06











 デミトリウスの許可を受けてから二日後。約束通りポリュデウケスの案内を受け、イサドラは亡夫の墓へ赴いた。
 場所は海からやや離れた山間部である。奴隷が担ぎ上げる輿に乗って潮風に当たっていると、久々に宮殿を出た開放感でイサドラは目の前が明るくなるのを感じた。もう野山には戦いの名残もなく、懐かしい風景が彼女を暖かく迎えてくれる。
「ああ、いい風。まさか外に出してくれるなんて」
 それは隣に控えるデルフィナも同じらしい。さかんに周囲を見回しては腕を大きく広げ、新鮮な空気を堪能しているようだった。
「ブラシダス様のお墓参りに行けるだなんて、本当に姫様のお手柄ですわ。よく国王に約束させましたね?」
「ええ。言ってみるものね」
「きっとあの国王、ようやく姫様の魅力に気付いたんですよ。それで自分の器が大きいところをみせて、ご機嫌を取ろうとしているんです」
 妙に得意げにデルフィナは言う。最初の晩にデミトリウスがイサドラを無理やり抱かなかったのは幸いだが、国王がそれ以降こちらに興味を示さなかった事が彼女には不満だったのだ。イサドラを宮殿に放り込んだまま忘れてしまうとは見る目がない男だと、常々そう馬鹿にしていたのである。
「……どうかしら。あの人、歌には興味があるみたいだったけれど、特に私には何も」
 イサドラは曖昧な表情で首を傾げた。恐ろしい人だというデミトリウスの印象は変わっていない。第一、機嫌を取ろうとする相手が一生懸命歌っている最中に、うつらうつら寝入ってしまう男がいるものだろうか。
 何よりデミトリウスの所作には男女の緊張感が全くなかったのだ。あったのは単に物を試すような興味本位の質問と、歌声に満足する眠たげな表情だけ。髪を乱す春先の風のように、荒々しく行き過ぎていっただけの人だった。
「まあ、信じられない。それ本当ですか?」
 デルフィナは大仰に目を見開いた。
「歌はともかく、姫様にちっとも興味を示さないなんて。まさか男色なんじゃ?」
「さあ、知らないわ」
「どちらにしろ朴念仁のようですね。それとも単に偏屈なのかしら」
 デルフィナは唸り、腕を組んで考え込む。デミトリウスは女嫌いの気があると聞いていたが、アカイアの真珠を前に口説き文句の一つも言わないとなると、どうも根は深いようだ。自慢の主人の美しさを否定されたようで、デルフィナとしては面白くない。
(やっぱり姫様が再婚するのなら、ポリュデウケス様の方がいいわ)
 そう思い、ちらりと前方を仰ぎ見る。二人が乗る御輿に先立ち、馬に乗って道を守っているポリュデウケスの後ろ姿が見えた。彼ならば誠実そうだし頼りになるし、何よりこれまでイサドラの為に色々と尽くしてくれた実績がある。やはり姫様を任せるのならこの人がいいと、デルフィナは密かに思いを巡らせた。
 やがて一行は王宮の敷地を抜けて町へと入る。元からアカイアは移民が多いせいもあって商人の力が強く、国の頭が代わったところで大きな影響がある訳ではない。アルカディアが宥和政策を取った事もあり、町は拍子抜けするほど以前と同じような賑わいを見せている。イサドラは不思議に思った。
(まるで戦いなんてなかったみたい)
 彼女には政治の事は分からない。そもそも女に政治を教えてくれるような人間はいない。いつも人形のように可愛がられ、綺麗なもの、心地よいものに囲まれて育てられた。夫が土地を預けられ、商人達の仕事を保障しているのは知っていたが、こんなふうにあっさりと入れ替わってしまうものなのかと複雑な思いが過ぎる。
 約束の墓場へと辿り着くと、草木を取り払った地面には幾つかの墓石が並んでいた。石の表面を指先でなぞると、風雨でこびり付いた土の汚れがざらりと荒く感じられる。
(旦那様……)
 簡素な墓石には、素っ気なくブラシダスの名が刻まれているだけだった。もし敗れずにいたらもっと立派な墓を建てられたろうにと、イサドラは再び物悲しく思った。
「さてと」
 その背後ではデルフィナが、持参した花や酒を輿から下ろして一息ついたところだった。彼女とて亡きブラシダスには恩義もあるが、しかし墓参りよりも大事なのはこの先、姫様が幸せになる事だと腹も括っている。物思いに沈む主人を視界に収めながら、彼女はこっそりとポリュデウケスの元へ向かった。
 邪魔をしないようにとの配慮なのだろう。彼は墓参りをするイサドラを遠巻きにして、用事が済むのをじっと待っていた。馬を木に繋いで毛並みを整えながら、暇を持て余したように草を食ませている。デルフィナは彼の腕を小さくつついた。
「ポリュデウケス様」
「ん?」
「姫様の所に、これを持っていってあげて下さませんか。私は水を汲んできますから」
 荷物を差し出しながら言うと、彼は戸惑った顔でデルフィナを見返した。
「しかし、私はアルカディアの軍人ですよ。言ってみれば仇のようなものですし、墓参りの邪魔になるだけでは」
「いいんです。男手があれば色々と楽ですし」
 彼女はそう言い張ると、半ば押し付けるように花と酒を手渡す。そして水を汲んでくると回れ右をして、さっさといなくなってしなった。デルフィナの言わんとする事を察し、ポリュデウケスは苦笑する。
「……仕組まれたな」
 ご婦人の悲しみを慰めるのは男の役目だと言う事だろう。彼女には先日も「姫様が好きか」と尋ねられたばかりである。彼は意を決し、荷物を片手に丘を登り始めた。
 墓前に座るイサドラは悲哀を帯びて美しかった。豊かな金髪が流れる肩の頼りなさに、ポリュデウケスは目を細める。
「ここからでも海が見えるのですね」
 そう声を掛けた。振り返ったイサドラに花を差し出すと、彼女は夢から覚めたような表情でこちらを見上げ、おずおずと花を受け取った。
「私ったら、花も忘れていました。間抜けね」
「いえ。花よりも貴女が来てくれただけで、ご主人は満足でしょう」
「そうかしら……本当は、他の奥様たちもお連れできれば良かったのだけれど」
 ブラシダスには他に二人の妻がいた。彼女達は既に身柄の引き取り手が決まり、それぞれ新しい生活を始めたばかりである。生前のブラシダスは好人物だったと聞いているが、複数の妻を持っていても公平に扱っていたと言う噂も本当だったらしい。イサドラは何の確執もなく、二人の先妻がここに来られない事を素直に残念がっている。
 ポリュデウケスは奇妙な心地がした。イサドラが亡き夫を慕っている気持ちは本当のようだが、他の奥方の事まで気を回すとは、妻と言うより娘のような心配りだ。
「良いご主人だったのですか?」
「ええ。年が離れていたせいか、甘やかして頂いて。幸せでした」
 ほんのりと瞳に悲しみを浮かべるイサドラに、やはり父娘のようだったのかと納得がいった。だがポリュデウケスは下世話に彼女の恋心を見極める事はせず、ただ頷くだけに留める。夫婦とは分からんものだなと、せっせと花で墓標を飾る後ろ姿を無言で眺めやった。
「ポリュデウケス様。一つ、聞いても宜しいでしょうか?」
 やがてイサドラが尋ねた。
「どうぞ」
「夫を手に掛けた者がどなたか……知っていらっしゃいますか?」
 はっとしてポリュデウケスはイサドラを見る。その話題は随分と今更のように思えた。あるいは、聞いたところで何もならないと彼女の奥深くに沈めていた疑問だったのかもしれない。
 ブラシダスはアカイア貴族の中でも位が高く、戦いにおいても将軍として部隊の指揮を任される男だった。しかし残念なことに文人肌だったのか、三人の妻に愛されても戦いの女神には好かなかったらしい。大した働きを見せる事なく、戦列が乱れたところを突かれてデミトリウスに呆気なく首を飛ばされたのである。ポリュデウケスは返事に窮したが、いずれ分かる事だと思い直した。
「陛下です」
「……そう、ですか」
 薄く予感していた事だったのかもしれない。イサドラは僅かに表情を強張らせたが、開きかけた唇を一度閉ざすと、それきり何も尋ねなかった。
 デルフィナはこちらを二人きりにさせたかったようだが、亡夫を悼む彼女を前に気の利いた言葉も思いつかない。ポリュデウケスは忠実に彼女の横に佇みながら、ただ時が過ぎるのを待った。






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