ、これは?
 スターン、と勢いよく開けられた押入れ。イライラした様子でそこに座る少女。何か、文句を互いに言い合い、そして食べ物を渡す自分―――。
「おい!!!」
 我に返る。いつの間にか立っていられなくなっていたらしく、恋次によって後ろから支えられていた。
「焦んなよ。また霊圧、少し乱れてるじゃねーか」
「あ…ああ…」
 そう言う恋次自身も反省していた。今焦ったのは、一護だけではなく自分もだ。記憶の片鱗が見えただけで、思わず気が急いた。
「一護。妹達と食事をして、何か思い出したことはあったか?」
 一応、尋ねる。しかし彼は首を横に振った。
「悪りぃ…。ただ…」
「ただ?」
「……ちょっと…自分のこと、分かった気は…する」
 現世に来て、何もかもが真新しかった。しかし常に、彼の感覚は他の感想を漏らし続ける。“ああ、久しぶりだ”と。一体、いつ、何処で、どういった経過があってそんな経験をしたのかは分からない。けれど、このクロサキ医院に来て、遊子や夏梨と言葉を交わして、確信した。
 自分の魂は五月蝿く、何度も、繰り返している。

 ――――俺はずっと、『ここ』にいた。

   *   *   *

 織姫とチャドは、交差点までくると足を止めた。
「じゃあ、茶渡くん、あたし、用事あるからもう行くね」
「用…? これからか? もう九時過ぎるぞ」
 肩を竦め、舌を出す。
「抜かせない用事なの。でも、大丈夫だよ! 何かあっても、無茶しないようにするから!」
 少し考え込む仕草をし、頷く。
「すまない。俺も、明日の大学のレポートが終っていない…」
「うん! だから、茶渡くんは気にしないで!」
 再び首肯し、彼は、信号が青になると同時に横断歩道を渡った。そうして、向こうから軽く手を挙げられたので、織姫も大きく手を振り返す。
 彼等は、今日授業が入っていなかったので、二人して一護の事故現場及び、彼がよく行っていたバイト先や入学した大学を、片っ端から調べていたのだ。
 しかし、彼の死や破面化に関係しそうな情報は、いっそ笑ってしまうほどに何もない。奇妙にさえ思った。
 歩美をまた刻み始めた織姫は、長く息を吐いて俯く。
 浦原商店で、夏梨が迎えに来て一護がいなくなった後、恋次から聞かされた事実。
“一護は死んだんじゃねぇ。殺されたんだ”
 安直ではあるが、彼に対し恨みを持つ人間を捜してみた。たしかに、いるには、いた。ただし、主に霊力の無い体力馬鹿――俗に言うヤンキー、ヤクザの中で、である。
 一護が大学で仲良くしていたという山吹洋介も、「一護は髪の色のせいで目をつけられることはあったけど、自分からは絶対に手を出さなかった」と証言している。かつてと一切変わらないようであった。
 ――――……ごめん、有沢…思い出せねぇ…
――――有沢って呼ばないで
「…っ……」
 思いつめた様子のたつきを見るのも、自責の念でいっぱいの一護を見るのも、嫌だった。
 焦ってはいけない。待つしかない。でも、早く、と思わずにもいられない。
「……わっ、あたし、暗っ! 何でこんな暗いのー!? 大丈夫! 黒崎くんだもん! 思い出す、思い出す!!」
 一人で叫び、一人で空元気。
 虚しくはあったが、それでも元気でいようと思う。黒崎一護は、他人でも辛そうな顔を見るのが嫌いだったことを、思い出したから。
「っとと、通り過ぎるところだった」
 足を止め、数歩下がると、倉庫らしいところへと向き合う。
 少し重い鉄の戸を、力をこめて開いた。ガラガラガラ、とけたたましい音が、コンクリート壁に跳ね返り、響く。
「ハッチさーん、ごめんなさい遅くなって…ってアレ?」
 週に数回、ひよ里の容体を安定させるべく、来て欲しいといわれていた。だから、いつもと同じ場所に来たのだ。
 しかし、そこには誰もおらず、大きなドラム缶が、妙に寂しく転がっているだけだった。

   *   *   *

 屋根の上で、ぼんやりと月を眺める。月自体は、虚圏から見るものとあまり変わらないな、と思った。そこに、髑髏のような模様のついた小さな板を翳した。
「眠れねぇのか?」
 ふいに声をかけられ、振り向く。
 髪を解いた、一度は完全に睡魔に囚われたと見える顔つきの恋次が立っている。
「阿散井」
「何となく目、覚めて、てめぇがいねーから焦ったぜ」
ここのところ、まともに寝ていなかったせいか、まだ十一時台であるにも関わらず、頭の芯がボーッとしていた。この時間帯ならいつもは普通に起きているはずなのだから、結構無理をしたのだということを嫌でも悟る。
眉間に皺を深く刻み、大欠伸をかく。片手で自分の肩を揉み、複数回ゆらゆらと頭を揺らす。それでようやく意識が覚醒すると、一護の隣りにまできて、腰をおろした。
「何だよ。信用ねーんだな。逃げたと思ったのか?」
「記憶のねぇお前なら、有り得る」
 何も言い返せず、溜息を吐く。
「そうだ。なぁ、お前、これなんだか、分かるか?」
 彼は恋次の前に、それを差し出した。
 見て、ギョッとする。
「それ…」
「部屋に入ったとき、見つけたんだ。何か引っかかってな。…知ってんのか?」
 髑髏のような模様。小さい、板。
 知らないはずが、なかった。
「それは…代行証……死神代行戦闘許可証だ」
 一護の表情が、少し険しくなる。
「死神代行…生前、俺がやってたってやつか」
「ああ。ルキアを助けるために、尸魂界に侵入した話は聞いてたよな? そんとき、尸魂界にとって、その死神代行が有益であると判断された場合ってことで、浮竹隊長からてめぇが渡されたんだ」
 彼から顔を背け、
「…表向きは、な」
 小さく、そう付け足す。
「表向き?」
 当然のように尋ね返す。恋次は首を横に振った。
「これは、記憶があってもお前の知らねぇことだ。それに、いずれ話さなきゃけねぇことでもある。時が来れば話せる」
「……ふぅん」
 改めて、代行証を見下ろした。
「…なんか、情けねぇよな」
 ポツリ、と呟く。「あ?」と聞き返すも、恋次の視線は空の星へと注がれている。
「自分で自分のことが、全然、わかんねぇなんてさ」
 苦々しく言う。一護が、何も思い出せないことに苛立っているのを感じた。天を仰いだまま、恋次は少し息を吸った。冷たい夜の空気が、肺に満ちる。
「これは、ルキアからちょっと聞いただけだがな」
 長い赤髪が、風にあおられ、揺れる。
「オメーは、死神代行として最後に虚を斃したあと、霊力の激しい衰弱に耐えられなくなって、ぶっ倒れた。で、意識を失う間際、ルキアはこう言われたらしいぜ」

 ――――俺達は、仲間だ。忘れるな。

「…!」
「なのに…」
 空から視線を外し、漸く一護を見た。
 その瞳に滲むのは、静かな、怒り。
「てめぇは、俺達に会ったとき、何て言ったよ?」

 ――――テメェらこそ、何者だ!?

「ルキアに刀まで向けて、何て言ったよ?」

 ――――俺はお前等を斬っていくぜ

 何も、言えない。口を真一文字に結んで、目を瞑った。
「ムカツクどころじゃねぇ。忘れるなっつっといて、忘れやがって。だがな!!」
 突然、恋次は一護の胸倉をつかみ、無理矢理立たせた。
「今は、我慢してやる! 手伝いもしてやる! 必要なら、尸魂界を敵にしてもかまわねぇ!! だから思い出せ!」
 そんで、と付け足す。
「思い出したら、俺はてめぇをぶん殴る!」
 暫く、沈黙があった。
 一護は気付く。恋次は、ただ怒っているのではない。ただ願っているのでもない。
 自分、信じてくれている―――。
 ゆっくりと、首を縦に振った。
「…分かった」
 彼は盛大な舌打ちをして、一護を突き放すようにして手を放した。
「阿散井」
「何だよ」
 どんとまた座り、不貞腐れたように顔を合わせようとはしない彼に、告げる。
「ありがとう」
 一瞬、いつしかのことが思い出される。つい、思わず、笑いそうになってしまう。
「馬鹿か」
 似た者同士め、と嘆息し、恋次はやはり、このように返した。
「礼言うとこじゃねーよ」


 窓を開けて、戦友二人の話を何となく聞いていたルキアは、小さく笑った。やはり、たとえ記憶がなくても、一護は一護だな、と思う。
 そして彼女は、何気なく机の上の目覚まし時計に目をやった。そこで思わず、顔を顰める。
 時計の針が、午前零時を指し示していた。日付が、変わる。

 今日は――――六月十七日。


[ prev / next ]

back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -