石神村に来たのは初めてだった。問答無用で詰め込まれた車からようやく解放され、胃袋から込み上げてくる何かを出さないようやり過ごし、ようやく落ち着いたところだ。

「ご気分はいかがですか、名前様」

フランソワが差し出してくれた水を一気に飲み干す。龍水の執事だというその人は、復活して早々石神村へと行ってしまった。徒歩で。
南さんが隠し持っていた復活液は、龍水にもゲンにもバレていたらしい。電話口で取り引きが成立してからは、私も南さんに同行していた。

「もう大丈夫。……ありがと」

カセキや千空、クロムが向こうで何か作業しているの見える。
何してんのだなんて割って入って聞くつもりはない。南さんがずっと望んでいたものを、今まさに彼らは作っている。

「フランソワ。あの、まだ残ってる?パン」

今すぐ口に入れるのは難しいけど、余っているなら一口くらいはかじりたい。なにせこういう食事は本当に久し振りだから。
「後でお持ちしましょう」と恭しく頭を下げられて、どう返事をして良いか分からなかった。こんなにしてもらえるような身の上じゃない。
フランソワが追加で持って来てくれた水をちびりちびりと飲みながら過ごしていると、千空たちの周りはどんどん人集りができていく。
泣いたり喜んだり怒ったり情緒が大忙しな南さんは、遠目に見ていても面白かった。本人に言ったらこってり絞られそうなので黙っていようと思う。






千空に会うのも実は久し振りだ。コハクやゲンはちょくちょく行き来をしていたが、千空は気球に乗ってから顔を見る機会がなくて、やり取りは全部電話だった。

「しばらく見ねえ間にやつれたか?」
「まあ、こき使われてるんで。おかげさまで」

千空も心なしかやつれているように見える。南さんが撮る記念の一枚のためにいじくり回されていたからだ。

「今夜は特に言うことないけど良いよね」
「大体同じモン見てっからな。今日はもう必要ねえよ」
「はぁ〜〜、やっっと休める」

移動距離が長くなれば疲れもその分溜まるし、車酔いまでしてしまった。でも数千年ぶりの現代食にありつけただけでもマシだったと言えるだろう。
千空たちは明日も航空写真を撮りまくると張り切っている。

「千空も早く寝れば」

まあ、言われなくても彼は寝るだろう。私はそうもいかないから、早めに一人になりたい。
今日も変わらず、日が暮れて夜が来た。日中あれほどあった眠気が、寝ようとすると散り散りになって消えてしまう。

「さっさとおねんねした方が良いのはテメーじゃねえのか」
「そうだね、おやすみ」
「あ?違えよ」
「何が」

千空は言葉を詰まらせた。いつも無遠慮なくせに、何かを躊躇っているような。とにかく嫌な予感がした。早くここから立ち去らなければと、頭の中で警報が鳴っているようだった。

「違うんだろ。いつも眠そうなんじゃなくていつも寝てないんだろ、名前テメーは」
「…………は?」

頭からサッと血の気が引いていくのが分かる。嫌な予感どころの話じゃない。千空の口から飛び出たその疑問は、一番問われたらいけないことだ。
だって、誰にもそんなこと言われなかった。これだけはうまく出来てると思っていたから。バレないようにしてきたつもりだったから。兄にも、南さんにも。
みんな思ってる。名前はいつも不機嫌で眠そうな面倒くさがりだって。

「な、んで」
「なんで?そりゃこっちのセリフだバカ。なんでンな重要事項すぐ言わなかった」

この人が何よりも重視してるのは効率だ。休むのも仕事のうち。それすらできない人間がどう見られるかなんて考えればすぐ分かる。喉がカラカラだ。

「いつからだ?人類滅んで数千年、こんだけ生活環境変わってんだ。どっかでそういうヤツが出てきたっておかしくもなんともねえが」

環境に慣れないならフランソワ、メンタル不調ならあのメンタリストにでも……と千空は次から次へと人の名前を挙げていく。
千空の思考を遮るように彼の名前を呼んだ。千空の疑問はもっともだ。でも、千空が想像するような真っ当な理由じゃない。

「千空言ったよね。やる気ないフリとかダセえって」

ダセえと思ったのは私だけど。同じことだ。
夜、どうしても眠れない。少し意識が遠退いたとしても、小刻みに目が覚めていつの間にか空が白んでいる。3700年前からずっと。
千空に見抜かれて動揺した。でも諦めがつくのも早かった。誰にも知られたくなかったのと同じくらい、誰かにぶつけてしまいたかったから。

「ただやる気ない人って思われてる方がマシだ。……誤魔化せないホントのことすら、信じてもらえないくらいなら」

千空の見開かれた二つの目に、この上なく惨めでダサい自分が揺れていた。





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