千空くんが二十歳になった!正確に言うと、私が日本で石像になっている間に千空くんは南米で二十回目の誕生日をしれっと迎えていた。
「それで……今って何年?」
西暦5753年。いつ聞いてもバグなんじゃないかと疑ってしまうその数字が無慈悲に告げられる。千空くんはいつだって時間に正確だ。そういう人だ。多分、これから何十年も経ってしわしわのおじいちゃんになっても。
「つか西暦ぐらい自分で覚えときやがれ」
「覚えてます〜!別に、ただちょっと確かめたかっただけだし……」
ツンツンと二の腕をつついても、千空くんは特に気にする様子もない。私の知らないところで勝手に大きくなりやがって、このやろう。
理不尽かつ利己的な不満を彼にぶつけたって仕方がない。無人ロケットの製作で日々多忙を極める千空くんが、今夜だけでも私との時間を捻出してくれたことをおありがたいと思うべきだ。貴重な時間をこれ以上むくれたまま浪費するわけにはいかない。千空くんみたいに合理的に考えないと。
「よしッ!じゃあ誕生日プレゼント、あげるね」
「突然大声出すんじゃねえ」
これじゃあどっちが年上なんだか分かりやしない。そもそも千空くんはいつだって大人も舌を巻くような言動をしているというのに。
一旦千空くんの隣を離れて、彼が部屋に入って来て真っ先に見つけてしまわないよう隠しておいたプレゼントを取り出す。
千空くんも、布で覆われた贈り物の正体にはなんだかんだ興味を持ってくれているように見えた。
「名前、テメー……」
お披露目された千空くんへの誕生日プレゼント。本当は彼が二十歳になったその日に渡したかったものだけれど。
「はい。石神村謹製、酒でございます」
遥か昔、日本においては二十歳を迎えてようやくお酒を口にすることができたのだと石神村の人々に話したことがある。そして、村で酒を口にする場といったら、やはり祝事だと聞いた。
千空くんはお酒欲しさにルリちゃんと結婚して秒で離婚しただなんてとんでもない噂を耳にした時は本当に驚いたけれど、蓋を開けてみれば、なんてことはない。ただ、ルリちゃんを、石神村のみんなを救うため、大きく言ってしまえば全人類を救うために必要だからやっただけ。
千空くんはそういう人だ。合理的で、だけど情に厚くて、でも儀式とか節目を大事にしたい女の子の気持ちはあんまり分かっていない、科学が大好きな男の子だ。
「千空くん。誕生日おめでとう。それから、もう三年も過ぎちゃったけど……成人おめでとう」
石神村で大切に作られたお酒が、カセキ先生特製の酒瓶に入っている。瓶のラベルに描かれた千空くんの似顔絵の作者は、スイカちゃんだ。この一瓶には世界一周を成し遂げた科学王国のリーダーへの気持ちが込められていた。
瓶の首にリボンを結んで渡すだけの私はただのいいとこ取り。でもこれを託してくれた村の人々と、千空くんのことを思えば、この大役も必ずや果たしてみせようというものである。
「これで千空くんも大人の仲間入りだね」
「クク、このストーンワールドに二十歳で酒解禁のルールなんざ欠片も残っちゃいねえがな」
もう、すぐそうやってつれないこと言うんだから。大体3700年も経ってるんだからとかいう追い打ちに至っては、聞こえないフリだ。旧現代日本を生きていた我々の中にはそういうルールが刻まれている。規則を重んじる金狼くんならきっと理解してくれるに違いない。
「とりあえずちょっと飲んでみない?」
二つの盃に、早速開けた酒を少量注ぐ。フランソワさんがバーで作ってくれるカクテルもあるし、麦でビールだって作れるし、米も千空くんたちが持ち帰ってくれたけど、このお酒は石神村で長年作られてきたものだ。
「じゃあ……乾杯!」
「ン」
ひんやりとしたやわらかい液体が喉を滑り落ちていく。飲み下した後に喉がカッと熱くなり、ああ、お酒を飲んでいるなという気持ちになる。千空くんの無骨な手の中の盃が傾いていくのを、つい盗むように見てしまった。ついこの間まで高校生だったはずの男の子がずいぶんと逞しくなったものだ。
「どうですか、初めてのお味は」
「あ゛ぁ?別に初めても何も……」
「ちょ、もういいから!そこは初めてってことにしてよ〜」
ぐいっと景気よく盃の一杯を飲み干した千空くんの顔色は特に変わっていない。表情はいつもより幾分かゆるんだように見えるけど、それはきっと誕生日の夜のせいで、酔っているわけではなさそうだ。
「さっきからお誕生日サマにどんだけ気ィ遣わせんだテメーは」
千空くんのことだから、酔い潰れるまで飲むようなことは一生ないのかもしれない。それどころか、こうして乾杯する機会すら今後あるのかも分からない。今の時間は彼が特別に作ってくれた『ヒマ』で、普段はそんなヒマなどありはしないのだから。
「そうだね、誕生日に私の自己満に付き合ってくれてありがと。でも、みんなの気持ちは本物なんだからね」
私との晩酌なんて誕生日プレゼントのついでのようなものだ。いつどんな時だって、千空くんを大切に想っている人がこんなにたくさんいる。彼が私たちをそうやって見てくれているように。ただそれだけ、再認識して帰ってもらえれば良い。
「まぁでも、悪くはねえよ」
「そ?」
「これでようやく潰れたからな。一人寂しくバーで飲んでるテメーに、蚊帳の外にされる理由が」
なんだそれ。そんな言い方、千空くんが私と一緒に飲んでも良いと思っているみたいだ。
「さ、みしくなんか、ないし……。フランソワさんいるし、それなりに楽しんでるし……」
年下の男の子の発言にもてあそばれるなんて、年長者としていただけない。それなのに千空くんの言葉が思いのほか刺さってしまった心臓はさっきから煩いくらい音を立てていて、まともに言い返すことすらままならない。
「これで俺もめでたく大人の仲間入りなんだろうが。それともまだ理由があんのかよ」
「なっ、ない、けど」
お酒の席で理詰めなんてひどい。こんな時でも千空くんは千空くんだ。ただ一つ違うのは、普段だったら絶対にこういうことを口走らない彼が、私に対する意思を彼なりに表明しようとしてくれていること。
こっちに戻って来た時点で、その年齢はとっくに越えていたのだから、彼が私に遠慮する必要なんてそもそもないのだ。
「なら良いだろ。名前が好きに飲むなら、俺も好きにする。そんだけのことだ」
そうやって、どんどんワルい男の人になっていくんだろうか。そんな彼に捕まりかけている私も、大概ロクでもない女なのかもしれない。
千空くんのきれいな瞳に映る自分がいったいどんな顔をしているか、想像するだけであっという間に酔いが回りそうだ。
「あーあ、ずるいなぁ千空くん」
目頭が妙に熱いのは、お酒のせいであって欲しい。そう願わずにはいられなかった。
2024.1.4
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