バスルームは、湯気で白く揺れていた。タイルは白が良いと言い張っていたのに、白はカビが目立つと言われて、少しだけ黄色を混ぜた。最初は馴染まなかったけれど、こうやってタイルに湯気が貼りついてみると、黄色も悪くなかったかもしれないと、ぼんやり思う。

普段よりも冴えない視界は、夢の中にでもいるようだ。曖昧なこの感覚は、彼をも、曖昧にさせていた。

湯気が私の視界を邪魔したって、5センチ先が見えないわけじゃない。30センチ先だって見えるのだ。だから私は、バスタブの縁に腰掛けているのが彼だと、よくわかっている。曖昧なのは、距離でもその姿でもなく、関係なのだ。


彼はこの空間に似つかわしくなかった。何故なら彼は服を着ていたし、捲る事もしなかったジーンズは、裾が濡れて色が変わっていた。そんなこと気にしないかの様に、鼻歌を歌う彼は、裸である私より余程滑稽であるはずなのに、そう感じさせない雰囲気があった。それはきっとお互いに恥じなどというものが、無いからであろう。

バスタブの中で私は思う。
恥ずかしさって、何だったっけ。お腹空いたなぁ。
バスタブの縁で彼は思う。
暖かさで眠くなってきたぞ。あ、テレビ点けっぱなしだ。




「いつ来たの、変態。」

「変態じゃない、桂だ。」




こちらを見下した彼は、顔色一つ変えない。
丸見え、なんて言葉は下品だ。見透かす、その言葉の方が合っているだろう。




「こんな日が高いうちから風呂など入って、何処か出掛けるのか?」

「べつに、何処も行かないけど。ていうか、あんたが来た時点で約束があったってドタキャンしなくちゃならないけどね。」

「別に良いんだぞ。俺の事は気にするな。」

「馬鹿言わないで。他人を家に一人で残すほど、私不用心じゃないの。」




彼は、私のマンションの合鍵を持っている。私が渡したんじゃない。勝手に作ったのだ。私は大して気に掛けなかった。嫌じゃなかったから。彼は私が家に居ない時には、勝手に入ってきたりはしない。ただ、私が休みで家に居る時は、時間も気にせずにやってくる。今日みたいに昼間の時もあれば、真夜中の場合だってある。ソファでごろごろ寝そべっている時もあれば、こうやって湯に浸かっている時だってあるのだ。

人は私達を恋人と呼ぶけれど、そうじゃない。私達はどんなに近くても他人なのだ。




「銀時にまた、しつこく言われたよ。」

「いつものあれか。」

「そう。いい加減付き合えって。」




銀時はさぁ、そう言う事にこだわってるからモテないんだと思うんだよねぇ。
そう言いながら彼の背に伸びる髪を弄んでみた。彼は、それだけでは無いだろう、なんて大真面目な顔で答えた。
それが面白くって少し笑ったら、彼は更に難しい顔をした。




「入る?」

「いや、いい。服を脱ぐのが面倒だ。」

「じゃあ着たまま入れば?」

「乾かすのが面倒だろう。」




もうジーンズの裾をびしょびしょにしている奴が何を言うか。どうせ彼はその濡れた裾を乾かしたりなんかしないで、部屋中を歩き回るのだ。そしてフローリングも絨毯も水浸しにして私に怒られるのだ。もう何度も繰り返してきた。何度も同じやり取りをしてきた。だからもうわかっている。彼がすること、したいこと。




「男ってさ、服は脱ぐものじゃなくて脱がすものだって思ってるでしょ。で、女も服は脱がされるものだって思ってる。
でも私は違うよ。服は自分で脱ぐものだし、着るもの。タイミングだって自分で図るもの。」

「あぁ、知っているさ。それくらい。
だがしかし、今何も着ていないお前が言うとさらに説得力があるな。」

「あんたは、どっちだとも思ってないよね。だって服脱ぐの嫌いだもん。」

「さすがだな。熟知している。」




私は濡れた頭を、バスタブに腰掛ける彼の腿に乗せた。彼が先程歌っていた鼻歌の続きを歌う。これ、何の歌だっけ。確か何年も前に彼と見た、外国の映画の…。




「いい加減、銀時にバラしてやったらどうだろう。」

「今更?」

「墓場まで持って行くつもりだったが、如何せんしつこいのでな。」

「まぁねぇ。」




銀時は驚くだろうか。私達昔付き合っていたんだ、なんて言ったら。当時銀時は全く気付いていなかったから、驚くだろうな。

過去には恋人同士だったこともあった。でもそれはしっくり来なくて、終わりを迎えた。終わったんじゃないのかもしれない。始まったと言ったほうが、良いかもしれない。

すべてを超えたから、こうなったのだ。だから私はわかるのだ、彼の事が。
付き合って、別れて、今こういう形になって落ち着いた。曖昧だとは思わないで欲しい。私達はただ、成熟しただけなのだ。



彼の腕を引いて顔を寄せた。背を曲げた彼の長い髪が湯に浸かる様が、視界の端に映り込んだ。成熟したキスは、湯気をも厭わない。
どちらともない声がバスルームに響く。





「あ、濡れた」


2012.12.18





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