いつも笑っていてほしい








 巫女が託宣を行う場合、その方法は人によって異なる。聖なる泉で身を清める者、月桂樹の葉を噛む者、特定の動物を生贄に捧げる者。忘我状態となって神の言葉を聞く為、巫女達は様々な手段を用いて天へと問いかける。
 しかしミーシャの場合、特別な小道具は必要ないとの事だった。ただ夜空だけがあればいい。現世を映す事がなくなった紫の瞳にふっと夜空の星座が浮かび、そこに未来の光景が入り込んでくる――。そんな話だった。
(何つーか、本当に視力と引き換えって感じ)
 神殿の前庭に佇み、じっと夜空を見上げている彼女を遠巻きにしながら、オリオンは罪悪感を噛み締めていた。夜空が臨める場所に移動したせいで、吹き付ける風が肌寒い。
 アナトリアの使者として、オリオンが託宣を頼んだのは三度目になる。最初こそ昔馴染みの少女が立派な巫女になったものだと喜んだものだが、彼女が自分の意識を手放し、神の返答を受け取る為に月光へ身を曝け出している姿を見ていると、蛇の巣穴に雛鳥を放り込んだような気持ちになった。奴隷時代の経験で神殿に良い印象がないせいかもしれない。胸の前で指を組み、一心に祈りを捧げている彼女が人身御供のように見える。
『死せる仔らよ、汝らに告げる――』
 薄く開いた唇が、普段とは違う声音を紡ぎ始めた。しかし神託の全てを言い終える前に肩が震え、ぐらりと体が傾ぐ。
 それはまるでオリオンの不吉な連想をなぞったかのようだった。反射的に駆け出し、倒れる体が地面に着く前に抱き留めると、巫女は目を閉じたまま、音もなく静かに気を失っていたのである。



「さっきはごめんなさい。もう大丈夫だから」
 別室で休んだ彼女が扉を叩いたのは、それから一刻ほど経ってからだった。客用の寝室に通されていたオリオンは文字通り飛び上がり、慌てて身支度を整える。本来なら一国の王子と巫女が夜中に顔を合わせるのは問題かもしれないが、それをとやかく言うような人間は既に寝入っていた。星見の託宣は元から遅い時刻に行うのである。
 オリオンは扉を開け、顔色の戻ったミーシャの姿を認めると、ほっと胸を撫で下ろした。声が届かない程度の距離を保ち、明かりを持ったお付きの若い娘が廊下の角に立っているのが見える。一応は監視も兼ねているのだろう。巫女として大事にされているのが分かるだけに、わざわざミーシャが尋ねてきてくれた事が嬉しかった。
「俺こそごめん、あれって結構体力使うんだろ?」
 差し出された手に気付き、自分の居場所を知らせる為に軽く重ねる。下心などに取られないよう、本当に軽く。
「そうでなくとも、飛ぶ鳥も落とす勢いで有名になった星見の巫女様だ。引っ張りだこってのに、急に訪ねてごめんな」
「ううん、気にしないで。国のお役目なんでしょう。明日の夜、またやり直すね」
 ミーシャは申し訳なさそうに言う。しかし肩に巻いたショールを引き寄せる口元が、微かに綻んでいた。
「オリオンが来たせいなのかしら。さっき、少しエレフの姿が紛れ込んだの。だからびっくりしちゃって」
「エレフが?」
 懐かしい友の名に自然と声が弾んだ。突然ミーシャが倒れたので何事かと思ったが、忘我状態が切れて気が抜けただけらしい。彼女の嬉しそうな様子を見ると悪い映像ではなかったようなので、オリオンも気軽に踏み込む事ができた。
「そりゃ良かった!あいつ、元気にしてた?」
「ええ、まだ海にいるみたい。多分どこか遠いところね。水の色が違うもの」
 これもまた星見の巫女の技なのか、それとも双子と言う特殊な関係性がもたらしたものなのか。生き別れた兄の姿を瞼の裏に見る事があると言う。ミーシャは先程のしとやかな佇まいとは反対に、生き生きと両手を使って神託の合間に垣間見た光景を語り始めた。エレフの場所を特定するような語句はないかと耳を済ませたが、残念ながらそこまではっきりした映像ではないらしい。オリオンは唇を尖らせた。
「へーえ、海ねぇ。大事な妹ほっぽって何してんだか。そう言えばあいつ、泳げたっけ」
「無事で良かったわ。少し前に悪い夢を見たから心配していたの」
「夢?」
 さり気なく聞き返しても、ミーシャは困ったように微笑むだけで答えない。神託を受ける為に月夜は出ずっぱりだと聞いていたが、もしかしたらそれ以外にもよく眠れていないのかもしれない。焦点の合わない紫の瞳はオリオンを通り越し、深い谷底を見下ろすような表情になっていた。
「悪い夢って、頻繁に見るの?」
「……ううん。そんなには。でも普通に生活していても、ふと違う景色が見える時があるわ。単なる夢なのか神託なのか、区別が付かない時も。だから少し怖くなる」
 ミーシャの瞳が僅かに翳る。本人に自覚がないぶん、彼女の瞳は時に雄弁だ。尚更オリオンは聡い青年である。それだけで内容の察しはついた。
 当時、夢とは神々が送ってくるものだと考えられている。神殿の中で眠る事によって神託を得る巫女もいたほどだった。ミーシャが不安がるのも最もだろう。
「神様に愛されるってのも楽じゃないよなぁ……。いっそ、夢と神託を見分ける方法を見つければいいんじゃないか?」
「そんなものあるのかしら。頬を抓るとか?」
「それもいいけど……あ、そうだ、迷ったら何か叫べばいい」
「え?」
「神様が言わせてくれないような口汚い奴をさ。単なる夢だったらそのまま出てくるだろうし、神託なら、さすがにストップが掛かるんじゃない?」
「……もう!オリオンったら!」
 女の子に何を言わせるつもりなのと、ミーシャが笑いながら腕を叩く。オリオンはふざけて痛い痛いと身をすくませながら、今のような受け答えで良かったんだろうかと考えを巡らせていた。閉じられた場所で役目を淡々とこなしていく彼女にとって、自分はちょっとした海風のようなものであればいい。少しばかりの気晴らしの為に、無神経な言葉を使うのは賭けではあるのだけれど。
 その後、他愛ない話をしてから別れた。女官に手を引かれて帰っていく昔なじみの後姿を見送る際、手を振ったところで見えはしないのだと分かってはいたが、気持ちの問題なのだと言い聞かせて手を上げる。
 千里を見通す眼。彼女の瞼を塞いでやったところで、不吉な夢から守る事はできない。
(あーあ。ったく、どこにいるんだよ、エレフ)
 可愛い巫女も無愛想な親友も、自分の中では一揃いになっていて、あの双子が無事に再会するのを見届けるまで落ち着いて口説く事もできなくて。でもやっぱり笑顔で揃ったところが見たくて。オリオンは我ながら厄介だなぁと苦笑を零し、道化た仕草で手を振り続けた。






END.
合同お題より。


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