天国を知るかのように










 東から昇った太陽はその光で霧を貪り尽くし、野蛮な夜を追い払う。さざめく波が船体を洗う音や、風を受けてはためく帆、索具や木材が擦れ合う音は船乗りにとって聞きなれたものだが、海面に浮かんだ朝雲の峰が銀に輝く頃になると、聞きたくもないもの、見たくもないものまではっきりと姿を現してくる。 
 数知れない継ぎ接ぎが施された索具、襤褸のように穴の開いた帆。砕けた手すりの下には木材の破片が飛び散り、船体の浸水を押し留める為、手押しポンプで海水を組み出す単調な音が響いていた。常ならば綺麗に磨かれている甲板にも血と泥が広がり、昨日の海戦によって出来た弾痕や窪みに意地悪く入り込んでいる。
 舷側にそって並べられているのは、一体ずつハンモックに包まれた戦死者の塊だった。船室から出てきたコルテスは朝日に顔をしかめながら、その数を目算し、二十一、と口の内側で呟く。誰にも聞かせる気もない声は消えた命の数であり、いずれ水葬しなければならない数であった。
「死者の一覧はどうなっている?」
「はい、出来ております。まずは主計長が――」
 副長が紙切れを取り出して氏名を読み上げていく。コルテスは無言で頷いたが、全てを聞き終えると一覧を預かり、懐に収めた。
「……先に帆の修繕を。神父を呼んで水葬にするのは後だ」
 そう指示を出すと、朝日の中で改めて状況を確認して回る。応急措置として打ち付けられた板や、邪魔にならないよう脇に集められた縄の数々が目に付いた。一晩のうちに大方の片付けは済んでいる。当直員がコルテスを見つけて帽子を上げたが、彼らは口をきかずに無言で甲板を擦れ違った。おおよそ有益な会話が出尽くした夜明けだった。
 甲板にも水夫達が疲れきって眠っていたが、階段を下りて船内に入ると、そこには未だ不吉な夜の気配が巣食っている。暗い船内をアルコールランプが点々と照らし、ひしめく負傷者の体を赤く染め上げていた。最下層から立ち上る汚濁水の悪臭はいつもの事だが、そこに硝煙と血の臭いが新たに加わっている。換気がうまく機能しておらず蒸し暑い。ぎゅうぎゅう詰めになった男達の汗と呻き声にコルテスは反射的に顔をしかめそうになったが、意志の力でそれを押し留め、船医の姿を探した。まずは専門家からの報告が必要だ。
「フェルナンド。船医なら私が借りているぞ」
 呼び止める声に視線を向ければ、この船では珍しい金髪が姿を覗かせる。怪我人の列に埋もれ、イドルフリードが横たわったまま片手を上げていた。彼には航海士としての小さな部屋が与えられているが、手当ての都合上ひとまとめに集められていたと言う。イドルフリードは昇降口から程近い舷側部に陣取り、他の者と同様に血と硝煙の匂いを身にまとっていた。
「……途中から姿が見えないと思ったが、まさか船医の世話になっていたとはな」
「はっ、神父の世話ではなくてがっかりしたか?」
 やはり具合は良くないらしい。出てくる言葉は相変わらずだが、顔が土気色になっている。彼はまず顎で自分の左脚を指し示し、負傷した箇所に手当てを施す船医へ苦笑を向けた。衣服を脱がす手間を惜しんだのか、もしくは乾いた血が布地と皮膚を別ちがたく結びつけ、無理に脱がすと皮膚まで剥がす危険があったのか。包帯はズボンの上から大胆に巻かれている。やがて処置が済むと船医は慌しくコルテスに現状を報告し、次の患者に向かって猛進していった。
「相変わらず仕事熱心な男だな……昨日から寝ていないぞ。少し給金を弾んでやりたまえ。まあ、いまひとつ手当てが乱暴なのが気になるが」
「それでお前はどうした?」
 この期に及んで人を食ったようなイドルフリードを見下ろすと、相手は無言で掌を差し出した。矢尻のように尖った細長い四切れの木片を手渡され、乾いた血が木目に沿ってこびり付いているのを見る。イドルフリードの血だった。
「弾け飛んだ木片が運悪く刺さってね。膝が砕けなかっただけ良かったが、間の抜けた話だよ。怪我自体は大したものじゃなかったし血も酷くはなかったが、そのまましばらく剣を振るったのが悪かったようだ。熱が上がって頭痛がすると言ったら、この様さ」
 これ以上血を流したくはないんだがね、と彼はうんざりと肩をすくめる。よく見ると、こめかみを小さく切り開き、滴る血を銀のボウルが受け止めていた。瀉血である。濁った悪い血を抜く為の処置だが、怪我によって傷を抉られた後に血まで抜かれているとあって、さすがに辟易しているようだった。
 しかし弱っていても口数が減らないのがこの航海士の個性であり、強みである。ひとしきり蒸し暑いだとか空気が悪いだとか愚痴を言い、早いところ部屋に戻りたいと駄々を捏ねるが、その代わり、傷が痛むとは決して口に出さない。その言葉を口にするのは彼のプライド云々の前に、戦闘の翌朝には相応しくないと経験則として知っていたからだった。わざわざ主張しなくても誰も彼もが痛がっている。
 彼はコルテスが持っている死者の一覧を読みたがった。船医から状況を聞いてはいるが個人名までは届いていなかったらしい。紙片を手渡すとイドルフリードは考え込むように親指で己の唇をなぞり、軽く鼻を鳴らした。
「まるで肉屋の帳簿だな……遺品の競売はいつ?」
「修繕が済んでからだ。遺書を持っているかどうか確認してからでなければ」
「ああ、それならカミロの銃は私が買うよ。取り置いてくれたまえ。前々から羨ましくてね、本人に約束を取り付けてあったんだが……」
 イドルフリードはそこで瞬きをする。戦死者の持ち物は遺贈相手が明言されていない場合、生き残った船員達で競売を開き、出来るだけ高値を付けて売り払った後、その金を遺族に送る事になっていた。賭け事の席で冗談交じりに、お前が死んだらあれを寄こせと話題に上る時もあるが、実現するとなると苦いものが込み上げてくるのだろう。誤魔化すように一つ咳をした。
「……得をした。あいつの銃は火薬量が多い」
「確かに。遅かれ早かれカミロは飲みすぎで死ぬと思っていたがな」
 偽悪的に振る舞いたい気持ちはコルテスにも共通している。話を合わせると、待ちわびたように航海士は口元を吊り上げ、競売の日取りが決まったら必ず教えろと念を押し、続いてあれこれと銃の使い方について講釈を垂れた。
 だが言っている傍から血を抜かれているとあって、次第に眠くなってきたらしい。イドルフリードの口調はおざなりになり、汗が張り付いた前髪を掻き上げると、いつか私が死んだら、と気だるく口にした。
「船室に身の回りの一式と、航海用具がある。君が高く買い取ってくれたまえ。硬貨はスペインのものより、アステカのものがいい。これでも本国に妻子を残しているのでね……死んだ後くらいは新大陸の金を目一杯に降らせてやりたいのさ」
「……珍しく殊勝な事を」
「貧血で、頭が回らないせいだ。そろそろ傷に軟膏を塗ってもらわなければ」
 イドルフリードは視線を上げ、船医の姿を探しながら欠伸をした。コルテスは苦虫を噛んだように目を細めていたが、熱があると言うのに血の気のない顔色になっている航海士を見下ろし、やがて愛想が尽きたように言い捨てる。弱気な事を言い出した相手の態度に腹が立っていた。
「お前が死んでも水葬にはしない。海が汚れる」
「……急に何だい。素直に死ぬなと言ってくれてもいいんだぞ?」
「ほざけ。どちらにせよ人の言葉を聞くような奴か。どうせお前も勝手に死んでいく」
 コルテスの言い草に、イドルフリードは仕方なさそうに片眉を上げる。胸をうちを見透かそうと企む猫のような顔だった。彼は長台詞で乾いた唇を湿らせると、瘴気と熱で汗ばんだコルテスの顔を興味深そうに見上げる。
「じゃあどうするんだ。弔わなければ腐るだろうに」
「そのままだ。縛り首にして腐らせてやる」
「はっ、冗談は止したまえ。海賊じゃあるまいし、何の見せしめだ?」
 喉の奥を震わせてイドルフリードは笑った。そして片手を振り、君にはまだ仕事があるだろうと追い払う。コルテスもこれ以上長居するつもりはなかったので、促されるままに腰を上げた。
「安心したまえ、フェルナンド。私だって暢気に死んでもいられないよ。そんな馬鹿をしている暇があったら、一人でも多く美女を口説き落としてやるさ」
 船医の後を追おうとしたところで、再び背に言葉が投げられる。
「どうだかな。欲深な人間は燃え尽きて、地に堕とされるのが神話のお約束だ」
「古臭い話を持ち出さないでくれたまえ。神話なんて糞食らえだ。我々が挑むのは新大陸。そうだろう?」
 惨めな朝を取り繕うように軽口を叩く。コルテスは眠そうにしているイドルフリードを振り返り、こいつに励まされるなんて愚の骨頂だなと皮肉な笑いの発作に襲われたが、唇を噛み締めてそれを堪えた。返事の代わりに肩をすくめ、そのまま寝場所を後にする。再び船を元の姿に戻すまで、感傷的になっている暇はないのだ。








END.
(2011.10.18)

基本的に私の知っている帆船の知識が17〜19世紀の英国海軍のものなので、大航海時代とは制度が違うんだろうなと思いつつ、触れておきたかった遺品の話題。

そうした意味でも、我が家のイドルさんはコルテスを「フェルナンド」呼びにさせています。親しげで良いじゃないと言う単純な理由が一つと、本編CDが出た時に区別させる為に一つ。多分公式では「コルテス」呼びになるだろうから、これは設定を知らなかった時の創作ですよ、と言う目印に。

それから考えれば考えるほど『船長はイドルフリード、コルテスは軍の司令官(ゲスト)として船に乗っていた』気がするんですが、ひとまず始めてしまった以上、しばらくは船長コルテスと航海士イドルフリードの設定で進めます。


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