田舎のローカル線。5両もないそれは人も疎らで、現にこの車両には私達と、もう一人老婆が乗っているだけであった。老婆が持っている買い物袋の中から、葱と大根がひょっこり顔を出していた。
私の右耳にはイヤホンが嵌っていて、その片方は小太郎の左耳へと繋がっている。
うとうとする私の耳に入って来たのは、"I LOVE YOU"という英語の歌詞だった。
小太郎は外国語の曲をよく聴く。しかし得意科目は日本史だった。
英語が苦手で大嫌いだった私は、流行りの邦楽ばかりを聴いていた。

暖かい日差しが差し込む車内、私達の行先は決まっていなかった。






ブルースカイブルー








授業が午前にしかないテスト期間直前の今日。いつものように校舎を出ていつものように駅へと向かう。隣を歩く小太郎の鞄も私の鞄も、教科書が沢山詰まって重そうだった。
誰もいない駅のホーム、ベンチに座って電光掲示板に目を向ける。どうやら次の電車は20分後にやってくるらしい。今日はどうやらついている。この前は40分待たされた。

梅雨がやってくる前の5月は、初夏の空気を醸し出す。薄ら汗を掻く私達は衣替え前の冬服を身に纏っていた。小太郎は長袖のYシャツを腕まくりし、濃いグレーのベストを着ていた。私もセーラー服の袖を捲る。夏物より遙かに厚みのあるこの生地は、冬は有難いがこの季節になると重く素肌に圧し掛かるようだった。

二人して無言で教科書に目を通す。私は苦手な英語の教科書で、小太郎は美術の教科書を手にしていた。選択授業である美術を私は選んでいない。自分が持ち得ないその教科書をそっと盗み見ると、有名な画家の人生が年表で載っていた。有名なのはなんとなくわかるけど、名前はわからない。


しばらくしてホームにアナウンスが流れ、私達の乗る電車がやってくる。クリーム色と新緑の、可愛らしい電車である。
車内に一歩足を踏み入れると、微かに冷房が効いているのか、少しひんやりした。
誰も居ない車内、外観と同じ新緑の椅子に腰かけると、そこは私達二人だけの世界になった。

二つ先の駅で一人の老婆が乗ってくるまでの間に小太郎は言った。



「そういえば、いつも降りる駅より先へ行ったことはあるか?」

「ええと、確か二つ先くらいまでなら。」

「そうか。なら今日はもっと先へ行ってみないか。」

「どうして?」

「理由などない。ただ少し遠出をしてみたくなっただけさ。」

「ふーん、そう。いいよ、付き合う。」



我が儘が通った子供のように微笑んだ小太郎に、私は何か体の芯にあるものを掴まれた気がした。


浅い眠りと現実を行ったり来たりしていた私が目を開けると、そこには窓越しに広がる大きな海が見えた。
私は、私の肩に寄りかかって眠っていた小太郎を急いで起こす。



「小太郎!海!」

「ん、あぁ本当だ。」

「次の駅で降りてみようよ。」

「ん、そうだな。そうしよう。」



私は小太郎の腕を引いて立ち上がった。



電車を降りるとすぐに、潮の香りが鼻を燻った。それは普段嗅ぎなれない匂いで、私は大きく深呼吸をする。小太郎は眩しそうな顔で目の前の海を眺めていた。私は再び小太郎の腕を取ると、誘われるように海へと向かった。

浜辺に着くとより一層の日差しが私達を照りつける。



「大丈夫か?」

「何が?」

「いや、日差しが強いから。女子は日に焼けるのを嫌うだろう?」

「私は大丈夫だけど、小太郎こそ平気?明日顔真っ赤になってたりしない?」

「…少し不安だ。」



小太郎の肌は元々白い。どんなに日に焼けても赤くなるだけで、決してそれを体内に吸収しない。彼はそれが少しコンプレックスらしい。私から見れば赤くなった頬の彼はまるで照れ隠しをして要るようで、可愛いとしか言いようがないのだけれど。



「ねぇ、小太郎見て、昆布。」

「昆布?わかめじゃないのか?」

「え、これわかめなの?昆布とわかめの違いって何?」

「さぁ、よくわからん。」

「お味噌汁に入ってるのは?」

「わかめ?」

「じゃあそのお味噌汁の出汁を取るのは?」

「昆布?」



そう言ったあとなんだか面白くなって二人して馬鹿みたいに笑ってしまった。
小太郎は、私の手を取って浜辺を歩く。私はその手を握り返して黙って後を付いて行った。


陽が傾き始めたころ、小太郎はそろそろ帰ろうかと言った。私はもう少し誰もいないこの浜辺を、小太郎と散歩して居たかったけれど、明日がテストだという事を思い出して渋々頷いた。



「どうした、帰りたくないのか。」

「ううん、帰るよ。明日テストだもんね。」

「帰りたくないと顔に書いてあるぞ。」

「…嘘つき。」



いじわるそうな顔をした小太郎は少し口角を上げた。
そしてその後、お前が素直になれないというのなら、と続けると私の耳元に顔を近づけてこう言った。




「俺は今日、お前を帰したくないのだが。」




私は心臓に痛い程の衝撃を感じ、咄嗟に一歩退いた。少し距離を置いて見る小太郎の目は、この状況を楽しんでいるような、はたまた切実に私を求めているような、なんとも言えない色を宿していた。
何も言えずに瞬きをも忘れて立ち竦んでいると、もう一度小太郎は耳元で囁く。



「俺の言った言葉の意味、わかるだろう?」



私は小太郎の、先程の言葉をもう一度思い浮かべる。そうすると面白いように私の顔は熱を持った。帰したくない、この意味が分らぬほど、私は子供じゃない。それに私と小太郎の関係は、大人の階段を上った、その後の段階なのだ。
ふとある晩のことを思い出した。私の両親が家を空けた日、小太郎が私の部屋に泊まって行った日だ。私が飲み物片手に部屋に戻ると、小太郎は一枚のCDを聞いていた。それは私が最近買ったばかりのジャパニーズロックだった。陳腐な愛の言葉を並べた、安っぽい歌だった。"I LOVE YOU"、"I LOVE YOU"と何度も口にしていた。何故それを買ったのかよくわからない。きっと安売りのワゴンにでも居たのだと思う。
小太郎は持っていた歌詞カードをローテーブルに置くと、そっと私に手招きをした。
私は無意識に、でも確実に自分の意思を持って、小太郎に吸い寄せられた。その後のことはよく覚えていない。そう、頭では覚えていないのだ。ぼんやりとして、熱を持って。身体は鮮明に覚えているけれど。
小太郎はきっと、ふがいなさを感じたのだと思う。安過ぎる愛の言葉に。歌詞カードに綴られたそれらじゃ、自分の思いは伝えられないと。だから、身をもってそれを伝えたのだろう。


私ははっとして顔を上げた。一人思い出したあの夜にどうしようもない恥ずかしさを覚える。
そんな私をみて小太郎がくすっと笑った。




「どうした、顔が真っ赤だぞ。」

「…うるさい。」

「日に焼けたのか?」

「…小太郎だって明日こうなるんだから。」



私はむっとしてわざとらしく顔を背けた。
すると小太郎はそれを見越していたのか、私の両頬に手を添え、ちゅ、と音が鳴るような軽いキスをした。
突然の事に私は目をぱちぱちさせる。
すると小太郎は先程までの意地悪な笑みではなく、慈しむような優しい笑みで私を見た。


「さすがに俺も、ここまで赤くはならないさ。さぁ、暗くなる前に帰ろう。ご両親が心配する。」


すたすた歩くその背を見て私は思った。この人を、好きだと。好き過ぎて、好き過ぎてどうしようもないと。そしてふと、さっき電車の中で聞いた洋楽を思い出した。"I LOVE YOU"と言っていた。私の部屋で聞いたあの歌も"I LOVE YOU"と歌っていた。
でも、この人にはそんな言葉は似合わない。そんな言葉はあの人に投げかけるには安過ぎると思った。


帰りの電車の中、小太郎は私の肩に頭を預けて眠っていた。私の右手には小太郎の左手。私は時折その長く細い指を弄んだ。

私はそっと小太郎の耳元で囁く。



―――"私は、あなたを、愛しています"



2011.12.20
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