開いたジャンプを顔に乗せ、ソファに寝そべっていた銀時は身震いした。
それはとある昼下がりの出来事だった。
その震えは寒さから来るようなあからさまなものではなく、もっと底知れぬ、それはそれは酷く全身が痒くなるような不愉快さであった。



「嫌ーな予感がする…」



顔の上からジャンプを持ち上げそっと起き上った銀時がそう呟くと、テレビに夢中になっていた新八と神楽は同時に視線を向けた。
神楽は貰い物の醤油せんべえをぼりぼりと盛大に噛み砕き、新八は安物の緑茶をずずず、と啜る。
なんの変哲もない、平和な午後なのである。



「銀さん、どうしたんですか?」



茶を置いた新八は、銀時の発した不可解な言葉に問いかけた。



「すげー嫌な寒気がした。」

「風邪でも引いたんじゃないですか?」

「何言ってるネ、新八。馬鹿は風邪引かないヨ。」



銀時は自分の腕を擦りながら新八にそう告げた。
神楽の普段なら拳骨の一発でもお見舞いしてやるその言葉にも今は反応する気にならないようだ。
風邪じゃないという事は、銀時本人が一番よくわかっていた。



「なんかもっとこう、不吉なもんだよ。とんでもなく面倒くせぇもんが刻一刻と忍び寄ってる感じ。」

「ちょっと銀さん、やめてくださいよ…。縁起でもない。」

「そうヨ!そんなの堪ったもんじゃないアル!」



銀時の、普段からは感じられない真剣さに、新八はもちろん、先程まではさほど興味を示していなかった神楽までもが咄嗟に表情を曇らせた。
銀時から始まったこの悪寒は、徐々に万事屋全体に伝染していく。不安の色が濃く漂うリビングはシーンと静まり返り、誰一人として口を開かなかった。

そんな時間がどれくらい過ぎただろう。誰か何か言え、お前が言え、いやお前が言えと、この空気の責任を無言で押し付け合っていたその時、ピンポーンと軽快な音が部屋の中を駆け巡った。
その音に三人同時に身体を5p程飛び上らせ、玄関の方を振り返る。





「ぎーんとーきくーん。あーそーぼー。」




「きたぁぁぁ!」







産みとされた








銀時の悲痛な叫びは、玄関の扉を開ける木の擦れる乾いた音にかき消された。そんな古さの目立つ扉の向こうに見えたのは、銀時の戦友である(今はどうかなんて聞くのは野暮だ)桂小太郎と、その恋人苗字名前だった。桂は何故か傍らに米俵を抱えている。



「銀時、遊びに来てやったぞ。」



片手を高く上げながらそう言った桂に銀時は項垂れた。
それもそのはずだ。桂が万事屋に訪れる際一緒に引き連れてくるのは、無駄にでかいエリザベスかそれはそれはかったるい面倒事か、桂が人に見せたくて堪らない大事な女のどれかしかないのだ。

銀時が思うに一番厄介なのは、女だった。エリザベスは喋らないし、面倒事は引き受けなければ軽く流せた。しかし女はそうはいかない。そしてこの女がまた、掴みどころのない不可解な女なのだ。

今目の前にその女が居るのだから、銀時は頭を抱え、声も無く喘ぐしかなかった。




「桂さんに名前さんじゃないですか!こんにちは!」

「名前ー!会いたかったアルー!」




動けずにいる銀時とは正反対に、先程までの恐怖に満ち溢れた表情を取り去った新八と神楽は、突然の来客に歓喜の声を上げた。神楽に至っては、名前に飛びつく始末である。



「神楽ちゃん久しぶり。私も会いたかったわ。」

「リーダー俺には会いたくなかったのか?会いたかったよな?なぁそうだろう?」



至極真面目な顔でそう問う桂の隣で、名前は神楽の頭を優しく撫でていた。
そのうち玄関に突っ立っていた二人は、新八の計らいでリビングのソファへと腰を降ろす。


依然として項垂れる銀時とは違い、この二人は来客を純粋に快く思っていた。
神楽も新八もどんなに毒を吐いていたって、なんだかんだ言って桂の事を好いていたし、そんな彼が連れてくる薄らと桜の香りのする彼女を姉のように慕っている。
だからまさか銀時の言う嫌な予感がこの二人の事だとは思ってもみなかったのである。




「銀さんもしかしてさっきの嫌な予感って桂さんと名前さんのことじゃないでしょうね。」

「…そうだけど。」

「ん?一体何の話だ、銀時。」

「ヅラには関係ねぇよ。こっちの話。」




眉をしかめて銀時の顔を覗き込んでくる桂に、銀時は盛大にため息をついた。それはもう、嫌味をたっぷり込めて。
銀時はこの状況に納得していなかった。というか出来るはずがなかった。
桂と名前が当たり前のように家に侵入してきたことも新八と神楽がやけにこの二人に懐いてることももちろん気に入らない。だが今一番気に入らないのは、銀時が座っている方のソファには自分一人しかいないのに、向かいのソファには四人も人間が腰かけていることだ。自分の家なのに何故か疎外感。むなしくて泣けそうだと、銀時は思った。




「そうだ、銀時。今日は土産を持って来たんだ。」



そう言って桂は先程まで抱えていた米俵を差し出した。



「おいお前…土産に米俵ってどういう感覚だよ…。」

「お前がいつでも食費に困っているから持ってきてやったのだ。遠慮するな。有難く受け取れ。」

「そうヨ銀ちゃん!私ここ一週間まともにご飯食べてないネ!有難く貰うアル!成長期なのに食事もまともに取らせて貰えないから私全然背伸びないヨ。」

「あら神楽ちゃん、大丈夫。あと二年もすればきっと素敵な女の子になるわ。」

「本当アルか!名前みたいにイイ女になれる?」

「えぇ。私なんかよりもずっと良い女になるわ。」



わーい!といって抱きついてくる神楽を、名前は穏やかに受け入れていた。
銀時は名前のこういうところがいけ好かなかった。人間の扱い方を知り尽くしているような、言葉遣いや行動が。(神楽は天人だというツッコミは野暮だ。)
どう言えば相手が喜び、どうすれば相手が安堵するかを熟知している。それがなんだか、むず痒かった。




「あ、そういえば銀さんが喜ぶようなお土産もあるのよ。ほら、銀さんの好きな大福。
小太郎が銀時は甘いものがないと不機嫌になるからな、って言ってたから買って来たの。どうぞ、遠慮なく召し上がって?」




銀時はぎくりとした。先ほどまで嫌悪していたこの配慮に、自分が少なからず心踊っている事に。
目の前に差し出された大福には、ほら食べなさい、貴方は好きなんでしょう、この大福が。これを食べたら幸せになれるんでしょう、と書いてあるようなものなのに。



「ん?食べないの?そう、残念ね。なら小太郎、私達が食べましょうか。」

「だーー!!食べるよ食べる!食べるに決まってんだろ!!」

「そう。ならどうぞ、沢山召し上がれ。」




銀時は甘さ控えめの大福を口に含みながら、不機嫌一直線なのであった。










新八の入れた茶を啜りながら銀時を除く四人は、仲睦ましく談笑を楽しんでいた。
神楽は、最近近所の子供達と一緒に考えた新しい遊びや、新しく散歩途中に見つけたおいしい酢昆布が売っている店の話を大袈裟なジェスチャーを交えて名前に説明していた。
笑顔でそう言う神楽に名前は、今度私も連れて行ってね、と絶妙な受け答えをしてみせた。
そんな様子を見ていた桂は俺にも構ってくれと言わんばかりに名前の髪の毛を弄んだり、鬱陶しい程の相槌を入れたりといつもの調子で、新八は桂の隣でははは、と苦笑いを零す。

まるで一つの家族のようなその光景をただぽかんと眺めているのは、この場でただ一人蚊帳の外になっている銀時だった。自分の家なのに何故こんなにも居心地の悪い思いをしなければいけないんだ!またまた全身が痒くなるようなむしゃくしゃを感じた銀時は、気持ちを納めようと目の前の大福に手を伸ばした。
しかし最後の一つだったそれは、銀時が掴む前にふらっとやってきた桂の掌によって攫われていく。




「おいヅラ、それ最後の一個だったんですけど…。てかてめぇ甘いもん食わねえだろ!俺に寄越せ!」

「これは名前にやるのだ。貴様はもう十分食べただろう。」

「はぁ!?お前それ俺への土産だろ?なんで買ってきたやつが最後の一個食うんだよ!」

「何を言ってるんだ。これは皆で食べるために俺と名前が買って来たのだ。それを貴様ときたら一人でほとんど食べおって!だから貴様は糖尿なんだ!恥を知れ!」

「恥ってなんだよそれ!この電波!」

「電波じゃない!桂だ!」



テーブルを挟んでわーわー騒ぐ銀時と桂を見ながら三人はくすくすと笑う。
すると新八が何か思い出したように手を叩いた。



「そういえば前々から聞きたかったんですけど、名前さんって桂さんのどこが好きなんですか?」

「え?」

「あ!それ私も聞きたいネ!名前はあんな電波馬鹿のどこが好きアルか?」




新八のその質問に、桂の髪を引っ張っていた銀時と、そんな銀時の頬を抓っていた桂は、急に静かになった。



「うーん、どこかしら?」



名前は自分の方を向きなおった桂をじっくりと眺める。桂の片手には最後の大福が握られたままだった。



「うーん、顔?」



名前のその言葉に桂は持っていた大福をぼとりと落とし、その大福は床をころころと転がった。本来あるべき姿ではない地面を転がっている大福は銀時の足元へとたどり着き、三秒ルール!と言って拾い上げられ、一口で銀時の胃袋へと納まった。銀時は至極満足そうだ。



「か、お、?名前、お前は顔で俺を選んだのか…?」



瞬きもせずに口をぱくぱくと開いたり閉じたりしている桂はとても滑稽だ。



「いやね小太郎。もちろん中身も好きよ?」

「でも、一番は俺の見てくれなのだな…そうか名前、お前は俺の外見だけを好きになったのか…あぁそうだ、俺は所詮顔だけの男なのだ…。」




急に立ち上がり歩き出した桂は、何故か意気消沈し、若干自惚れとも取れる言葉を吐きながら部屋の片隅で体育座りを始めた。
そんな様子を見て名前は困ったような笑顔をみせる。



「言ってはいけないことを言ってしまったみたいね。これは帰ったら存分に甘えさせてあげなきゃ。」



機嫌を損ね、子供のようにいじける桂を見る名前は、まるで母親のようだった。銀時はそれを見て、またまた全身にむず痒さを感じる。呆れたように頭を掻き毟り自分の湯呑にだけ入っているいちご牛乳を飲みほした。



「でもよ、いくら惚れてるからってよくあんな電波と一緒に居られるよな。ていうか名前があいつに惚れてること自体この世の七不思議だけど。」

「銀さんだって昔から小太郎の事は知っているんでしょ?私なんかよりも銀さんのほうがよっぽど小太郎との付き合いは長いはずよ。」

「だってあいつ昔はこんなに電波じゃなかったし。まぁ普通でもなかったけど。」

「いやね、みんなして小太郎のこと電波電波って。あの人みんなが言うほどぶっとんじゃいないわ。」



名前のその言葉に万事屋三人は目を丸くする。そんな様子をみて名前は口元を押さえて笑った。



「ねぇもし私が小太郎と同じくらいぶっとんでたらどうする?」



名前は隣に座る神楽に訪ねた。神楽は訳がわからないというように眉をしかめる。



「私も電波バカなのよ。小太郎と同等のね。」



自分のこめかみを人差し指で叩く名前は、綺麗に笑ってそう告げた。首を傾げる新八と神楽を尻目に銀時はチッと舌打ちをする。そんな銀時に名前はまた笑った。



「きっと自分がぶっとんでるから小太郎がおかしくても気づかないのね。
さぁ小太郎そろそろ帰りましょう。私、夕飯の支度をしないと。」



腰を上げた名前は未だに部屋の隅でぶつぶつと何かを呟きながらいじけていた桂を立ち上がらせ、玄関へと向かった。
そんな名前と桂を見送るために玄関へと着いてきた神楽と新八は、また訪ねてくること約束させ、名前と指切りを交わす。

名前は去り際、神楽の耳元で一つの助言を囁いた。



―――自分がぶっとんじゃうくらい、ぶっとんでる男を見つけなさい



と。相変わらず言葉の意味を理解していない神楽は新八にどういう事かと聞いてみるが、新八にもよくわかっていないようだった。



「余計なこと言いやがって。」



銀時は読みかけだったジャンプを手に取りソファに横になった。





「あぁ、いけ好かねえ。」







呟いた言葉はむず痒さと共に消えた。


2011.12.20

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