街がかつての姿を取り戻しつつあっても寒いものは寒い。街灯や木々を彩るイルミネーションを眺める余裕もなく、マフラーに顔の半分を埋めて人の波を縫うようにひたすら歩く。人混みもさることながら道路を進んでいく車の量からも、この時期特有の賑わいがひしひしと感じられた。
「いけるんじゃね?」
「えーでも顔微妙」
「良いから行けよ」
後ろから聞こえる不穏な会話と、確実に距離を詰めてくる複数の足音。遊び相手が欲しいなら微妙ではなく良さげな人を当たっていただきたいが、これは断らないといけなくなる感じだろうか。ただでさえ荒んでいた気持ちが荒波のようにうねり出す。
あの〜という誘う気があるんだかないんだが分からない声に被さるようにクラクションが鳴り響いた。凄いタイミングだ。
道路脇に停められていた車のライトの点滅と、二、三度短く鳴らされたクラクションが、偶然ではないことを伝えていた。
私も、私の背後を囲むように並んだ男たちも、一時停止を押された映像の一部になってしまったように固まったまま、車内から姿を現した人物を見ていた。
「ヘイ、随分とモテてんじゃん。知り合いには見えねえが」
私を通り越して背後に陣取るナンパ目的の男たちを一瞥する、タバコを咥えた背の高い男。その人を見るのはもう随分と過去のことのような気がしていた。雰囲気は威圧的だが話してみると案外砕けていて、親友と話している時は特に楽しそうで、だけどそれ以外はクールで群れたがらない。スタンリーはそんな人だった。
見るからに強そうな人間に鋭い目つきで睨まれてしまっては、言いたいことも言えない。加えて、スタンリーの言葉を彼らが聞き取れたのかどうかも定かではない。結局、男たちは何もせずに去っていった。
「ええと、助かりました、ありがとうございます。それと……お久しぶりです」
英語もあまり話さなくなってしまった。使わないと、どんどん忘れていってしまう。
彼に覚えられている自信はなかったが、助けていただいたからにはお礼を言わないと。名乗ったところで「いや待て流石に知ってんよ」と止められた。どうやら、知り合いのよしみで助けてくれたらしい。
「こっちで仕事ですか?」
「あぁ、ちと野暮用で駆り出されてね」
この人が駆り出されるなんて、大抵は要人Dr.ゼノに関することだろう。言葉よりも彼の表情の方がよほど雄弁だ。
「あんたも周り見てねえと危ないぜ。前みたくほぼ全員お仲間じゃねえんだからさ」
彼の言うかつてのお仲間の多くが今も警備や警護の仕事を担っているのはもちろん知っている。スタンリーだってその一人に含まれていて、人が増えるというのはそういうことだ。
スタンリーはタバコを手に持ち煙を吐き出すと、そのまま一歩距離を詰めてきた。何もできずに立ち尽くしていると、彼の空いた手が背に回り体がよろめく。咄嗟の踏ん張りで彼の懐に突っ込まずに済んだ私のすぐ横を、人が早足で通り過ぎていく。耳元に吹きかかる息が温かいのか自分の体温が一瞬で上がったのかも分からなかった。周りから見たら、抱きしめられてるように見えるのだろうか。実際、それに近かった。
「とりあえず乗んな。まだ見てんぜ、アイツら」
道行く人の邪魔にならないように、そしてしがない一般人をナンパ男から遠ざけるために、彼は一番合理的なやり方をした。それだけだ。そう思っていないと、正気を保っていられなくなりそうだ。
「つってもこの交通量だ。しばらくはドライブに付き合ってもらうことになっけど」
「すみません何から何まで」
「世話焼きが移ったかね、俺も」
ガードレールを乗り越えるために荷物まで持ってもらった。こういうのに触ると手が汚れるんだよなぁ、なんて言ってもいられず、残念ながら彼のように長い脚も、ひょいと跳び越えられるような身体能力もない。加えて、コートのせいで跨ぐのも一苦労だ。
「ったく、んな暗い顔すんなよ。ホリデーシーズンだってのに」
見兼ねたスタンリーが私の両脇に手を通すのもあっという間だった。判断が早すぎる。抱きかかえられるなんて、子どもの時以来だ。
彼にとっては些細な親切に過ぎなくても、ここしばらく人ともロクに触れ合わなかった人間にはあまりにも刺激的な一連の動作。しばらく夢にまで出てきそうである。
「も、もう、限界……」
「何?暴れんなよ頼むから」
誘拐犯に間違われることを危惧しているスタンリーをよそに、私たちを見つめる通行人の目はそれはもう生温かいものであった。
2023.12.23
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