姫と犬




Sirius×Eleuseus♀







 起きてよ、と懇願する少年の遠慮ない叱責で目が覚めた。
「シリウス、ねえシリウスってば!」
 奴隷部隊が憩う海辺の村。同居している弟分の声だと気付いたが、船旅から帰って久々に揺れない寝台の恩恵を味わっていたシリウスにとって、それは拷問でしかない。
「何だよマルコス……ちょうど寝ついた所だったのに……」
「アメティストス様の様子がおかしかったんだ!」
 その言葉で眠気が吹っ飛ぶ。飛び起きたシリウスは薄暗い室内にマルコスの焦燥に満ちた顔を認めると、慌てて問い返した。
「大将がおかしいって、一体何があったんだ?」
 しかし事情を聞いてみると、随分と漠然とした話だった。要は先程マルコスが炭焼き小屋の近くで彼の姿を見かけたのだが、ひどく顔色が悪くて今にも倒れそうだったのだ、と言う。何かを探している様子だったが結局諦めて家に帰ったようだ、とも。
「僕とじゃ言葉がよく通じないし、それに戦士でもない子供が出しゃばった事も言えないでしょ。シリウスが様子を見てきてよ」
 状況は読めなかったが、嘘を吐いたり話を誇張するような短慮な少年ではない。シリウスは首を傾げて外套を羽織ると、ひとまず様子を窺おうと足早に月明かりの道を辿っていった。
 やがて月桂樹の向こうにアメティストスの家が見えてくる。そう大きくもないが、華美を好まない彼の気質に似合って慎ましい住居だ。まだ起きているのか部屋の明かりが外に漏れている。
 扉を叩こうと腕を上げた所で、シリウスは顔色を変えた。
「こいつは……?」
 こめかみを手酷く殴られたように目の前が薄く眩む。床にぽつりと落ちていた物。これは、血ではないか。
 迂闊だった。何かの拍子で古傷が開く事も有り得るし、そうでなくとも怪我の多い生活なのだ。何があっても不思議ではないと言うのに、主人の変調に気付かなかったとは臣下の落ち度である。
「夜分に失礼します!」
 半ば叫ぶように言い放つと返事も待たずに扉を開けた。鍵を掛ける習慣など彼らにない。押し入った室内は以前と変わらず飾り気がなかった。
「な、シリウス……!?」
「大将どこか怪我でもッ……」
 仄明るい室内に白い肌が浮かぶ。床に座り込んでいるアメティストスは着替えの最中だったのか、片手に脱いだ衣服を持って硬直していた。
 かぁっと吊り上がる眉と紅潮する頬。存在するはずのない胸の膨らみが、そこにあって。
「へ、あ、……え?」
「……〜〜っ!」
 シリウスが事態が掴めずに意味不明の声を上げている間に、相手の顔がびくりと歪んだ。内股を赤い雫が小さく走る。
「おん、な……?」
「――ッいつまで見る気だ、馬鹿者がッ」
 容赦なく投げつけられた物が何なのか分からぬまま、シリウスは派手に家から叩き出された。





 * * * * * * * *






 一人旅の女ほど侮られるものはない。
 ごく一部の地域を除けば基本的に男尊女卑の世界である。盗賊に襲われて奴隷に売り渡される危険もあれば、縁起が悪いと船に乗せて貰えない事もあった。
 仕方なく布を巻いて胸を潰し、その上に外衣を着て誤魔化した。女にしては背も高く声も低かったし、意外に気付かれない。旅の生活は格段に楽になり、その後、奴隷部隊の頭目にまで成り上がった。
 しかし定期的に訪れる血の穢れだけはどうしようもない。今回の船旅から帰ったら月の物が来て服が汚れてしまったので、替えの服や痛み止めの薬はないかと備品を調べていたのだと言う。
「そんな訳だ。いずれ言わなくてはと思っていたんだが、こんな形でバレるとはな……」
 一度部屋を追い出された後、新しい服に着替えたアメティストスは眉間に皺を寄せて溜息を吐き、渋々そう告白した。床に滴った血も拭いたのか、誤解の種になった痕跡は残っていない。
 目の前の現実に頭が追いつかないまま拝聴していたシリウスは、はあ、とか、へえ、とか間の抜けた相槌を打つ事しか出来なかった。平謝りした後とは言え気まずい物がある。
 ――びっくりするほど強くて男前で凛々しくて自由をくれた恩人で奴隷部隊の賞賛を一身に集める自慢の主人が、まさか女だったとは。
 目の遣り場に困って視線を泳がせても、結局はアメティストスへ――特に胸元へと戻ってしまう。昼間は布で潰していたと言うが、今は外しているのか衣服の上からでも形が分かった。女性である事を主張する膨らみは正直に言って、大きい。
「おいシリウス。いくら信じ難いとは言え、そうじろじろと見る奴があるか。少しは遠慮しろ」
「いや、何だか未だ寝ぼけてんのかなと思って……やましい気持ちでは決してないです、はい」
「当たり前だ。妙な事をしたら叩き斬るぞ」
 あんな場面を見られて彼女も屈辱的だったのだろう。目尻は赤らんだままだが、先程から語気が荒い。
 今まで通りの男口調が女性の見た目にそぐわないような、でも妙に似合っているような……嗚呼そうか今の大将は噂に聞くアマゾンとかそう言う雰囲気に近いのかな女傑とか格好良すぎる、とシリウスの頭はどうでも良い事ばかり考え続けていた。
 しかし意識して見直してみると、確かにアメティストスは女性だった。整った顔立ちと言うのは男女の境なく似通った部分があるものだし、これまでは紫紺の外衣や背中を覆う長い銀髪に隠されていたが、チェニック一枚になった身体の線は可憐である。
「ええと、まあ、事情は分かりました。とりあえず俺は秘密にしておけばいいんですね?」
「そうだな……必要があって皆に教えるまでは黙っておいてくれ。機を見て考える」
「分かりました」
 少しずつ衝撃も収まって、ようやく頭も回るようになってきた。今まで仕えてきた将軍が女だとすれば部隊内でも混乱はあるだろうし、打ち明けるにしてもタイミングは重要だろう。アメティストスに惚れ込んだ者ばかりだから心配はないと思うが、念には念を入れた方がいい。何か手を考えなければ。
「それで顔が青いですけど、まだ調子悪いんですか?」
 胸に寄りがちだった視線を剥がし、シリウスは気を取り直した。奴隷として屋敷に働いていた時、周りにいた女たちから色々と生理中の苦労を聞いた事がある。触れない方がいいかと思ったが、血の気の引いた彼女の顔色が気になった。アメティストスは鼻皺を寄せて呟く。
「貧血なんだ。仕方ないだろ」
「ああ、なら横になった方が。それから後は……よし、俺が何とかします。少し待ってて下さいね」
 確か温めた方が楽になると聞いた気がする。シリウスは自室から厚手の毛布と、ついでに残り物のスープを温め直して持ってきた。
「そう大袈裟にするな。かえって重病のような気になるだろうが」
 スープを飲み終わって体を丸める彼女に二枚目の毛布を被せてやると、せっせと世話をされて複雑な心境なのか、むっつりとした文句が上がる。シリウスは布ずれを直してやりながら尋ねた。
「でも辛いんでしょう?聞いた所によると腹だけじゃなくて腰も痛くなると」
「毎月の事だ。酷いのは最初の二日だけだし、身体も鍛えているから痛みも並みの女よりは薄い。綿でも突っ込んでおけば血は止められるしな」
「さい、ですか……」
 具体的に述べられて返事をするのも困ったが、唇が青ざめているのを見ると言葉以上に痛むのだろう。膨らんだ毛布の形からも、身体を折り曲げて腹を庇っているのだと見て取れた。
 こればかりは男の自分には分からない。どうにか出来ないかなと室内を見回したものの、特に妙案は浮かばなかった。シリウスは手持ち無沙汰になり、ふと床に目を落とす。
 水を張られた底の浅い桶に、着替え終わった彼女のチェニックが沈められていた。おそらく血を洗おうと準備していたのだろうが、服を脱いだ所で自分が飛び込んでくると言うドッキリイベントが発生した為、そのまま放置されている。無性に申し訳なくなった。
「この服、良かったら俺が洗いましょうか?」
「……お前が?」
「大将は動くの辛いでしょうし、洗濯は得意なんで」
「………」
 無言になった相手に、デリカシーのない提案をしたかもしれない、と遅れて気付いた。男が思う以上に繊細な問題だったのかもしれない。
 しかし数秒して「頼む」と言った相手の声音に苦い物は感じなかったので、ひとまず安堵した。いい加減、余計な事まで口出ししてしまう癖を改めなければ。
 服に付いた汚れは思っていたほど酷くはなかった。水に浸していたせいだろう。軽く布地を擦り合わせただけで、桶の湖面に赤い染みがさっと広がる。普通の血と同じかとシリウスは気が楽になった。山羊の脂と木灰で作った石鹸もあるし、汚れが落ちなければそれも使ってしまおう。
「……気持ち悪くないか?」
 じっと押し黙っていたアメティストスが尋ねてきた。色の薄い神妙な顔が子供のように見えて、わざとシリウスは肩をすくめてみせる。
「俺だって母親の血にまみれて生まれたんですよ。それと同じだと思えば何て事は」
「無理はしなくていいぞ。何せ、自分で洗うのも気味が悪いんだ」
 アメティストスは毛布を軽く押しのけて上半身を捻ると、片腕を枕にしてこちらを見下ろした。シリウスが床に座り込んでいる為、ちょうど視線は同じくらいの高さになる。
「女は嫌だな。こうして月の物に苦しまなければならないし、胸は重いし、筋肉は付きにくいし」
「何言ってるんです。俺より強いじゃないですか」
「だが肉体的にどうしたって劣るのが悔しい。いっそ、余計な部分など削ぎ落としてしまいたいくらいだ」
 冗談かと思いきや、据わっている目が案外本気に見えてぎくりとする。言葉は淡々と続けられた。
「知っているかシリウス。アマゾンの女は弓を射るのに邪魔で、右胸を切り落とすのだそうだ。本当だか知らんが、興味深とは思わんか?」
「……幾ら何でも冗談が過ぎますよ、それは」
 シリウスは洗う手を止め、ちょっと片眉を上げた。
「いいですか。今は体の事も大変に思うかもしれませんが、そりゃーもー大将に似た可愛い子供が、いつかここから生まれるんです。ちゃんと労わってやんないと」
「………」
「しかも考えてみて下さい、愛した奴の子供ですよ。大将と、未来の旦那にそっくりの子供。そいつが自分を慕いながら近くでわーわー大きくなっていくのを見れるなんて、何かこう、幸せで堪らんでしょ?」
 だから変な事言わんで下さい、とシリウスは言い切る。説教っぽいかなと恥ずかしくなったが、まあ年長者としてこれくらい言っても罰は当たらないだろう。照れ臭い気持ちを噛み殺して相手の表情を窺った。
「……女で、幻滅しなかったか?」
 すると戯言だと笑う事もなく、アメティストスは声を弱めて聴き返してくる。ゆらゆらと火が燃える室内の明かりで菫色の虹彩が大きく広がって見えた。その淡い揺らぎに、誤魔化して答えてはいけないな、とシリウスは直感的に嗅ぎ取る。
「まあ、あんたに男惚れしてくっついてきた身の上ですし、驚いたのは確かですけど……幻滅はしてませんよ。むしろ女だてらに逞しいものだと頭が下がる思いですね」
 それに美人をがっかりさせちゃいけないと、何だか今まで以上に頑張れそうな気がしますし。
 そう告げるとアメティストスは、救えんほど馬鹿な男だな、と眉を上げた。呆れた声音が不思議と誉め言葉に聞こえる。やがて薄く微笑した視線がこちらを射抜いた。
 もしかしたら突然秘密を暴かれて、彼女なりに不安だったのかもしれない。気が晴れた凛々しい顔つきに、シリウスはやれやれと胸を撫で下ろす。どうやら自分は答えを間違わずに済んだようだ。
「じゃ、俺はそろそろ帰りますよ。洗った服は乾くよう掛けときますね。あと、寒かったら無理せずに何か暖かい物でも作って飲んで下さいよ」
 水桶を片付けて立ち上がろうとすると、寝台から伸びた手が服を強引に掴んできたので、うん?とシリウスは首を傾げた。
「どうしました?」
「腹が痛くて眠れん。暇だ。しばらく話に付き合え」
 横目で見上げるような形で髪を波打たせ、ぞんざいにアメティストスが言う。剥き出しになった柔らかな二の腕が眩しくて、さすがに困った。
「と言っても、さすがに女性の寝所にいつまでも居るのは……どうかと」
「ほう。お前は女だったからと言う理由で、すぐさま主人に手を出すような男か?」
「いやいや、そう言う問題じゃなくてですね……!」
「なら付き合え」
 澄ました顔で言い放つ彼女が惚れ惚れするほど男前で、両手を上げてシリウスは降参した。男だろうが女だろうが関係なく、この人には一生勝てる気がしない。
「……はいはい。あんたの命令には逆らえませんよ、姫さん」
 でも胸の谷間がちらちら視界に入って困るんですけど。
 床に腰を下ろしながらシリウスがそう言うと、逆を向いてろ馬鹿、と冷ややかな声が背を叩いた。






END.
(2009.01.03)

すいませんシリエレ♀で生理ネタでした。何かこの設定に急に萌えてしまって。「姫さん」呼びとか本当堪らん。


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