みんなは私に言う。桂くんの事が好きで好きでたまらないって顔、いっつもしているって。
だから私はこう言い返す。違うってば、向こうが私の事、好きで好きでたまらないの、って。
そうすると、はいはいそうですかー、って軽く流されてしまう。私はそれが不思議で仕様がない。みんな、自分で聞いてきた癖に、呆れたような表情で溜め息を吐くんだから。
私なんかおかしな事言ったのかな、っていつも悩むのだ。


私が桂小太郎と付き合い始めたのは三年生に上がってからだった。周りのクラスメイトが高校に上がってすぐに恋人を作る中、私は彼と付き合うまで、好きな男子すら居なかった。だから友達はみんな、大層驚いていたものだ。何せ、相手が桂だ。奇人ばかりが集まるZ組でも混沌と称され、お昼の校内放送で自作のラップを歌い、残念なイケメンと口々に噂される、桂なのだ。
私だって最初はこんな変な人、絶対に無理だと思った。男として見られなかったし、恋愛対象に、なんて問題外だった。
だけれどそんな彼は私を好きだと言った。それはそれは驚いたのなんのって。まさかあの桂が、私の事を好きだなんて信じられるはずがない。嘘でしょ?と聞き返すと彼は、俺は生まれてから今日まで嘘を吐いた事がない、と大真面目な顔で答えた。それこそ嘘だろうと思ったけど、あまりに真面目な顔をするもんだから何も突っ込めず、ただ一言、ごめん、と謝った。
それで終わったら私はきっと、彼の事を好きにはならなかっただろう。
彼はその日から、事ある毎に私の前に姿を現した。それはもう、言ってしまえばストーカーに近かったのかもしれない。次の授業のために教室を移動する時、体操着に着替えるために更衣室に向かう時、少ない休み時間にトイレに行く時。彼はいつでも私の目線の先に居た。
お、苗字じゃないか。奇遇だなー。これが彼のいつものセリフだ。
奇遇?嘘でしょ?あんた嘘は吐いたこと無いって言ってたじゃない。私はいつも心の中で毒吐いていた。だけど不思議と嫌じゃなかったのは、きっと既に彼を気に入り始めたからだと思う。

ある日の昼休み、私は目にも止まらぬ速さで廊下を駆け抜けていた。目的地は購買。標的は焼きそばパン。ロスタイムは先生の呼び出しによる5分。かなりの痛手だった。この日程、担任の小言を恨んだ事はない。
案の定、息を切らしながら見たパン売り場のワゴンには、誰が買うんだと思わざるを得ない食パン一斤が寂しく佇んでいた。
私は重い足取りで廊下を引き返す。俯きながらとぼとぼと歩く私は、どうやって腹を膨らまそうかと策を練っていた。みんなから少しずつおかずを恵んで貰う?いや、それは少々情けなさ過ぎる。じゃあジュースでも買って腹を満たす?いーや、そんなもんじゃ成長期の女子の腹は満たせない。
絶望的になりながら頭を抱えていると、私は前方に立ちはだかった人間に容赦なく追突した。その勢いに私は跳ね飛ばされ少しよろめいたが、掴まれた腕のおかげで尻もちだけは免れた。目の前に居たのは桂小太郎だった。
彼は片手で私の腕を掴んだまま、もう片方の手で焼きそばパンを宙に掲げた。ほれほれと言わんばかりのその動作に私は、あっ、と声を上げて焼きそばパンを目で追った。すると彼はその焼きそばパンを私に差し出した。これが欲しかったのだろう?と言って。
私はうんうん、と首を大きく振って頷きその求めて止まなかった昼食へと手を伸ばす。しかし彼はひょいっとパンを空高く持ち上げてこう言ったのだ。
このパンはお前にくれてやる。その代わりに、俺にお前をくれないだろうか、と。



その日から、私達は始まったのだ。







皆は口を揃えて言った。高校生なのに好きな人の一人や二人居ないなんておかしい、って。確かに友人達は皆、彼が居た。それが当たり前かのようだった。だけど私は別に良かったのだ。彼氏が居なくたって。楽しいことはいくらだってあるし、今居なくたって将来良い人を見つけられるかもしれないし。
だから私は友人達の事を羨ましいと思った事など無かった。むしろ、男に振り回されるなんて、と呆れていたくらいだ。

なのにどうしてこうなったかな、と私は隣に居る彼を見て思う。
彼はマフラーに口元を埋めていた。そのマフラーは最近、私が買ってあげたものだ。季節も変わり、身も震えるような冬がやって来た。
春に始まった私達が冬をこうして過ごしている事に、すごく違和感を感じる。だけどそれと同時に、去年まで私は冬をどうやって過ごしていたのか思い出せなくなる。彼が隣に居なかったなんて、もう既に、想像出来ないのだ。
雪でも降りそうな寒空の下、彼は私に歩幅を合わせて歩いていた。
学校から家までの帰路だって、以前の姿はもう、覚えていない。
彼は急に私の手を握った。



「寒くないのか?手が氷のように冷たいぞ。」



彼は手を包み込むように握る。私はその手をじっと見つめて、ゆっくり力を込めた。



「小太郎だって、氷みたいじゃない。」

「俺は男だからこれくらい平気だ。名前は女なのだから身体を冷やすのは良くない。」

「私だって平気だよ。全然寒くない。」

「いや、そんなことないだろう。ちょっと待っていろ。俺の手袋を貸すから。」

「いいよ!小太郎がしなよ!」

「俺にはお前がくれたマフラーがあるから、それで充分だ。身も心もホットだぞ。」



彼はがさごそと重そうな自分の鞄を漁り、手袋を取り出した。それを私に差し出すと少し、微笑む。


焼きそばパンから始まった関係だと言うと、皆険しい顔をした。だけどそれはあくまで、関係、であって、私の恋心はもっと前から芽生えていたのだと思う。焼きそばパンはきっかけにすぎない。その証拠に、私は彼の提案に即肯定の返事を出したのだ。
こういう関係になって、突然彼の奇行が気にならなくなった。これこそ、愛の成せる業だと思う。

例えば体育祭の長距離走で彼は一位を取った。驚くほどにダントツだった。しかし彼はまだ他の生徒が走っているというのに、生徒席に居る私の元へ全速力で向かって来た。私は驚いて言葉を失ったが、彼は歓喜に沸いた声色でこう言った。お前に一番に知らせたかったのだ、と。私は恥ずかしくて、ずっと見てたし、と冷静を装って言ったが、本当はとても嬉しかった。
他にも文化祭で女装コンテストに出た時、あまりに似合いすぎる女装姿は皆の注目の的だった。当たり前のように優勝していた彼だったが、私はそんな彼に、似合いすぎてて気持ち悪いよ、と言った。その言葉を聞いた彼はきょとんとしていたが、名前が嫌だと言うならすぐ着替えよう、と更衣室へと走って行ったのだ。
誰が言えよう。どんな姿だって誰よりも素敵だと。格好良いと。そして彼のほんの少しの気遣いが、私をうんと嬉しくさせるのだ、と。彼は無意識でそうしているのかもしれないが、彼の所為で私はどんどん優しい気持ちになっていって、それでいて意地っ張りになるのだ。





「あ、コンビニ寄っても良い?」

「あぁ。」



私は彼の大きな手袋を手にはめて、前方にあるコンビニを指差した。
私が店内に足を踏み入れようとすると彼は、電話をしなくてはいけないから外で待っている、と後ろで手を振っていた。どこに電話をするんだろうと少し不思議に思ったが、私はそのまま何も言わずに微笑んで店内へと入っていく。
暖かく明るい店の中は、おでんのいい匂いがして、どこか落ち着くようだった。店員のやる気のない声が絶えず聞こえてくる。どうやらこのコンビニは繁盛しているみたいだ。私は不意に、窓の外へと目を向けた。すると彼が空を見上げながら、電話越しに誰かと会話をしていた。
私は多分、その姿を二、三分眺めていたと思う。別に見惚れていたわけじゃない。ただ、私の居ない所で誰かに意識を向けている彼を目の当たりにして、少し、悲しくなっただけだ。寂しくなったのかもしれない。嫉妬とは違う何かが、私の中に沈んでいるようだ。
私は買うものだけ買って、すぐに店を出た。



「早かったな。」

「うん。あ、これ一個あげる。肉まんとあんまんどっちがいい?」

「んーピザマン。」

「え、いや、ごめん。買ってない…。」

「嘘だ。あんまんをくれ。」



私が店から出ると彼は携帯を鞄にしまって、買い物袋と私を交互に見た。私は買って来たあんまんを彼に渡す。そして自分は肉まんを潰さないように優しく握った。
あっという間に胃に納まった肉まんのおかげで、身も心も温まった気がする。私はさりげなく、さっきは聞けなかった事を口にした。



「私がコンビニに行っている間、誰に電話してたの?」



私がそう言うと彼は、不思議そうな表情で隣を歩く私を見下ろした。
私は自分の言った事を少し後悔しつつ、彼のその顔を見つめる。



「どうしてそんな事を聞くのだ。」

「…別に、理由なんてないけど。」

「女、」

「え!」

「と、言ったらどうするつもりだ。」

「ち、違うの…?」

「女のわけがないだろう。」



彼は嫌な微笑みを浮かべて私の顔を覗き込んだ。私は声を上げてしまった事を悔みながら顔を逸らす。どうやらまんまと嵌められたようだ。余裕を持て余しているその表情に、一発パンチを食らわしてやりたいくらいだった。



「高杉だ。」

「高杉?」

「あぁ。暇だから俺の家に来るというメールが来ていたのでな、断りの電話を入れていたのだ。名前と一緒にいるから今日は無理だと。」

「そ、そうだったの。」

「あぁ。だからお前が心配することなど何もない。嫉妬してくれたのは嬉しかったがな。」



彼はぽんぽんと私の頭を撫でながらそう言った。嫉妬じゃないのに、と思ったけど、彼があまりに嬉しそうに微笑むものだから、何も言えなくなった。
でも彼の言葉を聞いて、さっきまでの心に沈んだ寂しさが形を変えたのは、間違いないようだ。
彼は言った。お前が居るのに浮気なんて真似はするはずないだろう、と。だから私も同じ事を思った。彼が居る限り、私は他の人なんか好きにならない。恐らく、なれないと言ったほうが正しいのだろうけど。

私は手にはめていた手袋を取って彼に返す。彼は受けとるのを拒否したけど、私は無理やり彼の鞄に大きな手袋を突っ込んだ。

そして私はこの後、彼の手を握ってこう言うのだ。



手、繋ごうよ


と。




彼がこの冬、手袋を使う事が無くなったのは言うまでもない。



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