眠る前の一時間くらいは、何もせずぼんやりと過ごすようにしている。手も動かさず頭も動かさない。何も考えないよう、ただそこにある景色だけを目に映す。
そんなことができたら苦労はしないのだが。
「オイ呼吸止まってんぞ」
「なっ、あ……千空?珍しいこんな時間に」
いきなり無遠慮に背中を叩かれて、呼吸が浅くなっていたのを自覚した。猫背は何度も指摘されてきたが、なかなか直らない。
日本に戻ってきてからというもの、ロケット製作マシンにでもなってしまったかのように働き続けている千空。しかし私を見下ろす彼の表情からそこまで疲労の色を感じないのは、彼が自身の管理も考えて行動できる至極合理的な人間だからである。あとは、そもそもこういうのが大好きなんだろう。
「今日はもうお休み?」
「あぁ、別方向からの思索とクールダウンな」
「……ロケット製作マシン」
「なんか言ったか」
「別に何も」
千空はロケット造りの要だ。彼が考えなければいけないことは沢山ある。聞こえてなかったと思いたいが、構ってもらえず拗ねた子どもみたいな言い種を口にしてしまったのを後悔した。
「また止まってんぞ」
「え」
「息」
「不謹慎な言い方しないで」
正確には、止まっているのではなく浅いだけだ。鼻から思い切り吸っても、肺の奥まで息が入っていかないような詰まった感覚がある。それに気付いてしまうと、心臓がドクドクと嫌な音を立てる。
「まず背筋伸ばして胸開け」
「ひ、ひらく」
「そのレベルかァ?……ったく」
後で文句言うなよとか何とか、自分で文句を言いながら、千空は再び私の背中に手を当てた。肩を掴まれて後ろに引っ張られる。
「あ。なんか、広くなったような気がする」
呼吸をするよう促されて、言われるがまま吸って吐いてを繰り返す。何度か繰り返すうちに、姿勢や息の仕方の感覚が掴めてきた。
「分かったか」
「ん、なんとなく」
「こういうのは、体に覚えさせんのが一番早え」
千空の手が離れていく。支えを失った体を立て直すこともできたけど、そんな気持ちにもなれず、重力に引っ張られるように後ろに倒れた。
「寝るなら屋根のあるとこにしやがれ」
「分かってる。……ご親切にどうも」
狡いやり方をしている。千空は、このまま私を置いては戻れない。彼がわざわざこんな所に座り込んでいた末端の人間に声をかけて、しかも甲斐甲斐しく世話まで焼いて。千空の目まぐるしく充実した時間の中で、どういうわけか自分が特別な椅子に長いこと座らせてもらっている。
彼との付き合いもそこまで短いと言えなくなった今、その事実を否定して突っ撥ねるのは難しい。
「本当に飛ぶの?ロケット」
「飛ぶ飛ばねえじゃなくて飛ばすんだよ」
「全然迷わないんだな、千空は。今も昔も」
危険だと思う。幾度も爆発したロケットを見ながら、これに乗る人間は一体どれだけの覚悟を決めなければならないのかと背筋が寒くなった。
まだ決定事項ではないようだが、千空はきっと月行きの船に乗るのだと心のどこかで分かっていた。
「飛んで、行って帰って来て終わりじゃねえぞ。寧ろそっからやることが山ほどあんだからな」
船の時も似たような心配をしたような記憶がある。人類の大半がそうであるように、私も漏れなく旅立つ人が帰るのを待つ側に立っている。あの頃の私は今よりも更に素直じゃなくて、捻くれたことしか言えなかったけれど。
「……すきなくせに」
「あ?」
「すきなくせに。私のこと」
でも、千空は行くのだ。迷うこともなく。そうでなければ、私は彼からの気持ちを信じることなんて到底できなかっただろう。
「……分かってんなら、いい」
だから慣れないことはするなと額をつつかれた。手付きも言葉も乱暴なくせに、声色だけ微妙に甘いのだからむず痒い。
「ま、帰ったら1ミリくらいは進めとくか。……そっちも」
「千空それちょっとフラグっぽいよ」
「テメーのが不謹慎じゃねえか!」
千空の言うとおりやることが山ほどあるなら、彼はそのことだけを考えていれば良い。どうせこれからも、なるようになっていく。何処にいようと何をしていようと、私たちはみんな、共に転がり続ける石なのだから。
2022.5.7 Keep on Rolling
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