深夜。気付いたらリビングのソファーで眠ってしまっていた私の耳に、鍵の開く音が聞こえてきた。ガチャ、というその金属音に、私はぴたりと動きを止める。無意識に頭上まで引き上げた膝掛けの中、わざとらしく息を潜め部屋に入ってくるであろう人を待った。
すぐに室内へと足を踏み入れたその人、桂小太郎は、着ていたコートを脱ぎ、近くのハンガーにジャケットと一緒にそれを掛けた。服に皺が付くのを嫌う彼は、衣類を脱ぎっぱなしにしたり、床に放ったりはすることは絶対にしない。
しかしそれは無論、彼が、という話である。小太郎は、私が帰ってきてそのまま放置していたスーツを拾い上げ、はぁ、と溜め息を吐いた。
つい疲れ果てて帰って来ると、何をするのも億劫になり、着替えるだけ着替えてすぐにソファーにダイブしてしまう。女としてこれは厄介な癖だなー、なんて考えて、私なんかよりももっと疲れているであろう小太郎にその後始末をさせるのは、更に厄介だということに気が付いた。
彼に気付かれぬよう、膝掛けの中からこっそりその様子を見ていた私は、小さく、ごめんなさいと頭を下げた。

小太郎はネクタイと時計を外し、今度は冷蔵庫を開け中を漁り始める。がさごそと奥まで手を突っ込む姿は、少し異様だ。まったく、忙しない人である。
こんな時間にお腹でも空いたのだろうか。納豆のパッケージを四方から眺める彼は、夜食を求める受験生のようであった。


「納豆の賞味期限は、あぁ…昨日か。」


シーンとした狭い部屋に響いたそれは、彼の独り言だった。私はその独り言に耳を傾ける。


「だが納豆は元々発酵食品、故に多少期限を過ぎたところで死にはしないだろう。」


うんうん、と一人納得している彼は、どうやら冷蔵庫の整理をし始めたらしかった。何故こんな時間に?と頭にはてなを浮かべていた私だが、次の瞬間彼の口から、明日の朝食に何食わぬ顔で出してみよう、という言葉が発されるのを聞いて、さっと血の気が引く思いをした。

その後しばらく冷蔵庫との激闘を繰り返していた彼は、少し落ち着いたのか私の眠るソファーに背を預けるようにして床に腰を下ろした。ふぅ、と安堵の溜息を零した彼は頭を後ろに倒す。
うずくまる私はというと、急に縮まった彼との距離に、些かながら心拍数が上がるのを感じていた。手を伸ばせば届く距離。もう随分と触れていない彼に、近づきたいと思う気持ちは募るばかりである。しかし、今彼に触れる事は躊躇われた。今、彼に触ったら、止まらなくなる気がしたのだ。

彼と一緒に暮らし始めて一週間が長いと思うようになった。月曜日は大嫌いだ。まだ、火曜も水曜も木曜も金曜もある。一週間があっという間だなんて、そんな風に言う人の気持ちが分かった試しがない。

だけど今日は、月曜日じゃない。月曜日から何日も経った。私が大好きな曜日なのに、目の前の彼に手を伸ばせないのは、この夜に大胆になりすぎてしまいそうだからだ。
動かずに膝掛けをきつく握る拳は、息苦しい暗闇の中で弱々しく臆病だ。
このまま眠ってしまおうと瞼を閉じたその時、彼の通る声が部屋中を駆け巡った。


「明日は何処に行こうか。」


私はびくりと肩を震わせる。何故ならその声が、先程までの独り言とは違い、私に投げかけられたものだったからだ。それは、この状況でありえない事だった。


「明後日は、何処に行こうか。」


再び聞こえてきたその声に、私は恐る恐る頭上を覆っていた膝掛けから顔を出し、ばっちりとこちらを見ている彼の目を見つめた。
彼は薄暗い部屋の中、微笑んでいた。
一体いつから彼は、私が寝た振りをしていたのに気づいていたのか。もし納豆の件からだとしたら、大層意地が悪いというものである。

私はソファーに突かれた彼の腕を力強くを掴んだ。
もう私の拳は臆病者ではない。


「何処に行きたいのだ。」

「…何処でもいいよ。でも、今は、」


私が引いた彼の腕もまた、この夜の使いであった。



Fri Day Night
(だって今夜は)



2012.03.15




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