地上は未消化




Laurencin×Hiver










 自分だけで片付けられそうな依頼を請け負った時は、大概イヴェールに話さないままが多い。一人きりに慣れたローランサンにとっては手間のかからない、そして一番楽な方法だ。暗殺業は自分の領分だと端から決めていたし、いずれ赤髪を殺す日の為に腕を磨かなければならない。後ろ暗い依頼をイヴェールに説明するのが億劫だったせいもある。あれやこれやと心配され、あげく説教されたりするのは気が重い。
「お帰り、ローランサン。仕事はどうだった?」
「……知ってたのか」
「知ってる。お疲れ」
 けれど簡単に気づかれたその晩、機嫌がいいのか悪いのか今ひとつ判断に迷うような彼に出迎えられ、ローランサンは返り血を拭った掌が再び痛むような気がした。
「相変わらずだなぁ、君も」
 テーブルに頬杖を付いたまま、イヴェールは非難とも賞賛ともつかない口調で苦笑している。気だるげな表情からは何も読み取れなかった。
「怪我は?」
「ない。……悪かったな。その、黙ってて」
 隠し通すつもりだった物が暴かれてしまうと、今度は面倒な事になったと身構える。盗賊業は基本的に分担制が多く、二人が常に行動を共にしている訳ではなかったが、それでも相手に黙って仕事をこなしてきたとなると多少は罪悪感があった。イヴェールは盗賊と言っても無駄な争い事を好む男ではなかったし、自分達とは何の因果もない人間を屠る事には常に懐疑的な態度を取っている。盗むのは物品だけで事足りる、命なんて重たすぎて厄介だと。
 しかしローランサンの謝罪に、イヴェールはむしろ心苦しそうに首を振った。
「いや、いいんだ。怒ってる訳じゃない。僕が出たら邪魔だったんだろ。ただ、ちょっと……」
「ちょっと?」
「落ち込んだだけ」
 意外な言葉が出てきて、かえってローランサンは気圧される。何が言いたいんだろう。イヴェールは力なく頬杖を崩し、ずるずるとテーブルの上にもたれていた。
 説明を待ってみても続きを語る気配がない。うなだれた彼の銀髪は背中で絡まって渦になっている。反応に困ったまま剣を扉の前に立てかけると、その軋んだ音にイヴェールが小さく肩を跳ねさせた。
 人を殺した直後だ。怯えられたのかと思ったが、それを打ち消すように身を起こす相手の動作で、再び部屋の緊張が緩む。
「まあいいや、何もなかったんだから。僕の出る幕でもなかったんだろうし、安心した」
「……嫌味か?」
「いや、そのままの意味だよ」
 実際イヴェールの不安げな口調には、正しい事を正しく言おうと苦心している様子が現れていた。彼は焦れったそうに横髪を掻き上げ、とにかく座れと隣の席をぽんぽんと叩く。意図を汲み取って歩み寄ると、手を掴まれて引き寄せられ、突然ぎゅうっと抱きしめられた。
「っ、おい」
「あーあー…」
 たじろぐローランサンに構う事なく、イヴェールは深々と溜め息を吐く。シャツ越しに伝わる温度としなだれかかる腕の重さに、やんわりと体を縫い止められた。
「ローランサンは良い子だよ。うん、そう思う。見かけよりも真面目だしね。けど君の事、七割は好きだけど三割くらいは嫌い」
「……ああそう」
「せめて八割くらいは好きにならせてくれよ。話してもくれないなんて酷いじゃないか」
 抱きつくイヴェールからは常とは違う甘い香りがした。髪や肌の匂いでもない。もっとはっきりとした果物の香りだった。もしかしたらと、背後から回した腕で相手の顔を引き離す。
「酔ってるだろ、お前」
「っ、ぅ……」
 ちょうどイヴェールの口を押さえる形になったせいで、答えようと動いた舌がぬらりと艶かしく指の腹に触れた。やはり酔っているのだろう。だいぶ熱っぽい。上手く喋れない事に気づいたイヴェールが哀れっぽく呻くと、その舌もまた小さく動いて、くすぐったい以上に不穏なものを走らせた。
「……飲みたかったんだよ。ローランサンには置いてかれるし、暇だし、ワインも買ってあったから。君が死んで帰ったら弔いの酒にしてやったのに」
 言い訳とも皮肉ともつかない言葉が紡がれ、指の下で動く。酔いのせいか彼の目は気だるく潤み、何日も眠っていない人間のように見えた。
「あー…」
 何となく腰を屈めてキスをすると、また一つ大きな溜息を吐かれる。
「嫌だなぁ。こうして誤魔化されるんだ」
「……じゃあ止めるか」
「それは尚更悪い。君は誤魔化さなきゃ駄目だ。どうせまた同じ事を繰り返して死ぬほど心配させるんだから、安心させる努力くらいするべきなんだ」
 酔っているせいでイヴェールの口数は多く、体の芯もどこか安定しなかった。唇が乾き始めている事に気付いて軽く舐めてやると、微かな逡巡の後、イヴェールが腕を回して試すように舌を突き出してくる。酒の味がする舌だった。様子を窺って互いに目を開け、落ち着かない、唾液を舐め合う淫らな音が夜を溶かす。
 落ちてきた邪魔な前髪を掻きあげてやると、自然と唇が離れた。それでも額と額を合わせているので互いの呼吸はすぐそばにある。額から生え際をなぞって耳元にまで指を這わせると、イヴェールは抵抗らしい抵抗はせず、ローランサンの動きに合わせて緩慢に顔を仰け反らせた。
「……やっぱり何か目が回るかも」
「変な酔い方してんな」
「だって、さくらんぼだったんだ」
 表情を曇らせた彼は、ローランサンの顎に甘く歯を立てた。言い聞かせるように囁く。
「ワイン……さくらんぼの。甘すぎるよ、僕には少し」
「悪酔いか」
「かも」
「吐き気は?」
「……そっち系ではないから大丈夫」
「ふーん……」
 どこで飲んできたんだろうかと、声に出さない疑問を喘ぐ彼の吐息ごと飲み込んだ。尋ねてしまうと罪悪感も深くなる。けれども彼らしくない下手くそな酔っ払い方に、言葉では届かない場所にやんわりと触れられた気がして心が騒いだ。
 塗れた唇を僅かに開いて相手の下唇を噛む。ん、と鼻に掛かった呻きとも吐息ともかない声が振動で伝わった。音は空気の奮えなんだと彼が以前言っていた事を思い出す。
 けれども急にイヴェールは腕を突っぱね、やっぱり止めた、と。
「止めよう。もう眠い」
「……おい」
「嫌なら一人でやってくれ。僕は二日酔いになりたくないんだ」
 甘さを振り切る投げ遣りな台詞で唇を拭うと、彼はふらふらと椅子から立ち上がって自分の寝台に向かった。彼はローランサンを避けるように顔を背けてブーツを脱ぎ、布団の中に滑り込む。見えない壁が立ちふさがるのを感じた。
 話し合いにしても仲直りにしても中途半端な終わり方だなと苦笑まじりに考えていると、枕元の火を消したのだろう。部屋が一段階暗くなった。無理やり襲う気もなかったので仕方なくローランサンも身支度を解き、最後の蝋燭を消すと、血の付いた胴着を脱いで布団に潜り込む。
 隣では、イヴェールの後ろ頭が闇の中で白く浮かんでいた。こちらに背を向けて横になった彼は、鳥が羽根を折りたたむように小さく肩を丸めている。
「……君がもう少し図々しかったら良かったのに」
 どのくらい経ったろう。暗闇の中で声がした。
「僕の事なんか道具みたいに使って、殺しでも何でも手伝わせたのなら、もっと上手く軽蔑できたのに」
 ぼんやりとしたイヴェールの言葉には屈辱と哀切と、そして僅かな安堵が込められて複雑な色合いを帯びている。どれが彼の本心なのか判断に迷い、どちらにせよ自分は返す言葉を持たないのだ、とローランサンは気付いた。黙って仕事に行ったのは悪かったかもしれないが、自分だけが間違っているとは思わない。足手まといの人間を連れて行く余裕はないのだ。
 ――七割好きで、三割は嫌い。
 すとんとその言葉が腑に落ちる。確かに自分だって同じだ。イヴェールの事を七割程度は気に入っているが、他は癪に障るし扱いにくい。何を望まれているのか分かったところで、それに応えられるだけの器が自分にはないのだ。もどかしさと自己嫌悪で胸が濁る。
「……道具にしては使い勝手が悪すぎるんだ、お前」
 かろうじて告げると、闇の底でイヴェールが短く息を漏らす気配がした。笑ったのか怒ったのかは分からない。
 ――やはり強引にでも抱いておけば良かった。そうすれば少なくとも、向かい合った彼の表情から何か分かったろうに。
 期待も込めず、寝転がったまま隣の寝台に腕を伸ばした。指先にイヴェールの髪が触れるが、絡み取れるほどの距離には至らない。名残惜しいと同時にほっと胸を撫で下ろす自分もいた。気付かれないままで済めば何事もなく眠りにつける。例え全てが消化不良だとしても。
 だがローランサンの動きを察知し、イヴェールは面倒そうに寝返りを打った。するすると掌から銀糸が離れていく代わりに白い相貌がこちらを振り向き、微かに空気が張り詰める。
 相変わらず綺麗な顔だ。無表情になると殊更それが際立つ。だが人形めいた彼の顔立ちも、ローランサンは三割ほど快く思っていない。おそらくこれは人間の持つべき美ではないのだ。長くは世界に残らない。
「――君を」
 物憂げにイヴェールは言った。
「物凄く殴りたい時があるよ、ローランサン。でも面倒だな。同じくらい抱きしめたい時もある」
 おいで、と彼は布団の縁をめくりあげた。それは寒さに凍える犬猫を招き入れるような気安い動作だったが、ローランサンが隣に来ると腕を絡め、肌の感触を確かめるように首筋へ鼻をすり寄せてくる。一旦拒んだのは彼なりに許せないものがあったのだろうか。リネンの寝具の間にはイヴェールの髪の匂いが滲み込んでおり、息を吸うと喉の奥まで一杯に流れ込んでくる。
「……俺達の友情ってうざったいよな」
「何を今更」
 近すぎる距離を口実に頬を寄せて呟いた。このまま眠ってしまっても良かったが、躊躇いを振り払うように覆いかぶさった方が手っ取り早い。イヴェールは怯んだ顔で眉を寄せたが、やがて誤魔化しを受け入れる為に両手を差し出した。長い指先が闇の中に浮かび上がり、互いの欲と、誠意を手繰り寄せていった。





「……っ、ぅ、んっ……」
 濡れそぼった卑猥な音が響く。組み敷いた肌からは汗と酒の匂いがした。両脇に手を付いて深々と熱を打ち込むと、引きつったイヴェールの脚が縋る場所を求めてわななく。上下する胸には解けた髪が張り付き、睫毛に滲んだ涙は忙しなくシーツへ零れ落ちていった。
 ローランサンは沈めた腰を重く引き出し、その姿を見下ろしている。芯を持った彼の中心がこちらの下腹に擦れると大袈裟に跳ね、背中に爪を立ててきた。いつになくゆっくりと事を進めているせいで彼の中は熟れており、火照って絡みつく柔肉は着実に快楽を煽る。
「は、ぁっ……」
 乱暴な事は何一つしていないのに、何度拭ってもイヴェールはしゃくりあげるのを止めない。朱に染まった悩ましい表情からも感じているのは確かなのに、無理やり脚を開かせている錯覚に襲われた。ぞくぞくと波を作って走り抜ける官能とは裏腹に負い目は強くなり、喉の渇きが酷くなる。
 酒が入った夜にしては珍しく、その日のイヴェールはあまり声を出さなかった。泣く息を荒くさせるばかりで、じっと唇を噛んでいる。まるで口を開ければ言い争いの種を生むと恐れているように。
 彼が何を意地になっているのか、ローランサンにも分かっていた。端からイヴェールを当てにせず勝手に仕事を受けた事や、そしてそれをまた繰り返すだろう事――。
 だがイヴェールはローランサンと言う人間を既に知りすぎている。だからこうして身を投げて、諦める事に慣れようとしているのだ。
 快楽はその名の通り、楽しみの為にするものだった。少なくとも今までの自分達はそうしてきた。けれど人と人の間には、どんなに不満があっても触れているうちに受け流せる事柄があって、それは愛着を確かめる儀式にも繋がっていく。例えそれが一時的なものに過ぎなくても、わだかまりを溶かす為に必要な堕落を今、二人は求めていた。
「……イヴェール」
「っぁ、ふ、」
 片脚を抱えて肩に担ぐ。弱々しく目を開いたイヴェールが背を反らせ、びくりと下腹を強張らせた。
 引き締まる後孔に猛った自身を押し込むと、弱い所に当たったのか泣き声が上擦る。根元まで緩やかに突き立て、引き、また埋めると、ゆっくりと焦らされる刺激に耐え切れなかったのか恥じらいと怒りが混じった視線がローランサンへと向けられた。彼は自ら腰を擦り付け、もっと動いて、と続きを促す。
 複雑によじれた興奮の前で言葉を交わす余裕はなかった。腰を押さえていた手を片方離してイヴェールの前を握り締める。充血して濡れそぼる先端は刺激に反応し、ひくひくと蜜を零した。
「……ぅ、んぁっ」
「なあ。なんで今日、あんま声出さねぇの」
 先端の割れ目に軽く爪を立て、追い詰めながら尋ねる。イヴェールは訴えるような目でローランサンを見上げたが、尚も歯を食いしばったまま答えようとしない。諦めて零れる先から涙を舐め取ってやると、ひんやりとした塩味が舌先に広がった。イヴェールは甘さの残る顔を歪め、止めてくれ、と口を開く。
「やっぱり君は酷い。こんな時にも泣け、なんて」
「……言ってない」
「言ってるようなものだよ。わざわざ、構わなくていいから」
 彼は赤い目元を手の甲で拭った後、ローランサンの顎を取って噛み付くように口付けた。彼らしくない荒々しい舌遣いに意識を奪われそうになる。だが中途半端に乗り出した姿勢を立て直そうとローランサンが腰を近づければ、奥を抉られる快感に彼のキスも緩んだ。
「……う、っ――…」
 切ない表情を目で追う。色違いの目からは押し出されたように再び涙が溢れていた。気負っているイヴェールの虚勢を崩す為、焦らす事は止めて接合部を荒く揺さぶる。
「ひっ……ぁ、あ、や」
 途切れ途切れの悲鳴が上がった。視界には入らなくとも、頬や下腹部の湿った感触が彼の痴態を伝えてくれる。ぐちぐちと湿った音も興奮を刺激して、麻痺するような倒錯感を連れてきた。上下に揺れる髪の毛の感触が頬をくすぐる。
「……っ」
 涙を拭うのは嫌がるので、腰を休めぬまま、産毛を逆立てるように首筋から耳の裏を舐めあげた。身を捩ったイヴェールが喉を仰け反らせる。耳たぶを甘く噛み、尖らせた舌で中をねぶると、切羽詰ったように肩口にしがみ付いてきた。
「だ、だめだ、耳っ……!」
「大丈夫。駄目じゃないだろ」
「――ゃ、ぁああっ」
 耳元に囁きながら最奥まで腰を進めると、本当に限界が近かったのだろう。背中を震えさせて耐えようとしたが、耳元の声が合図だったようにイヴェールは体を縮め、揺さぶられるまま絶頂を迎えた。締まる内壁に促され、ローランサンも中に放つ。注ぎ込まれる感覚が強すぎるのか、投げ出された彼の手足が小さく跳ねた。
 戯れ合った余韻はなかなか去らない。しばらく二人してぐったりしていると、イヴェールが唐突に腕を振り上げた。
「ああ……もう、なんでこんなに泣きたいんだろう。馬鹿みたいだ、何で君が偉そうなんだ」
 顔を覆い、彼は弱々しく捲くし立てる。
「大体、何故いつも中に出すんだよ。気持ちいいけど、どうせ僕が夜中に一度起きて後始末をしてる事なんて君は知らないんだ」
「……悪い」
「こんな時だけ簡単に謝るし、ああ、もう」
 もしかしたらまだ酔っ払っているのかもしれない。イヴェールは投げやりに言い放ち、癇癪を起こしたように乱暴に目元を拭った。
「それでも、こんな君でもいてくれた方がいいんだ。いつも、いつだって」
「――ごめん」
「慰めないでくれ。情けなくなる」
 イヴェールは背を向けて、もうローランサンを見ようとはしなかった。裸の背中が強情にそっぽを向く。仕方なく背後から腕を回して彼の肩に顎を埋めると、僅かに身じろいだものの振り払われはしなかった。そのまま場所を落ち着けると、やがて互いの体温が馴染んでくる。目の前を流れる銀髪を意味もなく片手で掬い上げ、ローランサンは苦く眉根を寄せた。
 ――イヴェールも人並みに傷付くものなんだな。
 しかしこんな姿を見せられても、自分が同じ事を繰り返すのは分かっていた。口先だけの約束もできない。違う仕事を受け持つ機会はこれからも起こり得る。
 彼を置いて、磨く剣だけを携えて。死神を殺す日まで妥協できないまま、捨てきれない自尊心の為に――。
 また明日になればイヴェールは気の置けない相棒の席に座ってくれるだろうか。身勝手な願いを遠ざけるように夜の静寂は何もかもを曖昧にし、部屋にこもった精液と汗の匂いを拡散させていった。






END.
(2010.11.25)

最初はコメディエロのつもりだったんですが何故かシリアスになってしまいました。でも前々からこういう二人も考えていたので、良い機会だったのかもしれません。

友情も愛情も面倒。もやもやする。でも離れない。



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