立ち消えぬ片鱗












 その歪みがいつから始まっていたのか、見分けられたとしても止める術はあっただろうか。
 咲き乱れる花に閉ざされた王宮の底。何が起こっていたとしても、知り得る人間は限られていた。
「ここにもいないか……」
 ポリュデウケスは妾腹の王子を探し、側室の離宮を彷徨っていた。彫刻の施された柱廊は美しいが、王の寵愛がない侘しさが自ずと漂い、来客すら拒むように邸内は閑散としている。武術指導の時間になっても運動場に顔を出さない王子の痕跡を追えど、彼の私室にも姿はなく、ポリュデウケスは不審を募らせて歩く足を速めていた。
 スコルピオスが時間に遅れるとは珍しい。気位の高い彼が臣下ごときに心を開く事はなかったが、それでも武術や兵学の講義は真面目に取り組んでいた。詩学や神学の方はどうか知らないが、少なくともポリュデウケスが担当する授業において怠ける姿を見た事がない。貪るほどの熱心さが、かえって痛々しいと思えるほどに。
 ――私室にいないとなれば、入れ違いになってしまったのだろうか。
 それにしても人気のない邸内だった。王宮内にあるとは言え、この瀟洒な離宮は広大な庭園の深くにまで足を伸ばさないと辿り着かない。臣下たちでさえ滅多な事では立ち入らないよう言い含められていた。神経質なシャウラは生家から連れて来た侍女たちにだけ身の回りを世話をさせ、多くの人間が離宮に出入りする事を嫌った為である。
 その息子、スコルピオスが初陣を果たして二年。
 迷いを断ち切ったかのように王家へ忠実に振る舞い始めた彼を、周りは概ね好意的に見なしている。ここ三百年程アルカディアは玉座を巡って家督争いが耐えなかったが、妾腹の王子が自らの立場を弁えたのなら幸い。ゆくゆくはレオンティウス様の為政を支えてくれるだろう。このままなら次代の継承争いは起こらずに済みそうですな、と。
 しかし――。
「下策だな」
 いつだったかの講義の様子がポリュデウケスの頭を過ぎる。歴史を紐解き、かつての会戦を記録した布陣図を見遣りながら、古代の王を一笑に付したスコルピオスを。
「いくら重装歩兵が主力だからといって、機動性のある騎兵を無用と見なすようでは戦闘が長引くのは無理はあるまい。伝統に則って右翼に最強部隊を配置するというのも芸がないものだ。これで勝利できたとは、祖父の時代は随分と平和だったのだな」
 彼は綴じたパピルスの書が破れるのではないかと案じられるほど、数々の戦術書や国史を読破していた。さながら歴戦の将が配下を罵倒するかのような口調に、ポリュデウケスは舌を巻いたものだ。
「まあ、今でこそテッサリア産の名馬を買って大厩舎を立てましたが、当時は馬が少なかったですからね。歩兵が主力の時代ではこのような布陣が一般的だったんですよ」
「下らん。時間もないのに使えん戦術など教えるな」
 古い布陣図を無造作に押しやり、次へ手を伸ばす。彼は歴史上の名高い戦の陣形を片っ端から頭に詰め込んでいる最中で、あれやこれやと巻紙や獣皮紙を捲っていた。
「殿下……本当に春には王都を出るおつもりで?」
 今更確認すべき事ではないが、やはり問わずにはいられない。尽きる事なく知識を貪る教え子の様子に、ポリュデウケスは喜び以上の深い困惑を持って彼の赤毛を見下ろした。
 スコルピオスは先日「戦場での己の無力を実感し、ついては技量を磨くためにも王都を出、一平卒として堅実に学んで国を支えていきたい」と殊勝に申し出たのである。
 それが表向きの口実に過ぎないと、教育役のポリュデウケスが気付かない訳にはいかなかった。闘志を薄めないスコルピオスの執念を哀れに思う反面、この決して同情を欲しない青年の行く先が案じられる。
「わざわざ身分を捨てて辺境へ行くとは、何を企んでおいでです?」
「……口を慎めと言いたいところだが、今は誉め言葉と受け取ってやろう」
 スコルピオスは鼻で笑った。
「既に俺に王位継承権はない。そんな中、王宮にいて得られる物は多くないだろう。もう学ぶべき事は学んだ。無駄に派閥争いを起こして王に警戒されるならば、いっそ駐屯先から足場を固めた方が早いと思わんか?」
「潔い事を――それに王都を出ればシャウラ様が悲しみましょう。酷い嘆きようだと聞きましたが、お許しは出たので?」
「……あの人は息子と言う味方が欲しいだけだ。ああも正室に楯突くようでは、どれだけ俺が苦心しても王の不審を拭えぬと言うのに」
 言いよどんだ自らを恥じるように、スコルピオスは舌打ちした。浅はかな、と呟く横顔は口調に反し苦渋が浮かんでいる。王に疎まれた幼少時代、母親の偏愛を糧にしなければならなかった故の苦々しさなのだろう。しかし甘い子供時代の名残を振り払うように、彼は無造作に次の布陣図を手に取った。
「母上が許そうが許すまいが、俺は春に王都を出る。もう潮時だ。いつまでもこんな場所で燻っている気はない」
 彼は口角を歪めて言った。深い緋色の眼は本来なら灯火を思わせる暖色だというのに、驚くほど冷え冷えと冴え渡って見える。
「お前も覚えているといい、ポリュデウケス。蠍は機を見て岩場に逃げ込んだと」
「……逃げるとおっしゃりますか」
「書物の中にもあったろう。『武力によって敵と戦い、これを敗ることは勇気の証である。だが策を用い、戦わずして敵を敗ることもまた見識である。危険を冒さずに勝利を得ることこそ、賢明なる将軍がまず一番に絞る知恵である――』」
「ポリュアイノスの戦術書、ですか。よく覚えましたな」
「現王は武力に頼りすぎる。いくらアルカディアが雷神の強国だと言え、悪戯に国を疲弊させるだけだ。攻めの一手しか持たぬ者は引き際を知らない。俺は、そのような愚を冒す気にはなれぬ」
 青年は高圧的に宣言した。つまり戦わずして勝利する、と。
 彼が野望を口の端に滲ませる際、その目は必ず捕食者の鋭さを持った。彼はレオンティウスが生まれた後も態度が変わらぬ自分に対し、いつ掌を返すのかと半ば期待するような態度を取る。敵か味方か分からぬ相手なら、いっそ手酷く裏切られ、遺恨なく斬り捨てた方が楽だと言わんばかりだった。
 ――末恐ろしい王子だ。
 ポリュデウケスは努めて平静に答えるべく、微笑を浮かべて飄々と返す。この孤高の王子を独りにさせておくのは気がかりだった。
「それは寂しくなりますな。出来の良い教え子を失うとは残念です。せっかく本格的な戦術を教えられるものかと期待しておりましたのに」
「……何を戯けた事を。お前もさっさとレオンティウス側に回るといい。あれもそろそろ化ける時期だ」
「貴方がそう簡単に野心を話されるので、今更あちらに回るのも忍びないのですよ」
 青年は小さく鼻を鳴らし、偽善者め、と至極詰まらなさそうに足を組んだ。ポリュデウケスは床に落ちた布陣図を拾い上げながら、半ば確信的に未来を予想する。
 この人は必ずや反旗を翻すだろう。
 父王に認められようと健気に勉学に励んでいた少年が、今や不穏な空気を帯び始めた事に気付かない訳にはいかなかった。慕う異母弟の首を絞めていたのも遠い記憶ではない。表向きに衝突する事は現在ないものの、どう足掻こうが異母兄弟が対立するのは宮廷内を巻き込んだ一つの決定事項にも見えた。
 そのどちらを立てるか、いずれポリュデウケス自身も決めねばならぬ時がくる。代々王家に仕える家柄の彼は、幼い頃からアルカディアの為、ひいては王の為に生きろと教え込まれてきた。弟のカストルが第一の家臣としてレオンティウスについたのは本人の意向と共に、ブロンディスの血を絶やさず守れとの本家の意志があった故。今はデミトリウスに忠誠を誓っているが、次代の王となる者を早くから見定めて支える事が忠義だと。
「兄上は、私をうらんでおられる」
 レオンティウスも幼いながらに自らの立場を悟り始めている。
「きっと、しかたがない事なのだ。それだけ兄上はアルカディアを愛しておられるのだろう……しかたがない。兄上ほど上手くできないだろうが、せめて私も第一王子の名に恥じぬよう、がんばらねば」
 健気に兄を慕う彼はそう言って、やはりポリュデウケスの講義を聞きながら真摯な表情で古いパピルスを覗き込んでいた。ほとんど意味も分からない血塗れた国史を聞かせてやりながら、出来のいい兄の後を追って懸命になるレオンティウスは、嫡男と言う恵まれた立場でありながらも劣等感で幼い胸を一杯にさせているように見える。
 確かに勉学においてスコルピオスの才覚は目覚しく、温和なレオンティウスが戦術や策謀などの分野で兄を凌ぐことは難しいだろう。本質的に彼は優しすぎる。
 せめて悲劇を和らげる事は出来ないだろうか――。
 歪み始めたまま、二人の王子は順調に育っていく。それは同時に、成長する彼らが首を狩り合う宿命を辿る事に他ならず、ポリュデウケスは日々の任務をこなしながら密かに心を痛ませていた。
 そして今は、授業の時間になっても姿の見えないスコルピオスの事が気にかかる。
「どこにおられるやら……」
 息を吐き出し、物思いから頭を切り替えたポリュデウケスはいつまでたっても果てがない回廊で足を止めた。
 つい最近まで彼を亡き者にしようと虎視眈々と狙っていた一派が存在していた事を思い出し、よもや、と表情が陰る。
 アルカディア王家においてブロンディスの祝福とは直系の繋がりを示す神聖なもの。ポリュデウケス自身は教え子をそんな理由で差別する事はなかったが、雷神の加護を持たないスコルピオスへの風当たりは宮廷内で随分と強かった。実の父王でさえ側室の母子を遇する事がなく、もしや違う男の種ではないか、と疑っていた節もあると聞く。
 しかし神託が認めた世継ぎがレオンティウスとは言え、スコルピオスも古代から続くアルカディア名門の血筋。横の繋がりで貴族連中の後ろ盾もある。いくら雷神の加護がないとは言え、その政治上の対立故に造反の虞ありと危険視される事が多かった。毒も何度か盛られたと、本人が零していた事もある。
「すまない。殿下がどこか知らないか?」
 通りがかった女官に声を掛けると、大袈裟なほど彼女は身をすくめた。届け物をしている最中だったのか、抱えていた壷を取り落としそうになっている。
「い、いえ、私は……」
 口ごもり、怯えたように視線を彷徨わせる様子が明らかに不自然だった。持ち前の勘の良さでやんわりと詰め寄ると、女官は半ば涙ぐんで柱廊の奥――シャウラの私室の方を指差す。
「黙っていろと言われましたが、あちらに先程……恐ろしい剣幕で行ってしまわれて……」
 何をそれほど怯えているのかと察しかねたが、理由を聞こうにも要領を得ない。しかし彼女が差し出した右腕に赤いミミズ腫れが出来ているのを見て、さてはまたシャウラが癇癪を起こして暴れでもしたのだろう、とポリュデウケスは暗澹たる気持ちで推測した。スコルピオスは母親を宥める為に狩り出されたに違いない。
「やれやれ、困った御夫人だ。私も殿下に加勢してやった方がいいな」
 安心させるように軽く言うと、更に一人回廊を進む。
 南に面した彼女の私室に入る手前で、横から人の話し声が聞こえてきた。柱の影に隠れているが、どうやら奥まった場所にもう一部屋あるらしい。
 何か不審な所があった訳ではない。しかし双璧と名高い彼は武人としての才覚以上に、やがて一門を連ねる長男としての資質からか、きな臭い気配にも人一倍に敏感であった。幾らなんでも邸内に人がいなさすぎると急に気にかかる。
 ――まるで故意に人払いしたのようだ。
 そんな離宮で唯一、聞こえてくるもの。声の出所を探し突き止めた室内は、窓を塞がれて昼だと言うのに闇に包まれていた。蜜蝋の甘い香りと明かりに混じり、重たい空気がじっとりと湿気を帯びている。
「た、助け……!」
 扉を開けたポリュデウケスは、入れ違うように転がり出てきた人物を反射的に避けた。
 見知らぬ男だ。引きつった悲鳴は途中で途切れ、その背には鍔に届くほど深く剣が沈められている。
 ――逃げる背を刺したのだ。
 一太刀のもとに斬り捨てられた男の遺体を蹴り、咄嗟にポリュデウケスは鞘ごと剣を引き抜いた。真向かいから突き出された刀身を弾かなければならなかったのだ。
「……!」
 動きに添って跳ね上がる赤い髪。一時の衝動から放たれた大振りな太刀筋。抜き身の剣先をポリュデウケスは鞘のまま押し留め、冷静さを装いながら苦笑する。
「踏み込みが甘いですな。師に向かって何の真似です、殿下?」
「……お前か」
 半ば予想した事だったが、室内から血をまとって出てきた青年はスコルピオスだった。彼は有事の際、武具を二つ以上身につける。それが長剣二本の時もあれば、短剣、また弓や小型の戦斧の時もあった。どの獲物が一番手に馴染むのか試し、また最も得意とする長柄武器が使えなくなった時の為、一つは予備として持つのだと言う。それは雷槍などの神器と違い、ごく普通の装備で間に合わせねばならない王子の苦肉の策かと思われた。
 逃げ出した男の仲間だと思い、斬り付けてきたのだろう。相手がポリュデウケスだと知ると、驚いた反面どこかつまらなさそうにスコルピオスは刃を引いた。
「母をたぶらかした連中だ。始末した」
 彼の背後には無数の蝋燭が灯され、広い室内を赤々と照らしている。見慣れぬ三人の男が床に倒れており、むっとする香料と酒の匂いに混じって、乾ききらぬ赤い飛沫が四方に飛び散っていた。ポリュデウケスは血臭に顔をしかめ、部屋の中央に簡易の祭壇が設えてある事を見つける。
 祭壇の上には大蛇の亡骸と共に、一太刀の剣が置かれていた。その台座にすがるようにして、ぐったりと気を失ったシャウラの姿がある。命に大事はないようだが、彼女の右手に浅からぬ刺し傷が出来ている事が分かった。
「無残な……一体これは何事です?」
 絶命した男から剣を引き抜く事もせず、無言のままスコルピオスは死体を足で退ける。元から多弁な青年ではない。しかし若年ながら知略と策謀に慣れた庶子の王子は、既に何事かを掴み掛けているようだった。死体の衣服を漁っても身元が判別できないと知ると、忌々しそうに眉根を寄せている。ポリュデウケスは静かに問い直した。
「説明なさって下さい。王宮内でこのような大事があったと知れれば、殿下の立場は更に危うい。事情が分かれば他言はしません。ですので、どうか」
「……恐らく秘儀か何かだ」
 不本意とばかりに吐き捨てた王子の言葉に、ポリュデウケスは目を剥く。
 秘儀とは書いて字の如く、神と通じて生命の再生と復活を祈る秘中の儀式。内容を他言すれば死をもって罰せられる。
「秘儀となれば……この男達は神殿の者だと?」
「詳しくは知らん。だが雷神殿の者ではあるまい。他の国家神だろう」
 確かに室内の様相はアルカディアの祭事では見られない形式だった。ブロンディスは民と共に邪神を退けた伝説から、正義と調和を尊ぶ高潔な戦神である。土地の豊穣を示す牛や羊を捧げる事はあれ、このように蛇や人間の血などは求めない。
「俺が来た時には儀式の途中だった。連中が何事か唱えながら祭壇に剣を祭って、母の血を捧げた……雷槍に並ぶ神器を俺にと、以前そう言っていた事がある。下らんと止めたはずだが、まだ諦めていなかったのだな」
 肩から外した麻の外衣をシャウラに掛けてやり、薄くスコルピオスは唇を歪める。祭壇に置かれた剣は両刃で、握りの部分は象牙で出来ていた。よく鍛えられているが、ごく一般的なグラディウスだ。捧げられた大蛇の血を被っているのが唯一の特徴と言ってもいい。
 浅はかな事をと、ポリュデウケスは思わず唸った。
「よりによってアルカディア王宮内で、ブロンディス以外の国家神を呼ぶなど……神の怒りを買うと、追放処分を受けてもおかしくはありませんぞ」
「だから儀式が完了する前に、連中を斬って終わらせた。母には当て身で気絶して貰ったが、じきに目を覚ますだろう」
 母親の傷の深さを調べながら、つとスコルピオスは視線を上げる。
「この大罪、お前は王に告げるか?」
 低い、否定を許さぬ声だった。試すような色もなく、確定的に青年は問う。
 告げるのだろう、と。
 その口調はポリュデウケスが頷くのを半ば期待していた。彼は喜んで裏切り者の首を狩るに違いない。やはりお前も俺を背くのかと。これだから人を信ずるのは難儀だと。
「……いえ、私が内々で探らせましょう。我が国屈指の名家出身であるシャウラ様が、他国の秘儀を知るはずがない。或いは裏があるやもしれません」
「ほう」
 ポリュデウケスが首を振れば、当てが外れたように青年は失笑する。まあいい――と視線を落とし、狂信的に息子に依存する母を見下ろして冷ややかに言った。
「それにしても、ようやく従順にして見せた所で母を誑かす策に出るとは、余程この俺が邪魔な輩がいると見える。レオンティウスも良い家臣に恵まれたものだな」
 一瞬ポリュデウケスは言葉に詰まった。
「……彼の本意ではないでしょう。きっと何も知らされないまま、どこかのお節介が手を回しているのです。弟君は、今も貴方を好いておられる」
「それも幼さ故だ。じきに牙を剥く。アルカディアの玉座は代々そうして覇者を選んできたではないか」
 迷いなく発せられる台詞に、確かに、という言葉をポリュデウケスは飲み込んだ。現王デミトリウスも叔父と兄弟を廃して伸し上がった身。史学を開けばアルカディアだけでなく王国の大半が、こうした親族争いで歴史を緋色に染めているのだ。
「そして神の加護がない子しか産めぬと、運命に見捨てられた女の末路がこれだ。他国の神に縋るとは、浅はかで、月並みな狂女ではないか」
「殿下」
「……この女は今後、俺の荷物にしかならんのだろう」
 それでも俺の母だと、捨て置けない憤りを言外に滲ませて青年は喉の奥で痛々しく笑った。
 どれだけ我が身の枷になろうが、愛された思い出の為に斬り捨てる事が出来ない、と――。
 後になってポリュデウケスがこの時を思い出す際、極端に弱みを見せたがらない青年がほぼ唯一傷心を吐露した場面がここだったのだ、と気付かされる。何故あの時、自分は励ませずに言葉を呑んでしまったのだろう、との後悔も。
 結局、シャウラを秘儀に招き入れた男たちの出所は掴めなかった。残された祭具からラコニアの差し金かと推測されたが証拠はなく、内々で処理すると決めた以上、一人で調べられる事にも限界がある。そもそもレオンティウス側の企みだったのかさえ曖昧で、改めてポリュデウケスは雷神でさえ照らし出せない宮廷内の底知れぬ闇に戦慄した。


 やがて、時は巡る。
 これ以上の歪みを避けたポリュデウケスが双子を連れ、アルカディアの山郷へ去って数年後。一転して穏やかな時を過ごし、忌み子として処分されるはずだった双子がすくすくと大きくなっていくのを間近に見ながら、やはり子供はこうして育つべきだとポリュデウケスは深く感じ入った。
 神の加護があろうがなかろうが、周りの愛情を素直に受け止めて野を駆ける子供達の、なんと健やかな事だろう。気負いなく、ただ笑い転げる。このような生活が二人の兄王子に許されていたのなら、また何か違う運命があったのではないか。
「あなた。カストル様からお手紙が」
 そうポリュデウケスが思い募らせる某日、王宮からの使いから受け取った手紙を妻のデルフィナが持ってきた。元は女官であり王妃イサドラとも親しかった為、妻も王宮の事には通じている。ある程度の内容を使いから聞いたのか、美しい顔を悲しげに沈ませていた。
 手紙の内容は、レオンティウス暗殺未遂が起こったとの記述。密かに連絡を取っていた弟の筆跡を辿りながら、ポリュデウケスもまた深く頭を垂れる事となる。
「シャウラ様が犯人とは……」
 神の怒りに触れたのか、それとも長年不幸を嘆いた呪詛が我が身の毒となったのか。徐々にシャウラは身と心を壊し、恋人でも扱うようにスコルピオスを溺愛して憚らず、褥まで共にしているのではと揶揄する声もあったと言う。
 不遇の息子に重すぎる愛情を注いだ女が、最後に成し遂げようとしたのは彼の道を阻む第一王子の殺害。狂乱のまま正室に乗り込み、手にした短刀でレオンティウスの心臓を狙った――しかし彼女の腕を掴んで床に取り押さえたのは、偶然その場に居合わせた当のスコルピオスだったと言う。
 どういう経緯や心情があったのか、手紙からは読み取る事が出来ない。世継ぎを助ける為に実の母を取り押さえた忠誠を評価され、スコルピオスの階級は一つ上がった。シャウラは幽閉状態に置かれたが次の春を待たず狂乱のまま急死、と手紙は事務的に結ばれている。
(この女は今後、俺の荷物にしかならんのだろう――)
 その台詞と共に、一瞬、全てスコルピオスが仕組んだのではないかとの疑いが脳裏を横切った。王への不満を隠さず感情のままに動くシャウラの存在は、彼の立場を常に危うくさせていた。母を使い、レオンティウスを庇う芝居を打つ事で自らの株を上げたのではないか、と。
「とうさま、どうしたの?」
「こわいかおしてる……」
 沈痛な顔をして手紙を読みふける父を案じたのか、膝元に子供達が寄ってくる。愛らしい二つの顔を見下ろしながら、いや、とポリュデウケスは疑いを振り払った。
 彼も血の通う人の子だ。実の母を貶める事など、いくら狡猾な蠍にも出来る筈がない。
「いや……ちょっと考えすぎただけだ。父様は頭が悪いから、どうも難しくなっていけないな」
「あたまがいたいの?」
「だいじょうぶ?」
「大丈夫だ。心配ならお前達、いつのも奴で元気をおくれ」
 そう言って双子を膝に抱き上げると、くすくす笑いながら左右の頬にちゅっと口付けてくれる。髭がくすぐったいと足をばたつかせる子供達をあやし、ポリュデウケスは手紙を暖炉の火にくべた。デルフィナの用意する夕食が食卓に上がるまで、家族を不安がらせないよう、気持ちを落ち着かせなければならない。
 遠い王都での出来事が灰になろうとも、そこに渦巻く同胞達の争いは続いている。残してきた二人の王子が人並みの幸福を手に入れられるのか――燃やした手紙の彼方に見えないものかと、彼は祈るように眼を細めた。






END.
(2009.01.18)

アルカディア王家どろどろ計画発動中。上手く言えないのですが、スコピーはポリュがどういうつもりで自分を差別しないのか試していて、ポリュはそれを華麗にスルーし続けたまま別れた、と言うイメージ。忠信もなければ裏切りもない。でも密かに気がかり、と言う関係。
ちなみにスコピーは邪魔でも、どうしても母だけは裏切れませんでした。事故です。


TopMainMoira



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