「名前ちゃん分かった?今の千空ちゃんの説明」
自分の持ち場に向かう途中、小走りで追いかけてきたゲンが尋ねてきた。特に問題ないと思ったので正直にそう答えると、彼は「そっかぁ」と眦を下げた。
ゲンが本当に分からなくて私に質問しに来ている訳ではないのは、薄々気付いている。それにしても、わざわざ気にかけてくれた人に対する私の返答はあまりに素っ気なかっただろうか。
ゲンはただゲンの役割を果たそうとしているだけ。でも、私に割く時間や手間が増えたことが彼の多忙に拍車をかけているのは、気のせいじゃない。
「私、もう迷子にはならないよ。気を付けてるし」
恥ずかしい話だが、以前道に迷ってしまい夜遅くまで戻れなかったことがある。総出で探されていたと分かった時、自分がいかに危険な状況だったのかをようやく自覚した。便利なナビや連絡手段があった旧現代ならいざ知らず、今の環境で私のような人間がちょっとでも道に迷ったら、もう迷子どころではなく遭難になってしまう。
そんなことがあってからは道に詳しいクロムやスイカに情報をもらって地図を作ってみたり、持ち物を充実させてみたり、自分なりにできる範囲で対策をしている。
「知ってるよ。情報集めて下調べして頑張ってるよね」
「そんなすごいものじゃないけど」
二度と同じ轍を踏みたくない。自分の失敗が自分だけに返ってくるなら仕方がない。しかし、たくさんの人に迷惑をかけるのはダメだと思った。そして、私がもう大丈夫だということを一番知ってほしいのは他でもないゲンなのだ。
「ゲンのせいじゃないからね」
道に迷う少し前、最後に言葉を交わしたのが彼だった。戻った時に「ごめんね俺もついて行けば良かった」と頭を下げられてから今日まで、ゲンは何かと私を気にかけてくれるようになった。ありがたいし嬉しいけれど、理由が理由なので罪悪感の方が勝ってしまう。
「分かった。もしかして迷惑だった?」
「えっそれはない!全然!むしろありがとう……?」
私の話を最後まで真剣に聞いて理解を示してくれたゲンのことを迷惑だなどと思うはずがない。全力で否定すると、ゲンは「分かってる分かってる」といつもの調子で答えてくれた。
「心配だったのはホントなんだけどね、それもキッカケって感じかな〜」
ゲンはその場を離れるでもなく、相変わらず私についてくる。
「罪滅ぼしでこんなことできるほど殊勝じゃないし」
「まぁ、言われてみれば……そうかも」
「ドイヒー!」
「ほら前見て歩かないと危ないよ」
「大丈夫大丈夫」
先ほどからずっと私に向けられている言葉や視線の意味に気が付かないほど鈍感ではなくて、だからといってどう対処すれば良いのかも分からない。胸の内側を優しく擽られているような気分だった。
「名前ちゃん顔真っ赤だねぇ」
「顔のことは言わなくて良いから……」
横から聞こえてくる声色は、もはや私の一挙一動を楽しんでいるとしか思えない。私が足を止めるとゲンもそれに倣って立ち止まる。両手で顔を覆って指の隙間から、私の顔を覗き込んでいるだろう瞳を探した。
「いや〜言おうと思うと緊張しちゃう」
メンタリストなのにと思ったけれど、彼は緊張しないのではなくて緊張を隠すのが人より上手いだけだ。
心配してくれてたのも嘘ではなくて、だけど少しずつ欲張りになっちゃったとゲンは私にも分かるように話してくれた。そんな彼に対して、私はどんな言葉を返してあげたら良いのかまだ迷ってしまう。
「あのね。もし名前ちゃんが俺と同じ気持ちだったら、それを教えて欲しいなって思ってるよ」
溺れかけている私を言葉で上手にすくい上げてくれるゲンの優しさとか凄さだとか、今の私が感じていることも全部全部綺麗にとっておきたい。
「俺は……えーーと、名前ちゃんと、もっと仲良くなりたいのね。これちゃんとそういう感じになってるかな、オトモダチよりもうちょい先なんだけども親友でもなくて」
目が合うたびにゲンが言葉を選んでくれているのが伝わってくる。聞くのはまだ少しだけ怖くて、ゲンも簡単には言い放ってしまえない、たった二文字。
「ほんとに緊張してるんだね」
「だーからジーマーなんだってもう」
私がもう少ししっかりしていたらゲンも言いやすかったのかもしれない。しかし、回りくどくても格好良くなくても、ゲンは私だけのために伝え方を考えてくれていると思えた。飾らない部分を見せてくれた。
「いいよ。私も同じ、ゲンと仲良くなりたい。だからいいよ」
「友達じゃないよ?」
「その辺は徐々に慣らしていく方向で……?」
この先なにかがあるたびに私があっという間に沸騰してゲンを困らせる未来だけは容易に想像できてしまう。
ゲンはその後しばらく目頭を押さえて呻いていたが、改めて顔を上げると「そしたら、これからもシクヨロ〜ってことで」と本当に嬉しそうに笑ってくれたのだった。
2022.10.16
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