※「ゼノ先生と祝福」の続き



あの人が、スタンリーが本当に見たかった光景はこれなのかもしれないと思った。
唯一無二の親友が何のしがらみも無く己の道に邁進できる世界。自分が友の隣に立てなくても構わないと、彼は本気で思っていたんだろう。だからこそ、今の私たちはこの場所にいることを許されている。

「それで、ゼノ先生は一体いつになったらお休みになるつもり?」

お互い朝から働き詰めだというのに、日付が変わって数十分経ってもゼノはひっきりなしにロケット造りの構想を説明してくれている。ただ好奇心でそうしているなら良かったが、実はそうでないと分かってしまうのもそれなりに付き合いが長いからであるというかなんというか。

「すまない、そろそろ休むとしよう」
「一緒にいると忘れそうになるけど……あの子たちほど若くはないからね。私もあなたも」
「随分と手厳しいじゃないか」
「そんな顔してもダメ」

今度は止められる内に止めておこうと思って、というのは心の中にとどめておいた。ゼノだってそこまで言わなければ分からないような人でもない。
人間は、何度も同じ過ちを繰り返す。しかし起こってしまったことばかりを悔いていても意味はないと、過去の経験から嫌というほど思い知らされた。
静かに掻き分けられた前髪の下にかつてあった古傷は、石化からの復活と引き換えに消滅した。見栄えを気にしたことはそれ程なかったが、その傷だけが私とゼノを結びつける呪いの証だった。傷がなくなっても彼が私の額を確認する癖は消えなかったようだが、それを私が泣いて喜んで良いのかは未だに分からなかった。

「面倒くらい見させてってこと。……スタンリーが戻る日まではね」

後を託された一人として私ができるのはせいぜいこのくらいだ。
どうしてそこまで傷付け合う必要があるの。あなたの正しさをどう受け止めたらいいのか、私には分からない。そんなことを言う権利も勇気も、あの時の私にはなかった。ただ、ゼノを追うスタンリーたちにしがみついていくことだけはやめなかった。

「先生、休む場所が違うと思うんだけど」

このまま大人しく戻るべき場所に戻るのかと思いきや、ゼノは私を通り越して我が物顔で私が休む予定のベッドに腰掛けた。

「何か問題でも?」
「何もかもが問題です」
「今更だと思うがね」

そういうことじゃないんだけれど。
言葉だけならゼノが正しい。ひとつ屋根の下で夜を明かそうが同じベッドで寝ようが、全て今更だ。でも、私たちが初めて何もないこの世界に目覚めてから今までずっと、そういった物事からは距離を置いてきた。あってもなくても問題はなかった。私にとっても、彼にとっても。

「その、寂しさを紛らわしたいのは分かる。でも……」

こういう時、どうやってやり過ごしていたっけ。分からないまま遠慮もなく、私は彼にその言葉をぶつけてしまっていた。

「寂しい、か。そうかもしれないね。だからこそ僕はこうして必死に名前、君の気を引こうとしているわけだ」

座り込んだままの彼の目の前に立つと、思いのほか彼の姿は小さく私の目に映った。当然といえば当然だが。
そのまま彼の脚の隙間に膝をつく。抱きしめる程の力はなく、しかし決して離しはしないと言わんばかりに彼の腕が腰に回った。

「ゼノ。私ね、」
「……まるでスタンが戻ったらいなくなってしまうような物言いじゃないか」
「…………えっ」

思わずゼノの肩を掴んで仰け反った。ゼノの発言もそうだが、自分がいかに彼を理解しようとせず突っ走っていたのかを自覚させられ、目眩がしたのだ。
この人は、大切な誰かの代わりを他人に頼むような人じゃない。かつて私に言ったじゃないか。目的のためなら、欲しいもののためなら悪魔にでも何にでもなると。
目が合って数秒もしない内に、ゼノは視線を横に逸した。

「いや、君がさらなる知見を得る為にどこかに行こうと言うのなら止めはしない。ただ……」
「待って待って待って」

肩だけでは足らず私はとうとうゼノの両頬に手を当てて固定した。これで相手を捕まえたのは、私の方だ。
私たちは落ち着いて話し合いをすべきだ。それは痛いほど分かっている。ただ、普段の彼らしくないような言葉を次々と並べられては流石に困ってしまう。

「確証がないまま行かせるのは嫌だ」

不服そうに私を見上げてくるゼノは、顔も発言もまるで拗ねた子どものようだ。

「確証が何なのか知りたそうだから教えてあげよう。君が何処に行こうと最後は必ず僕の元へ戻って来る確証だ」

口約束ならいくらでもできる。守ることも破ることも簡単だ。彼が欲しがるような安心が、私の言葉一つで得られるはずもない。簡単に言えるわけなかった。できるよ、だなんて。
それでもゼノが私に対して何らかの不安を抱えているというのなら、その不安を取り除けるのは世界でただ一人、私しかいない。

「ゼノ。私、怖かった」

だから、今まで彼に言いたくて言えなかったことをそのまま伝えることにした。
これまでしてきた自分の選択が正しかったのか、不安になること。切り捨てた選択肢にずっと後ろから睨まれているような気がすること。

「私の中の正しさを貫くことより、一人になってしまうことが、それも仕方ないと割り切れてしまいそうな自分が怖かった」

何もかもを失って手に入れたこの人の隣という地位を、他でもないこの人によって奪われ、無惨に捨てられてしまったら。かつて私が切り捨てた人のように、いずれゼノのことも過ぎたことだからと忘却の彼方へ追いやってしまうのだとしたら。
結局、今も昔も私は自分本意でしか動けないような人間だったのだ。ゼノを離したくない。離されたくない。それなのに、すぐそこに地獄の入り口が広がってることすら彼に告げられない。

「名前は、凄いな。僕の想像をいとも容易く超えてくる」
「そ、そう?なんでかな、あんまり褒められてるような気がしないのは」
「そんなことはないさ。これだけの言葉を……本人を前にして、目も逸らさず言ってのけるとは!」

それはつまりあれか、遠回しに恥ずかしい懺悔を聞かせるなという意味なんだろうか。

「疑われるのも無理はないが……ここ数年、僕の気持ちは思うように伝わっていなかったと認めるしかないようだ。おおこれではスタンにも呆れられてしまう」

頬をしっかり挟まれたままだというのに、彼はいつもの不遜な振る舞いを取り戻しつつあった。そのまなざしを除いては。

「そこまで名前に言わせたからには僕も応える義務がある。異論はないね?」

どうやら私の言葉以上のものがゼノには伝わってしまったようで、だけど疎ましいなどという気持ちは微塵もなかった。今のゼノがそう決めたからにはこちらも同じように覚悟を決めれば良いだけなのだから。
返事の代わりに、私は彼の額に祝福を一つ落とした。かつて彼がそうしてくれたように。

「…………君の意に、添えない可能性があるが」
「何を今更」

早速計画を崩されたと言わんばかりに寄せられた眉と眉の間の溝すらも、可愛いものだと思えた。



2021.12.30 Confession


back
- ナノ -