羊に飲まれた.2










 そうしてとっぷりと日が暮れて夜空に星が瞬き、腹を空かせた男達が死屍累々と天幕に倒れこむ頃、ようやく羊が焼きあがった。シリウスが話した通り、油が抜けて香ばしい匂いは最初より弱まっていたが、旨味が凝縮された肉本体の魅力は当然ながら格段に上っている。
「じゃあ切り分けるから、ちゃんと一列に並べよー」
 シリウスが細身の肉切り包丁を手に声をかけると、男達はありがたがって列になり、神殿に供物でも捧げるような格好で皿を差し出した。シリウスがまめに火加減を調節しながらオリーブオイルを塗ったおかげで、肉の表面は飴色に光り輝いて見える。太い骨を除けてシリウスが包丁を滑らせると、外側の皮が突っ張っりながらぱりぱりと音を立て、次の瞬間、吸い込まれるように刀身を沈めていった。
「美味ぇ……待った甲斐があった……!」
「外カリカリで、中ふわふわッス……!」
 よほど待ち時間が辛かったのだろう。幸せを噛み締めて、座り込んだ青年達が肉を咀嚼しながら涙を拭っている。自分の番になってオルフが皿を差し出すと、シリウスは「柔らかいのと硬いの、どっちがいい?」と言って切り分ける場所を選ばせてくれた。「できれば柔らかい方で」と応えると、中腹に当たる部分に刃先を滑らせて、詰め物の野菜と一緒に皿に盛ってくれる。調理班の若手が作った煮汁を受け取り、少し離れた砂浜に移動して平らな岩に座ったオルフは、もはや待ちすぎて空腹なのかどうなのか分からなくなったなと苦笑しながら夕飯にありついた。
 かさばる木匙は持ってきていない。直接、手掴みで食べる。指先に感じた暖かい肉の触感が口に移り、噛み締めると肉汁が滲んだ。その途端、ぶわっと唾液が湧き出して、やはり自分が空腹だったのだと思い至る。オルフは夢中になって食べ進んだ。
 火に炙られて硬くなった皮は、歯を立てると小気味いい音を立てて食欲を刺激した。皮の下には柔らかい脂身があり、更にその下は引き締まった肉の感触が続く。まるで地層のようだ。堪らなくなって引き千切ろうとすると、筋肉の束に沿って肉はほろほろと崩れていく。腹に詰められた野菜も熱が通ってしんなりとしており、肉汁が充分に染み渡っていた。
「美味いか?」
 気が付くと、肉を配り終えたシリウスが隣にやってきていた。普段はすまし顔でいるオルフが自分の料理を夢中で頬張っているのが嬉しいらしい。無言で頷くと彼の笑みが深くなった。シリウスも自分の皿を持ってきており、今から食事をする様子である。彼が一番の功労者なのだからゆっくりと味わって欲しいものだと考えていると、やはり取り分けた皿を持ってアメティストスが向こうからやってきた。
「シリウス、塩を持っているか。もう少し欲しい」
「持ってますけど……閣下って意外としょっぱいもの好きですよね。程々にして下さいよ」
 呆れたように顔を歪め、シリウスは懐から小さな壷を取り出した。てっきり手渡すのかと思いきや、わざわざ立ち上がって肉の上にぱらぱらと降りかけてやっている。アメティストスの両手が皿で塞がっているからだろうか。
「このくらいですか?」
「もう少しだ」
「えー、このくらいで止しときましょうよ。ほら、ちょうどいい味のはずですから」
 オルフはぎょっとした。ご丁寧にシリウスが皿の上から肉を摘んで一口大に引き千切り、アメティストスの眼前に差し出したのである。そして差し出された方も、何の頓着もなくそれに齧り付いたのだ。もぐもぐと、ごく普通に。
「あ、こっちも食べてみますか?少し野菜の種類が違うんですけど」
「そうか。もらおう」
 更に他の具まで食べさせてもらっている。見ているこっちが恥ずかしい。彼らの親密な空気に餌を渡す親鳥と雛鳥を連想し、オルフは顔を引き攣らせた。
(……何だ、この図)
 周りの男達は特に何も言わない。しょっぱい気持ちになっているのは自分だけなのだろうか。いや、しかし何人か物言いたげにしているのが分かる。他にも目を逸らしたり、ざわめいたり。
(いくら閣下の両手が皿で塞がっているとは言え、手ずから食べさせるなど……しかも千切った肉とか……。あれ、前からこんな感じだったっけ?)
 思い返せば、シリウスの世話好きは今に始まった事ではなかった気がする。元からまめな男で、隠れ里の子供の面倒もよく見ていたようだし、部下に対しても弟のように可愛がっていた。その点、アメティストスは完全無欠に見えて、案外自分の身の回りには無頓着な部分がある。それをシリウスが放っておけなかったのは自然な成り行きなのかもしれないが――。
(いやいやいやいや、それでもおかしいでしょう!?揃いも揃って大の大人が!!)
 一度疑問に感じると、妙な場面が次々と思い出されてきた。濡らしたまま歩くなとシリウスがアメティストスの洗い髪を拭いてやったり、襟元が伸びてだらしないと新しい服を出してやったり、千切れたベルトを直してやるからとアメティストスの皮サンダルに手を掛けたり――。
「ほら、口の周りべたべたになってますよ。拭いて拭いて」
「ん?」
「いえ、そっちじゃなくて」 
 とか言いながらシリウスが親指でアメティストスの口元を拭ったので、脳内で過去の映像を引っ張り出していたオルフは急速に現実に戻され、遂に限界を突破した。堪えようと思ったのは一瞬で、元から不明瞭なものは自分で確かめないと気が済まない性分なのだ。
「〜〜〜もうっ、何なんですかっ!!貴方達!」
 突然の大声に、ぎょっと周囲の目が向く。
「無駄に甲斐甲斐しすぎます!シリウスは閣下の嫁なんですか!?」
「……ど、どうしたんだオルフ?」
「もしくは母親とでも!?」
「そんな訳ないだろう。シリウスは男だぞ」
 たじろいだシリウスと動じないアメティストスが交互に応えるが、オルフはまだ言い足りない。周囲の男達が「お〜!」「遂に!」「やっぱ怒鳴っても美声!」等と感嘆して彼を見上げるが、勢いに乗るオルフ自身はそれに気付かなかった。
「そう言われても仕方ないでしょう!それともあれですか、この国特有の愛人関係って奴ですか!?」
「ぶふっ……あ、愛人ってお前なぁ」
「いや、私にそんな趣味はない。昔、とんだ変態に良いようにされた時期があってな。その方面には今でも嫌悪がある。できれば避けて通りたいところだ」
「だ……だから閣下は唐突に悲しい過去を語らないで!俺、泣いちゃうから!そういうの泣いちゃうから!」
 再び飛び出たアメティストスの告白に、シリウスが耳を塞いでぶんぶんと頭を振っている。しかしオルフは揺らがない。ずれた話を一気に軌道修正すべく、熱意を持って地面を叩いた。本当ならば相手の眼前に向かって指を突きつけたいところだが、育ちの良いオルフの事、目上の人間にそこまで粗暴に振る舞えない。
「とにかく閣下!部下のいる前ですから、シリウスに頼りすぎるのは控えてもらわないと!口の周りを汚すなら汚すでいいじゃありませんか、いっそ男らしく豪快に骨付き肉でも齧り付いて下さい!貴方は私たちの将軍なんですから、自覚して頂かないと示しがつきません!」
 その言葉にアメティストスも胸を打たれたのか、一拍の沈黙の後、目を細めて重々しく頷いた。
「そうか、悪かったな……。では骨付き肉を食べよう。やはり将軍たる者、このくらい豪快にいかないと女々しかったか……」
「いえ、そこを反省して欲しい訳じゃないんですけど……!まあ閣下はいいですよ、それよりも問題はシリウス、貴方です!そんなふうに図体のでかい男がせっせと閣下の世話をするから、何だか妙な図になって、周りも突っ込みにくいんですよ!子供じゃないんですから過保護にしない!主人の威厳を自分のせいで地に落としたくはないでしょう?!」
「お、おう。そうだな、すまん」
 剣幕に押されたシリウスも慌てて謝罪する。ようやく自分達の不自然さに気付いたのか、アメティストスもシリウスも少し複雑そうな顔で黙り込んだ。どっと疲れを感じたオルフは不貞腐れ、こうなったら羊に癒してもらおうと食事を再開する。
 何故自分は憧れの閣下とその腹心に、こんな説教をかまさなけならないのだろう。できれば軍議だとか戦闘だとか、そういう時にびしっと忠告する方が良かったのだが、まさかこんな事で爆発してしまうとは。
「いやー、オルフさんに言ってもらえてすっきりしましたよー」
 こっそりと近付いてきた数人の若者達が、小声でオルフに耳打ちした。
「前々から何かおかしいとは思ってたんですけど、段々慣れちゃって……なあ?」
「そうそう、言い出しにくくて」
「むしろ見てるとほのぼのするし、別に今更追求しなくていいかなぁって思っちまうんだよなー」
「あの二人に本気で突っ込めるのって、オルフさんくらいですよ!マジ尊敬します!」
「……そうですか」
 オルフは力なく頷く。成る程、新米にも関わらず自分が一目置かれているのは、こんな理由だったらしい。



END.
(2012.08.10)

奴隷部隊の若手は妙にフランク。


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