忙しい合間を縫ってスイカやクロムの質問に答えつつ作業のスピードを緩めることのない千空とゼノの集中力には相変わらず舌を巻いてしまう。これが脳を並列に使うってことなのだろうか。しょうもないことを言ってると思われてしまったら嫌なので、口には出さないけれど。
説明を聞いて復習するのなら私にもできる。本当は、私もスイカとクロムみたいになりたかった。すぐ近くに教えてくれる人がいるというのに。こういうのを「勿体ない」と言うのだろう。
盗み聞きした難解な説明を記したメモを眺めつつ何度目か分からない自己嫌悪に陥りそうになった時、真横に人が立つ気配がした。
「……おお、随分と熱心に記録しているね。実にエレガントだ」
「ひゃっ」
背筋にゾクゾクした感覚が走るのと同時に変な声が出た。今すぐ取り消したい。
私の手元を覗き込む彼の声が、耳を擽る。この猫なで声を聞くと私はもう何も言えなくなってしまう。それこそ、石になってしまったように。
そして口を封じられた分、思考だけが回り続ける。この人は……ゼノは、私のこと一体幾つだと思っているのだろうかと。
そろそろ休憩時間だからと場の空気が緩み始めるなか、私だけが妙に緊張したまま立ち尽くしていた。
もうこんな時間かとか、飯食ったら続きだとか、それぞれキリの良い所で手を止めて移動する準備を始めている。
「あっ、あの!」
聞くなら今しかないと思えた。でも、衝動だけで体がついてこない。欲しい欲しいと思っていた機会は、いくらでもあったのに。
「ん?ゆっくりで構わないよ。言ってごらん」
それだ。皮膚の表面を触れるか触れないかの所で撫でられるような擽ったさがずっと引っ掛かっているのだ。声だけでなく、その言葉も視線も。
「私…………スイカより年上、です……」
私が石になってる間に大きくなってしまったスイカ。だけど、追い越されたわけじゃない。私だっていい大人だ。大人なのに、まるで思春期の中学生みたいな態度を他人に取ってしまうなんて恥ずかしすぎる。
しかし言い訳をさせてもらうならば、親戚の子どもが可愛くて仕方がないみたいな態度を気になる異性に取られて、平常心でいられる女がどれだけいるだろうか。少なくとも、私にはできない。
幾つに見える?だなんて、冗談でするような質問だと思っていた。しかし彼には真剣に問いたい。
「もちろん知っているよ」
目を丸くしたまま私を見つめるゼノ。何を言い出すかと思えば、とでも言いたげな表情である。
「君もこれから昼食だね。……おお、どうやら我々は置いていかれてしまったようだ」
休憩は休憩。効率重視の千空はさっさと行ってしまったようだ。スイカとクロムの姿も見当たらない。
「ここでの生活でまず喜ぶべきは、食事の質の高さとメニューの豊富さだ。名前、君は何が好きかな?」
「えっと……」
カレー、焼肉、唐揚げ、お寿司。いくらでも出てくるが、どう答えれば大人っぽく聞こえるかを考えてしまう。お子様ランチ以外なら!とでも叫んでしまえたらいっそ気が楽だけれど、お子様ランチは大人から見ても美味しそうだ。
つまり、何歳になったって美味しいものは美味しいし、好きなものは好きなのだ。
「選べないほど好きなものが多いということか。しかしご馳走するからには候補を少しばかり絞ってもらわねばならないんだ」
何故か申し訳なさそうに眉を下げるゼノの言葉は、やっぱりどこか子どもに言い聞かせるような、柔らかいものである。
さっきからまともにお喋りもできていないのに、そこまでされては立つ瀬がない。
しかし彼の申し出を躱すだけの理由も術もない私は、ただ「ハンバーガー」という単語を絞り出すので精一杯だった。ゼノが「それなら僕も大好きだ!」と返事をくれたことだけが救いだ。
二人で空いていた席につくと、飲み物を持った千空がゼノの後ろを通りがかった。
「あぁ?……なんだテメーら、ようやくここまで来やがったか」
「ちょっと色々ね。ごめん、休憩時間短くなっちゃった」
「いやそっちじゃねえ」
半ば呆れたような視線を、千空は私とゼノに向けた。
「いい歳こいたオッサンが頑張って仕掛けてんのにどう見ても姪っ子かなんか甘やかしてるようにしか聞こえなくて見てるこっちのが怖ェんだよ」
「千空あとで少し良いかい?」
「休憩中ならな」
食い気味なゼノをあしらい、精々誤解されないよう頑張るこったと立ち去っていった千空の姿を何も言えずに見送る。その視界の端で、眉間を押さえるゼノに何と声をかけたら良いのかも分からない。
「要するにだ。見ての通りあまり構ってあげることはできないが」
「えっ、え!?」
「いや、すまない。今、初めて君の言葉の意味を理解した……」
私、スイカより年上です。どう見ても姪っ子かなんか。
千空が一息で言い切ったこと。やっぱりそんな感じに見えてたんだと私は少し安心してしまったが、ゼノにとっては青天の霹靂、不意打ちの爆弾のようなものであったらしい。
「大丈夫です。知りたいことが、知れたから」
彼に軽んじられたり本気で馬鹿にされていると感じたことは断じてない。自分の幼さや自信のなさをつつかれているような気がして、勝手に落ち込んでいただけなのだ。
無意識であったらしい自身の言動を思い返してダメージを受けているゼノがまともに喋ってくれるようになるまで、私はさっきとは全く違う擽ったさを味わっていた。
2022.4.17
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