04










 こうして淡い恋の予感はあったものの、ポリュデウケスほどの有能な男が疲れを顔に見せるくらいである。その頃、他の重臣達も政務に追われて宮中は酷い有様になっていた。王を中心に毎日のように議会が収集され、ああでもないこうでもないと論議に忙しかった。
 何事もなくアカイアを併合したはいいが、細々とした制度を整えるとなると予想以上に厄介な仕事だった。港町を手に入れてアルカディアの人々は浮き足立ったが、勝手の分からぬ貿易路の把握に手こずるのも仕方がない。その合間を縫って他国からの祝いの訪問に対応し、何かと犠牲を捧げて神託にお伺いを立て、民衆の期待に応えるよう努力していたのである。
「いい加減、海は飽いた」
 うんざりとデミトリウスは広げていた巻紙を放り投げた。場所は旧アカイア王宮の討論室である。
「俺は山育ちだ。貿易がどうの軍船がどうのと言われても、そう簡単に判断できん。第一、こんな海辺で生活するのも初めてなのだ。分かる訳がない」
「山育ちなのはアルカディア人ならば全員ですよ。お願いだから面倒くさがらないで下さい」
 たしなめるポリュデウケスの声も覇気がない。王は鼻を鳴らすと、おざなりに片手を振って彼に命じた。
「もういい。アナトリアに渡洋していたお前の弟を呼べ。あいつなら少しは貿易について学んでいるはずだ。こういう時は活用せねばならん」
 当時のアルカディアの友好国は、風神眷属の王国アナトリアと、智女神眷属の王国ボイオティアの二国である。見識を広める為に逗留していたカストルを、デミトリウスは助っ人として呼ぶ事にしたのだった。
 カストルにとっては実に数年ぶりの帰国になる。しかし彼は生家のある本国でのんびりする時間はなく、すぐさま旧アカイアへ赴いて政治に関わる事になった。
「お久しぶりです、兄上。活躍は遠方より聞き及んでいましたが、随分と大変な事になっているようですね」
「ああ、突然呼び出してすまないな。お前の土産話を聞くのも落ち着いてからになりそうだ」
 仲の良さで知られる兄弟は討論室で顔を見合わせ、そう苦笑したと言う。彼らは二年後の会戦でアルカディアの双璧と歌われるようになるが、この時はひたすら政務に明け暮れる事になり、武勇を発揮する暇もなかった。
「待ち侘びたぞ、カストル。やはり持つべきは有能な臣下達だ。後は頼んだぞ」
 デミトリウスも久しい顔ぶれを見遣って、満面の笑みで歓迎の意を表した。
「頼むって……陛下はどうされるのです?」
「俺は休む」
 抜け抜けと家臣の肩を叩き、意気揚々と退室していく。王が苦手なカストルは口をぱくぱくとさせ、文句を言う事も出来ない。
「あの人は本当に勝手だなぁ……」
 そう兄が隣でしみじみと感嘆するのを聞きながら、カストルは肩を落とすしかなかった。



* * * * * * *



討論室を出たデミトリウスは、その逞しい首をぐるりと回して凝り固まった筋肉を解した。政治は嫌いではないが、いかんせん長引きすぎる。久々に香油でも垂らしてゆっくり湯に入ろうかと、彼は旧アカイア王宮に据えられた自室とは真逆の方向へと足を向けた。
 清々したと言わんばかりに歩き出すデミトリウスの様子は、疲れているとは言え若々しい。やがて息子の一人にも受け継がれた緩い栗毛が肩で波打ち、彫りの深い顔を翡翠の瞳が飾っている。そして何より堂々とした彼の立ち振る舞いの一つ一つが、王者としての風格を雄弁に裏付けていた。勝手気ままな主であるが臣下たちが彼を憎めないのは、こうした生来の品格にも一つ理由があるのかもしれない。
「論議を放り出してどうするおつもりです、陛下?」
「……何だ、ゼノビオスか」
 だがそんな王を躊躇なく呼び止めた男こそ、ポリュデウケスとカストルの父、老臣のゼノビオスだった。退役軍人であるだけに体格も良く、いかにも古つわものと言った風情である。代々アルカディア王家に仕える彼らの中でも最も厳格に掟に従う人物であり、何かと小うるさく忠告してきては王を辟易させていた。
 少年時代には剣を習い、その後も何かと取り立ててくれた老人はデミトリウスにとって、実の父以上に父親らしい存在である。
「あのな、そろそろ俺にも休ませろ。こうも根を詰めてばかりいては、こっちの頭も回たなくなるのだ」
「そのような事を言って、また皆を困らせたのでしょう。王たる者、果たしてそう簡単に判断を人に任せて良いのですかな」
 振り切ろうと足を速める教え子に続きながら、そう老臣は厳粛にいさめてくる。デミトリウスは鬱陶しそうに眼を眇め、ひらりと片手を振った。
「あいにくだが独裁に興味はない。俺より賢い奴など無数にいる。人間、誰しも使いどころがあるのだ。自分の仕事はこなす。しかし決断に必要な材料が揃うまで、俺の出る幕でもないだろうが」
「おや。そのような詭弁、私に通用するとお思いで?」
 しかしどう返事をしても、この老人が納得してくれるはずもない。おもむろに説教し出すゼノビオスの言葉をどう受け流したものかと、王は密かに頭を悩ませた。
 これはアルカディア王宮において、実はよく見られる光景である。速さでも競っているように廊下を歩く二人を、通りがかった人々は微妙な表情で見守った。微笑ましいと言えば微笑ましいが、巻き込まれでもしたら飛び火を食って恐ろしい事になる。なるべく眼を合わせないようにしていた。
「……分かった分かった!もう喋らんでくれ!」
 とうとうデミトリウスが足を止め、うんざりと腕を組む。
「まったく。逃げ出してきたというのに、これでは討論室よりうるさいではないか。お前の小言ばかり聞いていては耳が腐ってしまう」
「ほほう、やっとお気づきになりましたか。医師でも呼ぼうかと思うておりましたぞ」
 ようやく政務に戻ってくれるのかとゼノビオスは安心したようだ。厳めしい顔を綻ばせている。だが王は薄く口の端を上げて「要は俺が王として相応しい仕事をしろと言うのだな」と念を押した。
「ちょうどここは西棟だ。王の責務、果たしてやろうではないか」
「……と、言いますと?」
 彼は無言で肩にかかった髪を払い、顎で先の部屋を示した。扉の前に見張り番が控える賓客の寝室がある。まさか、とゼノビオスは呆れ果てた顔をした。中にいるのは美しい女人と、勿論彼も知っていた。
「……昼間からですか」
「無粋な事を言うな。愛の営みに昼も夜も関係ないだろう」
 さらりとデミトリウスは言ってのけて、目を白黒させている老臣を脇目に部屋へ向かった。見張り番が椅子から慌てて立ち上がり、王を迎え入れるべく扉を開く。
「邪魔をするなよ」
 日頃からゼノビオス自身が「世継ぎはどうするのですか」と口を酸っぱくして言っていた問題なので、今度こそ止める事が出来ないらしい。口うるさい父親役を上手く言いくるめた達成感で、デミトリウスは小気味よく戸をくぐった。








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