タナちゃんといっしょ












 後の世でシャイターンと呼ばれる悪魔が力を奪われ、魔獣としての自我を徐々に失いつつあった頃。彼は冥府の奥に封印され、子供の暇潰しに付き合わされていた。
『相変わらず辛気臭い顔をしているな。起きろ、ベスティア!』
 てけてけーと寄ってくる足音を夢うつつで聞き取り、溜息が漏れる。ただでさえ暗闇の中で四肢を固定され、封印の影響で全身ぐったりしていると言うのに、突飛な行動ばかりする少年神の相手をこなすのは苦行でしかない。逃げる事も出来ず魔獣は気だるげに顔を上げ、岩屋に響く足音は幻聴ではないかと期待した。
 しかし念じながら目を開けても、黒髪をなびかせて走り寄ってくる子供の姿は消えてくれない。長い衣の裾をずるずると引きずり、闇を照らし出さんばかりの笑みで威厳もなく近づいてくるのは紛れもなく冥府の王。魔獣は数秒息を止め、諦めがつくと同時に恐々と吐き出した。
『タナトス……また来たのか』
『ここは我の住居だぞ。下界の言葉で言えば我が大家、お主が居候なのだ。つまり賃貸契約とか言う奴だな。立ち寄って何が悪い?』
 ふんぞり返り、妙な例えを言い出す。どうもこの少年神、冥府で水鏡ばかりを見て暮らしているせいか、些か変わった性格らしい。世間知らずと言うほどではないのだが、普通の神々と感覚がずれているようだ。
『……住人を叩き起こすとは、図々しい大家だな』
『むむ、お主なんて寝てばかりのニートではないか。冥府はアフターケアも万全なのだぞ。住人の健康管理も仕事のうちと律儀に見回ってやっていると言うのに、図々しいとは失敬な。これだから渡る世間は鬼ばかりなのだ。世知辛いばかりだ。我は悲しい!』
 魔獣が話に乗ってやれば、今度はぷりぷりと怒り出す。意味が分からなかった。ニートとは何だと口に出しかけたが、どうせ話が逸れるばかりだと悟って疑問を飲み込む。彼との会話で重要なのは、些末に拘らずに受け流す事だと既に学んでいた。
 思えば、出会った当初は警戒して柱の影からちらちらと覗きに来る程度と可愛いものだったのだが、こちらが無害だと分かると掌を返し、問答無用で訪ねてくるのだから堪らない。静かに魔獣が過去の反省をしている最中『随分もふもふしているな』と髪の毛を引っ張っては三つ編みにし、肩によじ登って二本の角を掴んだと思えば、『戦隊ロボのようだ』と発信の号令を掛けて勝手に遊んでみたり。挙句の果てに『腹が減っていないか』と無理やり口に食べ物を詰め込んで、人助けをしたと喜んでいる彼。そしてべたべたになった顔を拭う事も出来ず、沈黙するしかない現在の自分の境遇……。
 思い返すと憂鬱になってきた。魔獣は軽く頭を振り、今のは忘れようと試みる。気を取り直し、改めて冥王に尋ねた。
『それで今日は何の用だ』
『ふふ、なに。少し知恵を貸してもらおうと思ってな』
『……知恵?』
 あっさりと機嫌を直し、何故か得意げに冥王は腕を組む。人に物を頼む態度ではないが、そこを追求しても疲れるばかりなので魔獣はただ聞き返すに留めた。
『どうだ、少し頭を使おうではないか。お主も暇だろう。良いボケ防止にもなるぞ』
『…………』
『こんな所に封印されて、日がな一日ぼ〜っと過ごしているようではニートと言うより隠居した老人。諸国漫遊の世直し旅にも出ないご老公などボケるに決まっている。そのうち己の名まで忘れ、ぽかんと途方に暮れるに違いない』
『さすがに……それはないだろう』
 と否定したものの、確かに近頃意識が曖昧になりがちである。少年がまくしたてる論理も一理あるのかと、魔獣はやや危機感を覚えた。
『まあ、とにかく本題だが』
 そんな彼の躊躇いを見計らったのように、冥王は強引に話を進める。
『我は長年、迷宮の出口を探しておってな。お主の考えも参考までに聞きたいのだ』
『成る程……ここから出たいのか』
 どんな下らない用事かと思ったが、案外まともな話題のようだった。冥府は奥深い迷宮のようになっており、入った者を捕らえ、二度と外に出さない構造をしていると言う。だからこそ魔獣もここに封印されたのだ。自我が芽生えた当初から冥府に閉じ込められていた少年神が、出口を知りたいと願うのも最もな話である。
『この無駄に入り組んだ冥府、もはや母上からの挑戦状と解釈せざるを得ない。恐らく、我がここを脱出できるか試しておられるのだ』
 しかし納得する間もなく、冥王はそう自信満々に言い切った。どうも解釈が自由すぎる気がする。だが具体的に間違いを指摘してやるのも面倒で、しばしの沈黙の後、魔獣は適当に相槌を打って話を合わせる事に決めた。
『それは……所謂スパルタ教育、と言う奴か?』
『うむ、教育熱心な親を持つと子は苦労する。しかし成長途中とは言え、我とて立派な幻想ギリシャの男子。売られた喧嘩はお釣り付きでも買わんといかん。ここは一つ、母上の期待に応えようではないか』
『…………?』
『だがこの冥府、そう簡単に踏破できるものではなくてな。闇雲に歩いただけでは埒があかない。知的なアプローチが必要なのだ。そこで鍵となるのが――』
 冥王はごそごそと懐を探り、大仰なポーズをつけて取り出した。
『じゃじゃーん。我が作った冥府の地図だ!母上の凝り性が浮き彫りになったこの複雑怪奇・前人未到・脱出困難の迷宮で、我が汗水流して歩き回った成果だぞ!まだ未完成だが、これがあれば隠し通路なり秘密の出口なり、ある程度は予測できるはず!どうだ、敬え!』
 そう張り切って突き出されたものの、距離が近すぎてよく見えない。魔獣は眼前に突きつけられた紙面に苦労して焦点を合わせ、小さく首を傾げた。ごしごしと目を擦りたい所だが、生憎、手足は封印されている。
『…………』
『ふふん。どうした、感動の余り声も出ないか?』
『……これは何の怪文書だ』
『む?』
『ミミズがのたくっているようにしか見えん』
『…………』
『…………』
『……こ、この表記法は少し高度すぎるのだな!し、仕方ない。簡単に書き直してやろう!』
 冥王は慌てて懐から新しい紙を出すと地面に座り込み、せっせと清書し始めた。彼の指はひょろりと細長いので、物を書こうとすると筆先が不安定になり、ぷるぷると震えてしまうらしい。地図が下手な原因はこれかと魔獣は少し同情した。彼も同じように長い爪があるので、少なからず共感を覚えたのである。
『タナトス……』
『ま、待て。今話しかけても返事は出来んぞ!』
『もう少し筆の、下の方を持てばいいと思うのだが』
『む』
『……逆だ』
『う?』
『いや、だから線が震えるぞ。それでは』
『むぅ……』
『……もしやわざとか?』
『うぅ!』
 アドバイスをすればするほど視線を感じて混乱してしまうのか、真剣な面持ちに反比例して地図は酷い有様になっていった。筆を握り直して軌道修正しようとするものの、その必死さが無駄な力となって、線の震えに繋がってしまうらしい。
『う……ぅっ、ぐす……』
 段々と辺りの空気が湿ってくる。最初は赤らんでいた冥王の頬が次第にぷるぷると震え、大きな瞳が湖面のように揺らぎ始めた。地面にのめり込むのではないかと危惧するほど、彼の顔は徐々にうつむいていく。
『わ、我……絵が下手なんじゃないもん……アーティスティックなだけだもん……!』
 ぐちゃぐちゃになった地図を見下ろし、そんな強がりを言う。さすがに魔獣も気の毒に思い、鼻をすする子供と地図を見比べて、聞こえぬよう小さく溜息を吐いた。
『ああ、そうだな。下手ではない』
 出来はともかく、努力は誉めてやるべきだろう。手が自由に動くならば頭の一つも撫でてやるところだが、魔獣は努めて優しく声を掛ける事にした。
『先程はミミズなどと言ってすまなかった。この地図もヒュドラが暴れた後のようと言うか……まるで絡まりあった運命の糸のような独創性が……』
『うぅぅうう、馬鹿者!それでフォローしたつもりか!』
 しかし慣れぬ事をしたせいだろう。魔獣の不器用すぎる慰めに、がばりと立ち上がった冥王は悔しそうに地団駄を踏み、羞恥に耐え切れなくなったのか脱兎のごとく逃げ出した。
『これだから無粋な男は駄目なのだ!空気を読めぬのだ!きっとお主は惚れた女が出来ても百年くらい自分の恋心に気付かぬタイプだぞ!さっさと振られてしまえ!』
 去り際のどさくさに紛れて、妙な言い掛かりをつけられる。魔獣は渋面を浮かべて黙り込んだが、駆けて行く子供が自分の服の裾を踏み、べしゃりと派手に転ぶのを見て、更に沈黙を深くしなければならなかった。何とコメントしていいのか分からない。
『……ぅ、……母上ぇ……』
 すんすんと涙ぐむ声が地底に木霊する。魔獣は目を反らし、冥王のプライドの為にも見ない振りをしてやった。視線を下ろした先には先程の地図が皺くちゃになって落ちている。泣かせた詫びに迷宮の出口を予測してやろうかと考えてみたが、やはり地図自体が読めたものではない。
 この調子では冥府脱出計画は頓挫しそうだと、そう思った。





END.
(2009.09.06)

冥王様がアダルティーに成長したら、またテンションの違う二人になるとは思いますが、とりあえずショタナと保父シャイタンのペア萌。

ショタナは水鏡で時代劇とか昼ドラとか観るのが趣味です。



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