学パロ









 よく学園を舞台にした小説や映画では屋上が開放され、そこで生徒達がたむろしている風景が映し出されるが、実際はそう滅多に起こらない。防犯上の理由で扉はきちんと施錠されており、誰からも存在を忘れられているのが普通である。
 だからこそ屋上へ至る階段は穴場になっていた。掃除当番さえも怠けがちな場所は死角になっており、サボったりだの何だのと都合がいい。放課後、ローランサンは靴底でリノリウムの床を鳴らしながら踊り場を上がり、そこで友人の姿を見つけた。
 イヴェールは壁に背を預け、半ば寝そべるようにして階段に座り込んでいる。軽く折り曲げた膝には文庫本が開かれており、鼻先には買ったばかりの眼鏡を引っ掛けていた。フレームはやや太い黒縁で、髪やら肌やら全体的に色の白い彼にくっきりとした輪郭を持たせている。こちらには気付いていないらしく、ローランサンはわざとらしくスポーツバックを床に下ろした。
「本なら教室で読めよ。俺、ここで着替えるんだけど」
 どさりと音を立てたのが功を奏したのか、イヴェールは視線をこちらに寄越し、本の世界から意識を切り替えるように瞬いた。
「……更衣室は?」
「うちは柔道部と共同だから、この時間帯はアホみたいに混むんだよ。教室も女子がうるさいし」
「ふうん……大変だね。お構いなく」
 イヴェールは退く気がないらしく、気のない返事をしながら両腕を頭上に伸ばし、欠伸まじりに体をほぐした。まあ、別にいたところで着替えるのに支障はないが、ひとまず文句を言うのがローランサンも習慣になっている。踊り場で着替えると廊下から人に見られてしまうので、仕方なくイヴェールを跨いで屋上扉の前に進んだ。そこは他と比べて少しばかり足場が広い。擦れ違う際に軽く蹴ると、イヴェールも無言で蹴り返してきた。
「で、眼鏡デビューはどうだった?」
 下手に畳んで皺にならないよう、ブレザーの上着は既に脱いで教室に置いてある。ローランサンがシャツを脱ぎながら話しかけると相手も会話する気になったようで、文庫本に視線を落としながら、先程よりしゃんとした声で返事をした。
「ああ、そうだな、なかなか良いよ。黒板がはっきり見えるし、ノエルにも好評。黒縁が似合うのはイケメンの証拠だって誉められた」
「へぇ、そりゃあ良うございましたね」
「ただ慣れないから少し疲れたかも。見えすぎるって言うのも問題だな」
 あれだけ眼鏡を掛けるのは嫌だと渋っていたくせに、いざ導入してみると満更でもないらしい。ローランサンはシャツを脱いで胴着を着替えると(防具はさすがに部室だ)袴の帯を調整しながらイヴェールを見下ろした。本当に眼鏡が似合っているのか確認してやろうと思ったのだが、座り込んで広げている文庫本がやけにカラフルだったので、先にそちらが目が行く。
「何だよその本。高そう」
「現代短歌。国語便覧で紹介されてた本があったから、思わずね。確かに結構高かったな。中も色刷りだし」
「短歌ぁ?」
 カラオケの持ち歌になるならともかく、歌えもしない詩集、しかも短歌なぞに現役の高校生男子が金を払う意味が分からない。よく見ると文庫本は厚紙を使用しており、写真もたっぷりと挿入され、途中から文字色が変わる凝った装丁になっていた。イヴェールは本の話題になって気分が良くなったのか、膝を胸元に寄せて座り直す。
「そう悪くないよ。こういうのって下ネタもあっけらかんとして面白いんだ。『絶倫の・バイセクシャルに・変身し・全人類と・愛し合いたい』だって。上手いと思わない?」
「……うわー」
 弾むような57577のリズムは無駄に気持ちよく耳に届いたが、内容が内容だ。そんな短歌をさぞ感心したように音読するイヴェールにも問題がある。音楽的な彼の声は、短歌の持っている淡々とした味わいをどこか歪な方向へ歪めてしまっていた。ローランサンは背中に落ち着かないものを感じながら眉を寄せる。
「何だよそれ。変態じゃん」
「文字通りに取らないでくれよ。別にこの人はバイじゃない。実現しないただの思い付きだよ。だからこそ、そうでもして人と愛し合えたらもう少し世界は生きやすいのに、って言う悲哀が出るんじゃないか」
「本当に悲哀か?卑猥の間違いじゃなくて?」
「ああもう、切実さって言うか孤独って言うかさ……!」
 イヴェールはもどかしげに前髪を掻きあげた。以前も現代文の単元で中島敦の『山月記』が取り上げられ、一緒にテスト勉強をした事があったが、まったく訳が分からず「そもそも人が虎になるだなんて有り得ないだろ?」と指摘すると、そんな大前提から教えなきゃいけないのかと彼に愕然とされた記憶がある。
「いいよ、国語音痴の君に言った僕が馬鹿だった」
「間違っても女子の前では言うなよ。変な方向に夢見られるぞ」
「はいはい」
 釘を刺すと、イヴェールが溜息を吐いて本を閉じる。その際、肩に流れていた長髪がページの隙間に挟まれたのだろう。彼はそれを面倒そうに引き抜いて、読書は終わりとばかりに眼鏡に手を掛けた。その時、ちょっとした違和感に気付く。
「ちょっと待て、外すな」
 まず声で制し、続けて袴の裾をさばきながら近寄った。覗き込んでくるローランサンを驚いたように見返し、イヴェールが物言いたげに睫毛を震わせる。
「……何。君も僕の眼鏡姿が気に入った?」
「アホ。これ、フレームが曲がってんじゃねぇのか。微妙に傾いてんじゃん」
 眼鏡のブリッジを指先で押すと、ぐっと押し込まれたフレームが鼻の形に沿って左に傾いているのが分かった。イヴェールは罰が悪そうに顔をしかめたが、昨夜床に置きっぱなしにして軽く踏んでしまったのだと白状する。長い睫毛が瞬きをするたび、押し込んで距離が近くなったレンズの表面を掠めていた。
「これくらいなら別に気にならないよ」
「俺が気になる。あー、これ、何て言うっけ、鼻んとこのヤツ曲げれば直るんじゃねぇの?」
「……意外に几帳面だよね、君って」
 数ミリの傾きなのにとイヴェールはこそばゆいようして目を細めた。彼はたまにこんな風にして笑う。これだけ美形なのだからもう少しあざとく微笑めば威力は抜群だろうに、時々そうした容姿を自分でも忘れたようにぽろっと子供っぽく笑うのだった。基本的に優等生で鼻持ちならない猫被りなイヴェールがこうして笑うと、ローランサンもそのこそばゆさが移ったようになる。急ごしらえでしかめっ面を取り繕ったが、機嫌のいいイヴェールが急に両頬を包んで唇を寄せたので、せっかくの表情も披露する前に二人の間で隠れてしまった。
「……ん」
 キスは軽く触れるだけのもの。唇の先に相手の体温を感じたか、感じないかと迷う程度。
 と言うより、立ちふさがるフレームがそれ以上を阻んだからである。物足りなさを感じて自然と息を吸い、顔を横に傾け直すと、その合間にイヴェールが「眼鏡があると邪魔だって本当なんだね」と囁いた。一気に艶めいた彼の声音に何となく先程の不埒な短歌を思い出し、ローランサンは目を眇める。
「何だっけ……お前も『全人類と愛し合いたい』訳か?」
「まさか。そんな体力ないよ。卑猥だって言われるし」
 今は君だけで手一杯だと悪乗りして付け加えると、イヴェールはくすくす笑いながら首に手を回してきた。馬鹿なやり取りをしていると思う。けれど最も馬鹿なのは、そんな彼の切り返しに少なからず煽られている馬鹿な自分がいる事だ。まさか男相手に反応できるようになるとは思っていなかったと、こういう関係になった自分達を振り返る。
 学生時代の恋を大事にしなさい、と言った教員の言葉を思い出した。大人になると収入だ実家の状況だのと打算的になる。純粋に相手の人柄で恋に落ちたいのなら学生の時が一番だ、と。その貴重な時期を丸々この友人に使っているなんて、我ながら物好きだと思った。興味本位と勢いも後押しして、一線を越えたのはいつだっただろう。
 壁に両手を付いて身を屈めた。回されたイヴェールの腕で胴着の襟元が押し潰される感触がする。ローランサンは邪魔をする眼鏡を押し上げるようにして鼻面を寄せたが、やはり素直に顔を横に傾けた方が楽だと気付き、改めて口づけを深くした。
 こうなるとイヴェールは案外しおらしい。こんな関係になっても会話は相変わらずで、躊躇いなくローランサンをからかったり揚足を取ったりする事に全力を注ぐが、息継ぎの間さえ惜しんで唇を求めるローランサンをどこか安心したように受け入れている姿は妙に様になっていた。認めまい認めまいと理性も待ったを掛けるが、この友人が美しいのは周知の事実で、そしてそれ以外の美点や欠点をそっくり知ってしまったのが自分の運の尽きなのだ。
 名残惜しいが、そろそろ部活が始まってしまう。歯止めが利かなくなる前に体を離した。襟を正しながら続きは後だと言うと、イヴェールは膝から落ちていた文庫本を拾い上げ、意地悪く首を傾げている。
「どうしようかな。部活後のローランサン、臭いからなぁ」
「あれは俺じゃなくて防具の臭いだ」
「袴姿は良いと思うんだけどね。いつもより賢そうに見える」
 本当は、学生時代だって人柄だけで恋に落ちる事なんてないのだ。この友人は見てくれこそ上等だが性格は良くない。だから自分は人柄に惚れた訳ではない。けれど、どうにも替えが利かないところが悪質だった。
 俺って結構青春してるのかもと思いながら、ローランサンは渋い顔で屋上前の楽園を後にする。唇の端に、微かに噛まれた甘みが残っていた。







END.
(2012.04.09)

学パロ合同誌お疲れ様でした!(現代短歌引用:枡野浩一)


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