タルトとカード










 その晩、コルテスとイドルフリードが各々クリームタルトを三つもたいらげたのは、特別に腹が減っていた為ではない。酒を飲み、特別に気が大きくなっていた為でもない。
 その料理店は港の店にありがちな、地元民以外には由来が分かりにくい名前をしていた。『銀の口笛亭』と言う、何が銀でどのあたりが口笛なのかさっぱり分からない店名である。店内で銀と言えば天井からぶら下がった蝋燭の覆いくらいだったが、それも煤ですっかり汚れており、口笛に至っては例え吹いたとしても酔った人間のとめどないお喋りと調子外れの歌に掻き消されてしまう始末だった。しかしそこそこ料理が美味く手軽だったので、二人は久々に陸の食事を楽しみ、毒にも薬にもならない会話を繰り広げていたのである。
 クリームタルトを大皿一杯に乗せた若者が店にやってきたのは、目の前の料理をほとんどを平らげ、残ったものをフォークでつつきながら改めて酒とつまみとの配分を考え直していた頃だった。
 どうも持参の菓子らしい。若者は大皿が傾かないよう注意しながら客の間を回り、一人一人にタルトを勧め始めた。面白がって受け取る者もいたが、当然ながら突然の勧めに気味悪がって断る者もいる。すると若者は残念そうに引き下がり、わざと滑稽な口上を述べてから、自分でひとつタルトを摘み上げて食べてしまうのである。
「見たまえ。どうも我々が海に出ている間に、陸では随分と妙なサービスが流行り出したようだよ」
 興味を惹かれたらしいイドルフリードが、空になった皿をテーブルの脇に押しのけながら話題の人物を指し示した。
「滑稽だと思わないかい。酒場の男より茶会のご婦人方に振舞った方が余程有益だろうに。酒で舌が麻痺している連中ばかりだぞ」
「慈善事業か、もしくは何かの賭けで負けたんじゃないか。そうでもなければタルトをタダで振る舞う理由が見つからない」
 反対にコルテスは素っ気ない。若い娘ならともかく、男に菓子を恵まれるのはぞっとする話だと考えていたからだ。普段ならイドルフリードもその考えに賛同しただろうが、酒が入ってくつろいでいる為か、目に付くものは何であれ首を突っ込みたがる悪癖を発揮していたのである。
 若者はあまり利口そうには見えなかったが、だからと言って決して粗野な風貌ではなかった。大皿に乗ったタルトを几帳面に揃え、懸命に声を掛ける様子から気弱な性格が窺えたと言うだけである。船に乗せたら最初の一時間で仲間の洗礼を受けてこっぴどく落ち込み、真面目に考え込んだあげく、冗談の言い方を忘れそうな人種に見えた。
「すみません」
 イドルフリードの視線に気付いたのか、順々にテーブルを回っていた若者は遂に二人の場所まで辿り着くと、いやに礼儀正しく声を掛けてきた。
「お初にお目にかかりますが、召し上がってはいただけませんか?味は保障します。何せ夕方からこの調子で、もう二十七個も自分で食べているんです」
「ほう。それはそれは……気の毒に」
 イドルフリードは心にもない相槌を打ち、ゆっくりと相手を値踏みする視線を投げかけた。
「ではひとつ頂こうか。君自身がそれだけ食べたとなれば毒ではなさそうだ」
「毒なんて!」
 若者はぎこちなく笑い飛ばし、そんな上等なものが手に入るようであれば母親の股ぐらから出てきた時にすぐさま飲んでいますよ、と捨て鉢な軽口を吐いた。イドルフリードは愛想よく笑い返しながら大皿の中から一番形の綺麗なものを選び出し、「ほら、君も食べたまえ」とコルテスにも促す。先程から胡乱に若者を観察していたコルテスは片頬を引き攣らせたが、船乗りにとって多少出所が怪しくても毒入りでもない、そして腐っていない菓子を食べるのは朝飯前だった。一口大のタルトをぺろりとたいらげると、さて、これは何の余興なのだろうかと様子を窺う。
 しかし若者は説明をする気はないらしく、さっさと次のテーブルに移動しようと踵を返しかけた。すかさずイドルフリードが制し「君の話を聞かせてくれたら、もうひとつタルトを食べるのもやぶさかではないよ。どうも込み入った事情があるようだからね」と提案する。
 すると若者の顔に複雑な色が過ぎり――その中には厄介な人間に捕まったのではないかという不安と、もしかしたら自分の助けになってくれるのではないかという期待が浮き上がっていた。それは店中に菓子を配ると言う酔狂とは不釣合いの、些か深刻すぎる顔だった。
「では協力していただけますか。このタルトを全部配り終えれば、僕はようやく自分の人生に幕を引く決心がつくんです」
 と、謎めいた事を言い出す。コルテスとイドルフリードは互いにちらりと視線を合わせ、無言のうちに結論を出した。即ち、二人とも大皿からタルトをつまみ、若者に先を話すよう促したのである。本来なら二人とも無闇に他人の事情へ踏み入る人間ではないが、自由を愛する海の男も時には陸に住む人間の泥臭さを好ましく思う瞬間があるのだ。まあ、変わった話が聞けそうだと不謹慎に面白がった気持ちも否定できないが。




* * * * *




 身分違いの恋に落ちた若者は、叶わぬ想いに世を儚み、放蕩三昧の末、遂に死を願うようになった。
 しかし自殺は罪である。カトリックの教えにどっぷり浸かって生きてきた人間には、そう簡単に踏み出せる道ではなかった。そんな彼の耳に興味深い噂が飛び込んできたのである。
 それは財産が残り僅かになった者だけを迎え入れるクラブの存在。そこに入れば、神の目を掻い潜って天国の門を叩くきっかけが手に入るのだと――。
「僕はその話に飛びつきました。そこでクラブの入会金だけを残して、とびっきり愚かな振る舞いで使い切ってしまうつもりだったのです」
「成る程、それでこれを山ほど買ったと言う訳か」
 三つ目のタルトを頬張りながら、イドルフリードが呆れた顔で確認を取った。大皿に乗っている数は残り九つにまで減っている。
「金の使いどころが間違っている気がするがね。人生最後の放蕩ならばもっと華々しいものにすべきだ。そもそもひとつの恋に破れたからといって、全ての女性の寝室の扉が閉まった訳でもあるまいに」
「それより、そのクラブというのは?」
 敬虔なカトリック信者であるコルテスは、事の成り行きを察して不機嫌になっている。若者は途端に俯き、極秘のクラブだから軽々しく詳細を話す訳にはいかないのだと言葉を濁した。酒を飲ませて宥めすかしても口を割らない。とうとう焦れたコルテスは懐から紙幣を取り出すと、壁に取り付けてある蝋燭に翳し、めらめらと燃やしてしまった。
「さあ、これで破産仲間だ。そのクラブとやらに行きたい。聞かせてくれるだろう?」
 灰になった紙くずが床に落ちる。イドルフリードは目を丸くした後、ひゅうと口笛を吹き、友人の思い切りの良さに喝采を送った。




* * * * *




 若者と共に辻馬車に乗って辿り着いた先は、ごく普通の――しかしそれなりに資産があるに違いない邸宅の門前である。クラブの人間の紹介がなければ入れないらしく、二人はまず戸口で待たされ、若者が何事か門番を言い包めてから、ようやく中に通された。武器を取り上げられ、ついで参加費を払う。
「自殺クラブ、ねぇ」
 イドルフリードが好奇心半分呆れ半分と言った具合に呟いた。
「銃を自分の口に突っ込む事もできない低脳の集まりか。詳しくは主催者から説明があるそうだが、どうにも胡散臭いな。いわゆる自殺幇助と言う奴だろうか。フェルナンド、どう思う?」
「本当だとしたら神に対する冒涜だ。確かめなければ」
「ふふ、君らしい」
 眉間の奥で憤怒を燃やすコルテスを横目に、ころころとイドルフリードは笑う。彼は首から十字を下げながらも信仰心の欠片も見せず、むしろ弄ぶように胸の上で跳ねる装飾品を廊下の光に晒していた。ちゃらりと十字が服の金具と擦れる様子は、捕まえた虫を糸に括り付けて爪で弾く子供の遊びにも似ている。
 部屋は暖炉を中心に開けていた。食事を並べた卓の前で二十人近い男達が思い思いの格好で酒を飲んでいたが、顔見知りの者は少ないようで、雑談の合間には死を前にした者特有の神経質な馬鹿笑いが起こっている。男達は何事か話していたようだが、コルテスとイドルフリードが部屋に入ると視線を向け、どのような経緯でこのクラブに来たのか知りたがった。誰もが自殺を考えてやって来た人間だけに、最後の最後で人と話す俗な遊戯に飢えているらしい。部屋の雰囲気は意外に明るく、陽気とさえ言えた。
 イドルフリードは癖のある男だが、やろうと思えばどこまでも如才なく取り繕える男である。彼は自分のものだけでなくコルテスのぶんも即興で作り話を披露し、いかに過酷な運命が自分達を襲ったのか、面白おかしく語り上げた。続いてタルトの青年も身の上話を語り出す。コルテスは壁際で黙り込んでいたが、見ようによっては彼が一番この場で死について真剣に考えているように見えた。酒が入っているせいか、部屋に集まった男達はどこか祭の前の人間のように浮き足立っている。
「それで、つまりここはどういう事をするんだね?」
 一段落ついた後、イドルフリードが尋ねた。
「それに破産者だらけのクラブにしては、この料理も随分と贅沢だな」
「最初に参加費を払っただろう。それで最後の晩餐と言う奴さ」
 酔っ払った中年の男が答える。
「しかし、今日が最後の日になるとは限らない。実が私もここにきて遂に一年になるんだ」
「一年も?」
「運が巡ってくるまで、何度も通いつめるんだよ。毎晩、ここでは犠牲者と処刑人をカードで決めるんだ。会員同士で役を振り分けるんだよ。それから漏れて命拾いしても、ここにいれば会長が最低限の宿と食事を提供してくれるんでね。そして運が巡って犠牲者のカードが来たら――」
 男は人差し指を立てた拳をこめかみに当て、おもむろに跳ね上げた。
「ずどん、と一発で天国さ!」
 そして喉を震わせて大笑いする。生死を軽々しく言い捨てる男にコルテスの顔が不機嫌に曇ったが、わずらわしい馴れ合いを避けて壁際にいる彼に目を留める者はいない。唯一イドルフリードだけが苦笑交じりの目配せを送り、友人の言葉を代弁するように口を開いた。
「成る程。自殺するのが罪なら、お互いが殺し合う事で罪のカードを擦り付け合う……と言う事か。まさかババ抜きのルールとはね。人生最後の道楽とは、君達は本当に遊び心を知っていると見える」
 皮肉交じりに彼は武器を吊っている腰元に手をやった。屋敷に入る時に預けたので現在は丸腰だが、まるでそこに見えない剣があるような仕草だった。
 やがて主催者の部屋に招かれる時刻になる。列を作って奥の部屋に進むと、そこには椅子の並べられた長テーブルがあり、窓を背にした上座の席に老年の男が座っていた。手の中に何かを持っており、しきりとそれを弄くっている。彼がクラブの会長らしい。
 老人はいがらっぽい声で挨拶し、簡単な前口上の後、手の中のものを慎重に卓上に置いた。先程の中年男が改まった口調でイドルフリードに耳打ちする。
「五十二枚組のトランプだよ。スペードのエースが犠牲者、そしてクラブのエースがその執行人だ」
 イドルフリードはひとつ頷くと、血気のいい友人の様子を確認した。この頃になると誰もが青ざめて押し黙っていたが、コルテスは先程と同じ不機嫌な表情のまま椅子に座り始めている。タルトの若者は可哀想なほどに緊張しており、今にも腹に詰め込んだ最後の晩餐を戻しそうに見えた。イドルフリードは最後にざっと部屋の間取りを確認すると、目の前の椅子に腰を落ち着ける。
 やがて全員が着席すると、おもむろに老人がカードを配り始めた。
 一枚配られるごとにカードがめくられる。控え室に満ちていた陽気な雰囲気は一時的なものだったらしく、今や誰もが目の前で繰り広げられる遊戯に固唾を呑んでいた。カードは一人目、二人目を順調に進んでいき、そのたびに部屋の空気が張り詰めていく。
 先にコルテスの番となった。彼は一度舌で唇をしめらせてから卓上に左手を伸ばし、カードをひっくり返す。現れたのはダイヤのジャックだった。外れである。
 次はイドルフリードの番だった。微かに首を傾げたまま札をめくる。
 と、処刑人を表すクラブのエースが現れた。男達が一斉に哀れみと怯えを含んだ視線を向ける。イドルフリードはカードに指をかけたまま唇を尖らせて何事か呟きかけたが、結局は無言で姿勢を戻した。コルテスが一瞬だけ目を眇め、テーブルの下で足を組み替える。靴先が支柱を蹴り上げる乾いた音が微かに立った。
 カードは一巡する。犠牲者を選ぶスペードのエースはなかなか出てこなかったが、遂にタルトの若者の前でその姿を現した。いくら死ぬ為に来たとは言え、実際に当たりくじを引くと臆病な気持ちがぶり返したのか、若者は喘ぐように息を吸い、真っ青になってイドルフリードを見た。しかし視線は噛みあわず、イドルフリードは残ったカードを揃えている老人を見ている。
「それで、今ここで殺せばいいのかね?」
 頬にかかる横髪を優雅に払いながら、彼は何でもないように尋ねた。びくりと怯えた若者を置き去りに、老人もまた落ち着いた口調で答える。
「いや、外で頼むよ。ここで騒ぎを起こされるのは困るからね。そして殺す時も、このクラブの存在を匂わせないよう徹底してもらいたい」
「ふむ。あくまで秘密裏な訳か」
「――まどろっこしい!」
 押し殺した声で怒鳴ったのは、始終むっとしていたコルテスだった。船の上では浪々と響く彼の声も、この室内には大きすぎる。厳粛な空気を塗り替える突然の大声に、人々は反射的に首をすくめた。
「自殺クラブとは大した名称だが、結局はお遊びに過ぎんじゃないか。いつの間に陸ではこんな腑抜けた連中が増えたんだ?」
「紳士らしく振る舞いたまえ、フェルナンド。今になって文句とは女々しいぞ」
 イドルフリードが揶揄を含んだ態度で咎めると、コルテスは音を立てて椅子から立ち上がった。黒い瞳の中で冷え冷えとした炎が燃えている。そして怯えきっている青年の襟首を掴み、乱暴に顔を覗き込んだ。
「ひっ……!」
「情けない声を出すな!そんなに死にたいのならうちの船に来い――産まれてきたのを後悔するほど扱き使ってやる。今なら国の為に死ねるんだ、これ以上ない待遇だぞ?」
「おや、まるで君がスペードのエースを貰ったような言い草だな」
 凄んだコルテスに被せ、からからとイドルフリードが笑った。部屋の男達は突然の展開に騒然となっていたが、やがて猫の子を扱うように若者の襟首を掴んだコルテスが出て行くと、これはルール違反だかいいのだろうか……と困惑の空気が流れる。
「船乗りにお行儀よくしろって言うのが無理な注文だよ、諸君」
 仰々しく両腕を広げ、室内の人間を見渡したのはイドルフリードだった。
「彼は私の友人だ。あの若者の処刑は我々が責任をもって取り行おう。しかしこの場所で殺さなくてもいいのなら、それが何年後かの船の上、あるいは新大陸でも文句あるまい。他にも諸君の中に希望者がいれば、このクラブよりも刺激的で栄誉ある死に場所を与えてやれるのだがね――では失敬」
 そして役者のように腕を胸の前に置き、深く一礼してから踵を返して出て行った。残された男達はぽかんとしながらも、一夜の暇潰しに満足する船乗り達の笑い声を遠く聞いたのである。






END.
(2012.03.14)

元ネタはスティーブンソンの『新アラビア夜話』です。19世紀のロンドンを舞台にした物語なので実際はもっと品のある、いかにもイギリスらしい物語なのですが、今回は中世の船乗り達の物語という事で随分と俗っぽくアレンジさせてもらいました。気になった方は原作も是非。


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