船内の温室に生い茂る木々には、オレンジ色をした実が鈴生りに付いている。
果物狩りなんてこの船の中では一二を争うくらい楽な作業に思えてしまうが、そんなことを考えているのは私一人だけではないらしい。
「良いよね〜船でも新鮮な果物食べれるって」
「まあね」
早速つまみ食いしそうな勢いで蜜柑をもいでいくゲンとは、体力を削られる作業が苦手という点で気が合っている。
なるべく楽をしたい。科学も効率重視なのだから私たちの思惑もあながち間違いではない。そういうことを千空に言ったら「屁理屈こねてんじゃねえ」と顔を顰められたけれど。
手頃なものを一つ手に取ると、柑橘類特有の香りがふわりと広がった。蜜柑はそれなりに食べるが、皮を剥くという工程だけはいただけない。これさえなければ、もいだそばから食べてやるのに。
片腕で抱えられるだけ取ったものを潰さないよう籠に入れていると、何やら入り口が騒がしい。天気の良い日は暇を持て余す人員も多く、ここを訪れる人がいても不思議ではない。
元気な声の正体はスイカと龍水だった。リーダー同士相談でもしていたのか、その傍らには千空までいる。団体ご一行様も仲良く蜜柑狩りというわけか。
「スイカちゃん良いところに来たねジーマーで!もぎたて蜜柑食べたくない?」
「うわ、子どもをダシにしてる」
「シーッ!そゆこと言わないの名前ちゃん!」
どうせゲンが食べたいんだろう。これだけあるんだから一個くらい食べたって誰も怒りはしないのに、回りくどい男である。
「いいの?」
「良いの良いの、俺が剥いてあげちゃう」
素直なスイカはゲンの手によって剥かれていく蜜柑を見つめている。そのまま一房受け取って口に入れると「おいしい」と顔をほころばせた。
そういうのを見ると、不思議と口が同じようなものを欲しがるから厄介だ。
「長い船旅で一番怖いものが何か分かるか?」
龍水からの問いかけに難破、嵐、食糧難と、ゲンとスイカが口々に答える。航海なんて怖いものだらけだ。二人が列挙しているものは全部正しい気がした。
「あーーどれも間違っちゃいねえが、今の流れだと正解はコレだな」
千空が手に取ったのは、蜜柑。連日の作業で荒れた指先が、ゲンと同じようにするするとその皮を剥いていく。
「ビタミンC不足」
「はっはー、正解だ!……簡単だったか?」
蜜柑といえば、もはやビタミンCを補える食品代表のようなものである。ビタミンというからには摂らないと何かがまずいような気がしてくる。それはゲンも同感なようで、彼も千空と龍水の話に耳を傾けていた。
「大航海時代真っ只中もビタミンC不足でざっと200万人は死んでんだ」
「にひゃく!?ヒ〜〜」
「大変なんだよ……!」
「恐ろしい病だが十分な栄養補給で防ぐことができる!その為の温室というわけだ」
スイカとゲンは二人揃って持っていた残りの蜜柑を頬張った。これで安心だねと顔を見合わせている。いつの間にか龍水も同じように幸せそうな顔をして蜜柑を食べていた。どうやら本当に蜜柑狩りに来たらしい。
「つうわけで名前、テメーも食っとけ」
そんな怖い話を聞かされては目の前に差し出された果実を受け取らないわけにもいかないが、一つだけ気になるものがある。
「……千空この白いやつも取って」
「あぁ!?」
後ろで吹き出したのはゲンだろう。
蜜柑のもっさりとした白い筋はあまり得意ではない。せっかく瑞々しい所を食べているのに台無しにされたような気がしてしまうからだ。
「テメーどんだけワガママ姫だ?……ったく、このくらい自分で取りやがれ」
「と言いつつ取ってあげちゃう」
ゲンのツッコミがすかさず入るが、このアルベドっつうのが栄養あんだよとかなんとか言いながら千空はせっせとアルベドというらしい白い筋を取り除いていく。
そんなこんなである程度白い部分が落とされた蜜柑が千空の手から私に移った。
ようやく手に入った蜜柑。しかも人に剥かせた蜜柑である。少し気分が良かった。
「どうもありがと。じゃあ……」
一房口に入れて、薄い皮ごと噛む。口の中で果実が弾けた瞬間、とんでもない刺激が襲ってきた。
「〜〜っ!?な、何これ酸っぱ!」
食べ慣れた蜜柑の味を想像していたのに、待っていたのはその期待を裏切りあざ笑うかのような酸っぱさだった。
口を押さえて悶える人間を見ながら爆笑している千空は相当悪趣味だ。
「あちゃー千空ちゃんの引きの悪さこんなとこにも出ちゃう?」
「他人事みたいにッ……」
千空もゲンも笑ってるしさっきからやけに静かだと思っていた龍水は何個目か分からない蜜柑を夢中で食べてるし。あわあわとこちらをうかがうスイカしか優しくない。
「クク、お毒味ご苦労なこった」
ダメ押しのように意地悪を言う千空が次に手にした蜜柑がこれ以上なく酸っぱいものであるようにと、願わずにはいられない。
「いやいやダメでしょお姫様に毒味させちゃ」
「スイカも名前を手伝うんだよ」
「大丈夫……スイカは違うの食べな。ただし千空以外がとったやつ」
捨てるわけにもいかない酸っぱすぎる蜜柑を完食する頃には、舌が酸っぱいもの耐性を手に入れてしまうような気がした。
2022.1.6
back