大きな雨粒がガラス窓に叩きつけられる音で目を覚ました。五月蝿いくらいのそれは、風の存在を感じさせる。
私は隣で眠るその人を起こさぬように、上半身を起き上がらせた。窓の外に目を向けるが、流れる大量の水滴でモザイクのようになった景色は何も見えない。
私は瞬きをする度に重さを増す瞼を、強く擦った。





「雨、か。」

「起こした?」

「…いや。」





横たわったまま薄ら瞳を開いた彼は、ちらりと窓に目線をやった。何も写らないガラスを少しの間見ていた彼は、また静かに瞳を閉じた。
彼は長い黒髪を真っ白なシーツに散ばせていた。暗闇ではその一本一本を確認するのは難しい。多少長めの前髪は彼の瞼を所々覆って居て、それは少し鬱陶しそうだった。長い睫毛とその前髪が絡み合わない事が、不思議でしょうがないと思う。
私は音程の無い雨のリズムをBGMに彼の黒髪に指を滑らせた。一本一本、その存在を確認するように、根元から毛先へと撫でて行く。弦ではないそれらから音が出ることはあり得ないが、飽きずに何往復もした。
そんな事をしばらく続けていると彼はゆっくりと目を開け、細長い腕を私の方へと伸ばした。白い腕は真っ暗な闇でもはっきりと存在感を現す。その伸ばされた腕の先にある大きな掌は私の頬へと触れた。





「眠れないのか。」

「うん。目、冴えたかも。」

「何故だ。」





私は頬に触れる彼の体温に、自分の掌を添えた。何故だ、と彼は聞いたけど理由など特になかった。ただ、先程までの重い眠気が、擦った瞼のおかげでどこかに姿を消してしまっただけだ。この雨に、流されたと言ってもいいだろう。
しかしここで、別に、と答えては面白くない。別に、と言ったらきっと彼は、そうか、と答えて会話は終わる。それでは味気なさすぎる。せっかく今は夜なのに、そんな事では言葉の力が無に終わる。夜に発される言葉は、普段の何倍もの力を発揮するのだ。
私は彼を目を細めて見つめ、小太郎が隣に居ると思ったら眠るのが勿体無くなったのかも、と吐息と共に言葉を吐き出した。
言葉の力は、大きさが見えない。だけれどどうやら今の言葉は彼の心に落ちるには十分な大きさだったらしい。
彼は困ったような、それでいて何処となく恍惚な笑みを零して、頬にあった自らの手をそのまま私の項へと滑らせた。そして力を込めて自分の方へと引き寄せる。なんの抵抗もしなかった私は、吸い寄せられるがまま彼へと倒れこみ、そのまま口付けをした。
彼の唇はいつだって甘い、気がする。だけど彼は甘いものをほとんど口にしないから、きっとそれは気がするだけだろう。しかし私からしてみれば、彼は全身が甘いのだ。甘くて甘くて、胸焼けする程に纏わりつく。癖になって、やめようにもやめられない。そのおかげで私は彼以外の甘味を口にしなくなった。だって、彼さえ居れば十分だ。私少し、痩せたかもしれない。心は太るばかりだけど。





「俺は今誘われたのだろうか。」

「誘われたと思ったからこんなことになったんじゃないの?」

「あぁ、そうか。」





少しだけ顔を離した彼は、至極真面目な表情でそんな事を言った。私はその言葉に心の中でガッツポーズをする。
意識しないで彼の欲に火を付けたなんて、私の言葉の力は絶大じゃないか。
私は腕に力を入れて身体を起き上がらせ、そっと彼の唇に指を伸ばした。少し濡れているそこから今度は首に触れる。どくどくと血液が巡るのを感じた。





「小太郎は首が細いよね。」

「そう、なのか?自分ではよくわからん。」

「全体的に細いけど、首は特に。」





彼の首は私と大して変わらぬ細さだと思う。ここからは見えないけど項なんかはもっと細いだろうし、いつも髪という名のカーテンを施しているから色も他の場所以上に白いはずだ。私はそれを想像して、少し欲情した。





「頭と長い髪の毛乗っけてるのにこんなに細くて大丈夫?」

「まて、頭はともかく髪を乗せるという言い方はまるで、」

「ヅラみたい?」

「…ヅラじゃない、桂だ。」





私は彼の決まり文句にくすりと笑ってしまった。すると彼は少し不機嫌な顔をする。私はごめんごめんと謝ったが、内心まだおかしくて表情に出さずに笑った。
だけど私は思う。髪の毛の重さなんてたかが知れてるが、それ以前に彼の頭は普通の人よりも重いんじゃないかと。大きさの問題じゃない。彼は人より小顔な位だ。
これは中身の問題だ。彼の頭の中はきっと私じゃ想像も出来ないくらい、沢山のものが詰まっている。それは図書館とは違う。知識だけの価値じゃない。そこには思いや考え、即ち思考に想い、そう思想だ。そう言った、彼にしか得られないものが人一倍、仕舞われていると私は思う。それに伴う記憶や思い出なんかもあるだろう。
だから彼の頭は、こんな細い首で支えられるような重さじゃないはずなのだ。





「小太郎の頭が転げ落ちたら、私拾えるかな。」

「俺の頭が転げ落ちる?何を言っているんだ。そんなこと、あるわけないだろう。」

「本当に?大丈夫?」

「当たり前だ。」





私は決めた。この人の頭が転げ落ちるような事が起きたら、私がこの世界をぶっ壊してやろうと。
でもきっとそんな日は来ない。彼はこうやってずっと生きて来たのだから。私の助けなんかなくたって彼はこの細い首で、前を向いて生きていく。
だって彼の言葉は、夜でなくとも、力を発揮するから。





「あ、雨止んだ。」

「通り雨だったのかもしれないな。」





彼は身体を起こして窓の外を見た。先ほどまでは何も見えなかった景色には、いつ顔を出したのか、綺麗な月が浮かんでいる。白くぼんやりとそこにある月を、私達は静かに眺めていた。





「小太郎の誕生日、そろそろだよね。」

「…そうか。もうそんな季節か。」

「ねぇ、小太郎が生まれた日は雨だったのかな、晴れだったのかな。」

「さぁ、覚えていないな。」





私は首を傾げてそう言う彼を声を上げて笑った。自分が生まれた日の天気を覚えている人が何処にいるというんだ。そんな人、居た方が驚きだ。
何故笑われているのかわかっていない彼の手に自分の手を重ねた。
彼の生まれた日は世で言う梅雨の時期だけど、彼の生まれたその時は、雨上がりの晴れ渡った青空だと良いな、と思った。





「晴れるといいね、誕生日。」

「あぁ、そうだな。」





月明かりが、そっと照らす今日のように。



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