糸紡ぎを捨てたあと.2






 車に乗って向かったのは、近所にあるイタリアンレストランだった。コース料理の出る店だが、めかし込んで行くほど気取ってはおらず、私服に着替えたレオンもくつろげる。
 前菜はイベリコの生ハム、メインは牛フィレのグリル、パスタは牡蠣の乗ったペスカトーレ。平日なので混雑はしていない。おかげでゆっくりと楽しめた。食事の間中、エレフが大学で起こった妙な出来事の話をすると、レオンは微かに首を傾げて拝聴し、それってこういう事なのかなと他愛なく二人で推察を巡らせる。
 レオンはあまり仕事の話を出さない。もっぱらエレフの話を聞きたがる。少しくらい愚痴でも零さないだろうかと期待してあれこれ質問してみるのだが、どれも短い問答で終わってしまった。
「家では何か変わった事はない?」
「んー…ミーシャがバイトしたいって色々探し始めた事くらいかな……。ああ、それからスー兄さんから連絡が来てた。今度は海外だって」
 年の離れた長男のスコルピウスは、エレフが幼い頃から家を出て、学生寮に泊り込んでいた。そしてそのまま就職。時折家に帰ってくるが、元から口数の多い人ではないので、兄というより単なる親戚のような感じがする。
「そう。元気なら良かった」
 レオンの目元が微かに考え深げになった。自分が生まれる前、両親と二人の兄の間で何か複雑な事があったのだろうと昔から気付いていたが、詳しい事はあまり知らない。両親の経営する会社の跡継ぎが、長男ではなく次男だと小さい頃から決まっていたのは傍目から見てもおかしいと感じていたので、おそらくそのあたりに起因するのだろう。思い切って一度兄達に尋ねてみたが、スコルピオスは「家族は関係ない、単に早く外の世界で自分の力を試したかっただけだ」と答え、レオンも「兄上は自立心の高い人だからね」と微笑むだけだった。末の双子に隠しておきたい何かがあったのか。決して家族仲が悪い訳ではないし、スコルピオスが実家にいる時は普通にやり取りをしているのだが、何か小さな石ころが二人の兄の歯車に挟まり、その噛み合わせをぎこちないものにしているように見えた。
「私も行ってみたいな、海外。研修でなら機会があるかもしれないんだ」
「……仕事で行くんなら遊べなさそうだけど」
「案外そうでもないよ。最初の頃は私も研修三昧だったけれど、暇を見て観光も出来たし。兄上も、きっと何か面白い土産話を持ってきてくれるんじゃないかな」
 レオンは牡蠣の殻を避けてペスカトーレを器用にフォークに巻きつけながら、そうして話題を他へと移していった。


 食べ終えて店を出ると二十一時を回っていた。冷蔵庫に何もないのなら少しくらい食料を買っていけばと口うるさく提案したのだが、冷凍食品や朝食用のパン程度なら残っているから大丈夫だと言われ、そのまま帰宅する。マンションに帰り着く頃には心地よい車の振動のせいもあって眠くなってきていたが、寝ないでくれとレオンにせっつかれ、エレベーターに乗り、部屋に戻った。
「エレフ」
 戻った途端、腰を抱かれて引き寄せられる。耳朶に触れる唇に、びくっと肩が跳ねた。
 本当にこの切り替えの早さは賞賛ものだ。先程までは兄らしい保護者然とした態度で振る舞っていたのに、どこをどうすれば、こんな、欲の含んだ切ない掠れ声が出るのだろう。
「ま、待って、風呂は?」
「後でいい。どうせ汗をかくんだから」
「そりゃそうだけど」
「久々だから嬉しいんだ。エレフを甘やかしたくて堪らない」
「……出かける前はあっさりしてたくせに」
「あまりがっつきすぎると、体だけみたいじゃないか」
 エレフは腕を引き剥がし、やや語気を強めた。
「だったら、もう少し我慢しろよ。胃だってまだ消化しきってないんだし、少しくらいゆっくりしたいだろ。レオンだって明日仕事だし、さっさと風呂入って疲れを取った方がいいだろうが。それとも湯船にお湯が溜まるまで時間かかるのか?」
「……家を出る時に湯沸しボタンを押したから、そうでもない」
「じゃあ入れよ。あとお前、隠れて煙草も吸ってるだろ。匂いも取って来い」
「ばれたか」
 意識して整然と語ると、レオンは後ろめたそうに腕を離した。
「煙草、そんなに匂うかな。会社でしか吸わないんだけど……」
「何だよそれ。ストレスでも溜まってんのか?」
「いや、単に上司のご相伴」
 不意に職場の話が出たのでどきりとしたが、レオンはそのまま給湯器を確認し、先に入ってくるかとエレフに尋ねたので話題はすぐに立ち消えた。もう少し話したい気もしたが、レオンの気が急いているのは感じ取れたので、大人しく先にシャワーを浴びる。エレフとて時間を無駄にしたい訳ではない。
 ドライヤーで髪を乾かしているところで、レオンも風呂から上がってきた。煙草の匂いを落とすために彼も髪を洗ったようだが、数分タオルで拭うだけで充分に乾いてしまうらしく、既にさっぱりとした様子である。
「レオンは早く済んでいいな。同じくらい短くしたら良かった」
「これ以上したら、本気で私が駄々を捏ねるよ」
 レオンは熱風ごと掬い上げるようにこちらの髪を取ると、もう乾いてるじゃないか、と思わせぶりに後頭部へ撫で付けた。耳の横を大きな掌で撫でられて心地良さがじわりと滲むが、これから引き出されていくのは心地良さなどという平和なものとは真逆なのだろうな、とは察している。
 ドライヤーを切ったのが自分からの意思表示。すると、やんわりと後頭部に置かれていた手が、そのまま顔を引き寄せる確かな力に変わっていた。







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