ピンポーン、と脳天気な音が部屋に響いた。誰が来たのか見なくてもわかった私は、外を確認することなく鍵を開けた。



先ほど小太郎から届いたメールには、蕎麦を食べに行こう、山奥に上手い蕎麦屋があるんだ、と記されてあった。絵文字も顔文字もない、シンプルな内容だ。
私は山奥ってなに…、と一人心の中で呟いたがすぐに承諾の返事をした。

久しぶりに二人の休みが重なった日曜日。お互い社会人二年目の私達は、目まぐるしい日々を送っていた。これでも一年目の去年よりは落ち着いたが、それでも学生だった頃とは比べ物にならない忙しなさだ。

学生時代に付き合い始めた私達にとって、この環境の変化は、正直かなりの痛手だった。
私は手に持っていた封筒をそっと近くの引出しにしまう。封筒の中身は友人から届いた結婚式の招待状だった。綺麗な花の装飾が為された薄ピンクの、知らせだった。


「はぁ、ちゃんと誰が来たか確認してから鍵は開けるよういつも言っているだろう。」


扉を開け、玄関に入って来た小太郎は呆れたような表情でそこに立っていた。靴を脱ぐ気配がない彼は、どうやら部屋に入る気はないらしい。


「小太郎だってわかってたから開けたの。」

「俺じゃなかったらどうするんだ。女の一人暮らしは危険だらけなんだからな。ただでさえこの辺は治安が悪くて、」

「あーはいはい。もうわかったから。これからは気を付けますはい以上。」

「ちょ、おい!」



私はごちゃごちゃと文句を垂れている小太郎の背を押して我が家を後にした。



付き合いたての頃は単純に嬉しかったその小言を、今では少し鬱陶しく感じる時がある。度を超える心配性の彼を、素直に受け入れられない瞬間がある。
どうしてなのかはわからない。でも恐らくこれが世で言う倦怠期なのだろうと思った。ぼんやりにでもそう思った時、なんだかすごく不愉快な気分になった。




「小太郎、車の鍵貸して。」

「なぜだ?」

「運転したいの。最近車乗ってなかったから。」

「いいが…。道はわかるのか?」

「大丈夫、ナビに頼るから。でも私何処にあるのか知らないから小太郎が設定してね。」

「あぁ、わかった。」



少し不思議そうな顔をした小太郎は私に鍵を手渡し、私の住むマンションの前に止めてあった自分の車に乗り込んだ。
小太郎が助手席に座ったのを見届けてから私も運転席に腰を降ろした。自分のではない車のシートはなんだか緊張する。気合いの入った私はシートベルトを締めた。
小太郎が目的地を設定すると、到着予定時刻は現在の時刻の二時間半後になっていた。どうやら本気で山奥らしい。長い運転になりそうだとこっそり思った私は、ゆっくりアクセルを踏んだ。



一般道をしばらく走ってから高速に乗った。その間私達の会話は盛り上がるわけでもなく、淡々と自分たちの近況を報告しあった。どれも仕事の話で、まるで久しぶりにあった友人のようだった。

そんな他愛もない会話も自然とフェードアウトしていき、車内に沈黙が流れたかと思うと数分後、心地よさそうな寝息が聞こえてきた。
ちらりと助手席に目をやると、目をつぶった小太郎が見える。なんだか微笑ましいその光景に、私は少し笑みを零した。


きっと小太郎も疲れているのだろう。休みが合わずに会えない理由は、大体小太郎の都合の所為だった。ちゃんと休んでるんだか休んでないんだかわからない小太郎は、学生だった時よりも少し痩せたと思う。そんな変化を心配した私は、たまに小太郎の家に行きご飯を作って彼の帰宅を待っていたけれど、いつまで経っても帰って来ない待ち人に会えた試しがなかった。翌朝になって届いたメールで、彼がちゃんと私の料理を食べてくれたかを知った。そんな彼だから、休みが偶然重なった時は何処に行くでもなく、どちらかの家で何もせずのんびりと過ごすのが私達二人の定番になっていた。

だから今日、彼と二人で外出をするのは恐らく半年ぶりとかそれ以上になると思う。


「付き合ってもう四年か…」


呟いた言葉は狭い車内に溶け込んで消えた。自分でそう呟いたにも関わらず、その言葉がやけに哀愁を帯びていたことに驚いて、私は咄嗟にラジオをつけた。
途端に車内は賑やかになって私の吐き出した哀愁は吹き飛んでいった。私は少し胸を撫で下ろす。
小太郎は少々うるさいラジオから聞こえる話し声に身じろいだがすぐにまた寝息を立て始める。私はボリュームを下げて、薄ら耳に入る音を聞き流しながらハンドルを握りなおした。



ラジオから聞こえる内容は、どうやらリスナーから届いたハガキを紹介するコーナーに移ったようだ。何を意識して付けたのかよくわからないラジオネームが続いた。内容もそのラジオネームも特に興味が湧かなかった私はラジオを消そうと手を伸ばす。
しかし次に紹介されたハガキの内容に自然と動作を止めた。


「次のハガキは、ラジオネーム四年目の浮気さん。

私には付き合って四年の彼が居ます。特に大きな喧嘩もなく良好な関係で今まで付き合って来ましたが、私は今彼と別れようかと考えています。彼の事が嫌いになったわけではありません。しかし好きかどうかもわからないのです。四年も付き合うと目新しいこともなく、多分私は彼に飽きてしまったのだと思います。これはただの倦怠期でしょうか。もう一度彼の事を好きだと思える日は来るのでしょうか。きっと彼が結婚を切りだしてくれたらまた変わると思うのですが…

だそうです。んー、これは難し、」


ラジオDJがそこまで喋ると急に音声が途切れた。その声に聞き入っていた私ははっとしてオーディオに目線をやった。するとそこには先程まで眠っていたはずの小太郎の長い指があって、私はすぐに小太郎へと顔を向ける。
小太郎は首を振って顎で前方を指し、次の出口で降りないと通り過ぎてしまうぞ、と零す。私は跳ねるように前を向いてウインカーを出した。





「起きて、たんだ。」

「あぁ、ラジオの音で起きた。」

「そう…。ごめん、うるさかったね。」

「いや、大丈夫だ。」






嫌な沈黙が流れる。私は、焦っていた。先ほどのハガキの内容は、なんだか今の自分に重なるようだった。それを小太郎に悟られるんじゃないかと、気が気ではなかった。


私は小太郎の事が嫌いではない。むしろ好きだと思う。でも付き合いたてのようなときめきはめっきり減っただろう。
すべてが当たり前すぎた。彼が恋人であることも、彼が私を好きで居る事も、もちろん私が彼を愛していることも。それは六月に雨が多いのと同じぐらい当たり前の事だった。だけど、当たり前すぎて、飽きてしまったと言えばそれは間違いではなかった。私は変化を欲していた。


私は小太郎と別れたいと、思っている…?


私は首を振った。それは違う。別れたいとは思っていない。別れたくはないけど、今のままも、きっと不満に思っている。
ふと脳裏に先程家の引出しにしまった薄ピンクの知らせが過った。
あぁきっと、さっきのハガキで彼女が言っていたように、私は彼に…





「さっきの、」

「な、なに?」



急に声をかけられて、肩がびくりと跳ねた。
高速道路を下りた道は周りを山で囲まれた、自然のど真ん中のような場所だった。私達以外の車は走っておらず、もちろん人もいない。
そんな所に取り残されたような、不安定な私とあなた。




「さっきのハガキ、名前が出したのか。」

「…は?」

「ラジオの。」

「……は?」



私は目を出来るだけ丸くして彼を見た。彼は無表情で窓の外を見ていた。


もしかしてこの人、さっきの私が出したハガキだと思ってるの…?



「そんな馬鹿な。」

「そうか。あまりにも真剣に聞いていたから、自分が出したハガキが読まれたのかと思った。」

「…そんなことあるはずないでしょ。」

「しかし少なからず、あのハガキの内容に共感したんだろう?」

「え?」




不意を突いた彼の言葉に心臓が大きく波打った。私は一度は戻した目線をまた彼に向けた。すると今度は彼も私の方を見ていて、自然と視線が交わる。しかしすぐに、よそ見をするなと怒られた。私は小さくごめんと呟くが、心臓はまだうるさいまでに騒ぎっぱなしだった。




「名前は俺と一緒に居る事に倦怠感を感じているのか?」

「…感じて、ない。」

「嘘だな。」

「本当だよ。」




小太郎の顔を見たいけど、見たらきっと怒られるから見られない。こちらからは小太郎の事が何も見えないのに、向こうからは私の事が丸見えのようですごくふがいなかった。




「お前は俺に飽きたのか?」

「飽きてないよ。」

「嫌いじゃないが、好きでもない?」

「好きだよ。」

「俺を鬱陶しく思っている?」

「思ってない。」



目の前の信号が黄色に変わり、私はブレーキを踏んだ。



「俺と、別れたいと思っている?」

「思ってない!」



小太郎の尋問のような言葉に痺れを切らした私はギアをPに入れ、自然と鼻声になった声色で勢いよく小太郎に向きなおった。
すると涙目でぼやけた視界に小太郎の悲しそうな顔が映って、胸が裂けるように痛んだと同時に小太郎に口づけられた。
咄嗟のことに驚いて私は反射的に退こうとしたが、助手席から乗り出した小太郎の左腕に後頭部を押さえつけられて身動きが取れなかった。せめてもの抵抗で小太郎の胸を両腕で押すがびくともしない。息苦しくて酸素を取り入れようと生理現象で開いた口に入って来たのは酸素以上に心地よい小太郎の舌だった。どくりと脳が揺れた気がした。
しかしどんなに心地よくてもこの状況でこれはまずい。私は精一杯の力で身体を捻り、彼の腕の中で暴れてみた。すると彼はゆっくり唇を離し、至近距離で私を見つめる。
私は何故か恥ずかしくて、彼と目を合わすことが出来ず彼より少しだけ目線を下げた。
ふと信号を見るとさきほどまで赤だったそれは進めを示す青に変わっていた。




「あお、」




そういうとまた口を塞がれる…
もう一体彼が何がしたいのか、私にはわからなかった。理解なんか出来るはずがなかったが、彼を拒絶する理由も私にはない気がした。
私は微かな抵抗をしながらミラーに目を向ける。
自分たちの後ろには車はいない。だから今ここで青信号なのに止まっていても誰も迷惑しない。
私は微かな抵抗を捨て、そっと彼の背に腕を回した。彼は少し驚いたようだったが、すぐに腕にさらに力を込めた。
この信号が赤に変わり、もう一度青になった時は車を走らせようと心に決めた。






「名前はさっき、俺と別れたいとは思っていないと言ったな。」

「うん。」

「それは確かに本当だった。」

「うん。」

「でも他の質問の答えは全部嘘だった。」

「……。」





私達は再び車を走らせていた。しかし先程までと違うのは私が助手席で小太郎が運転席に居ること。
お前は感情に流され過ぎるからと、運転席を強制的に下ろされてしまった。小太郎の言ってる事は間違っちゃいないが、そうさせてるのはどこのどいつだと言ってやりたい。





「俺は間違った答えを正解にする言葉を知っている。」

「なに?」

「俺が結婚しようと言えば良いんだ。」

「え?」

「俺がそう言えばお前の今患っているもやもや病は治る。違うか?」

「……わかってるのにどうして言ってくれないの。」

「今はまだ言うべきじゃないと思っている。俺もお前も社会人になりたてで、とてもじゃないが結婚なんてそんな大きなイベントを抱えられる状況じゃない。」

「じゃあ言う気はあるってこと?」

「当たり前だ。俺はお前以外の人間と結婚する気は毛頭ない。」

「そう、なんだ。」



小太郎のその言葉を聞いて、彼の言うとおり私のもやもやは少し消えた気がした。なんだか焦っていたのは私一人だったようで少し、恥ずかしかった。

小太郎はその後、今日の事を踏まえて一緒に暮らそうと言ってくれた。私が一人でどんどんネガティブになって行くのはさすがに怖いらしい。もちろん私の答えはイエスだ。一緒に暮らせば、彼の食事も毎日作ってあげられる。


私は薄ピンクの知らせに思いを馳せた。どうやら心地よく、出席に丸を付けられそうだ。


2011.12.20

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