少年偶像.3












「……双子?」
 寝室を訪れたレオンは驚いて二の句が継げなかった。抜けられない任務で目付け役のカストルが欠席している事を幸いに、熱っぽい体を無理に起こして母の元に駆けつけると、産湯や汚れた布やら出産の穢れを楽しそうに片付ける女奴隷たちの真ん中にポリュデウケス夫婦が立っている。目を白黒させている王子を眺め、皆にこにこと可笑しそうにしていた。
「御覧なさい。雷神の血を分けた、貴方の兄弟ですよ」
 寝台に横になっている母の腕の中には、白い産着に包まれて二つの柔らかな塊が抱かれている。レオンは困惑を隠せないまま足を進め、慎重に新しい命を覗き込んだ。
 むにむにとした肌色が並んでいる。思わず目を細めた。
「ずいぶん……しわくちゃです」
 大丈夫なのかと首を傾げる王子の反応に、ポリュデウケスが明朗に笑って答える。
「まだ生まれたばかりですからな。殿下も最初はこんな顔をしていましたよ」
「……似ていた?」「ええ」
「そうか……似ているのか」
 ほっとしてレオンは頬を綻ばせた。子供の片方は眠っているのか大人しく、もう片方は元気な産声を盛んに上げている。まだ目を開けていないので瞳の色は分からないが、息吹を上げる二つの幸福がこちらの顔まで笑顔に染め上げた。
 何て小さく、あどけない命だろう。指先で頬を突付けば柔らかく、むにゅむにゅと何事か呟きながら瞼を震わせる反応が堪らなく可愛らしい。まだまだ不細工な顔だけれど、きっと数日もすれば目も開けて、数年経てば自分を兄と呼んでくれるようになるのだ。
 ――この子たちを愛したい。愛されたい。
 とっくに不安など消し飛んでいた。一杯愛情を注いで、一杯遊んでやりたい。レオンは嬉々として双子の様子を眺めながら、あれこれを将来の計画を練り始めた。
 まずは慕われるように努力しよう。恨まれるような事があれば償えばいいし、望むものがあったなら差し出そう。第一王子と言う立場だけは生まれた順番だからどうにも出来ないが、この子達が満足するような幸せな国を作って代わりに贈ればいい。良い兄になる事は、もしかしたら良い王になる事と同じなのかもしれなかった。
「そうだ。性別はどちらなのですか?」
 はたと思い至って尋ねると、イサドラは少女のように人の悪い可憐な微笑を浮かべて囁く。
「それがね、両方なのですよ」
「……両方?」
「男の子と女の子なの」
 嬉しさのあまりレオンは顔を赤らめた。頭の中が喜びで一杯になる。狩りも、花も、武術も、詩も、色々と教えてやれるではないか。
「どうしましょう母上。弟も妹も出来ただなんて、すごく――忙しいです」




 * * * * * * * *


 

 双子の誕生による興奮のせいでレオンがまた熱を出し、崩した体調を戻す為に渋々寝かしつけた翌々日。デミトリウスの使者として神殿に赴いていたカストルから緊急の呼び出しがかかった。
「子を、殺せと――?」
 無慈悲な神託にまず驚いたのはポリュデウケスの方で、イサドラは衝撃のあまり言葉も発しない。青ざめたカストルは馬を走らせる途中で濡れた髪を掻きあげ、悲痛な面持ちで告げる。
「さすがに陛下も迷っていたご様子でした。しかし……神殿の決定です。他国も同じように処理をすると言う事……」
 その先の台詞を誰もが予測しながら、先を促そうとはしなかった。生後三日という短い生しか知らぬまま双子が命を絶たれるのかと思うと、あまりの惨さに声も出ない。ひとまずカストルはレオンの世話をするようにと言い渡し、彼の足音が去ると室内は再び沈黙が支配した。
「嗚呼、何て事……!」
 遂に泣き崩れたイサドラが女神の仕打ちを嘆いた時、案じるなとポリュデウケスが提案した救済は意外な物だった。
「ちょうど私も結婚した身。人目に付かない場所でお二人を自分の子と育てれば、誰も王家の忌み子だと分からぬでしょう。このまま王宮に置いておけば殺される運命にある……ミラに逆らい我が子と別れるのは二重にお辛いでしょうが、私にお任せくださいませんか?」
 泣きはらしたイサドラはせめて数日待ってくれと嘆願し、この提案を飲んだ。王家に生まれながらも城を追われ、育つ我が子の成長を見守れないのは母親にとって何よりも酷な事だったが、尊い命には変えられない。デミトリウスが辺境から王宮に帰るまでに、双子は死んだものとして全てを内密のまま処理する必要があった。
 この計画を知っているのはイサドラとポリュデウケス、そして妻のデルフィナだけである。出来るだけ秘密が漏れぬよう、裏切るようで心苦しいが城に残るレオンやカストルにも内情は伏せられた。
「あの子達が死んだ……とは、本当か……?」
 まだ具合が悪いのか、寝台に横になったレオンの目尻は最初から熱っぽく潤んでいる。昏睡から覚めた第一王子に追い討ちをかけて告げるポリュデスケスの任務も、また心が痛んだ。
 彼が数日眠っている間、双子は空の棺を持って葬儀を挙げており、既に亡き者として扱われている。
「嘘だろう?あんなに元気そうだったのに衰弱死だなんて……私はまだ、彼らに何もしてやっていない……」
 喜びから絶望に叩きつけられるレオンの表情は唖然として、かえって反応が薄い。熱のせいもあるのだろうが、現実に理解が追いついていかない瞳は気だるげに瞬きを繰り返すばかりで、太陽を二つに分けた黄金の色は鈍かった。しばらくは物も言わず、ぼんやりとしている。
 更にポリュデウケスが妻と共に暫く実家に帰ると告げると、寂しくなるな、と王子は目を閉じた。雨音が響く。
「……ポリュデウケス」
「何でしょう?」
「私は結局、お前のような良い兄にはなれなかったな……」
 囁く声音の低さに、ポリュデウケスも言葉に詰まった。しかし知らぬ顔をして去らなければならぬ立場を思えば、彼らは元気に生きていると告げる事も避けなければならない。
「いいえ……短い間でしたが、殿下は良い兄君でしたよ。カストルから聞きましたが、いつもイサドラ様の腹に話しかけてやっていたそうではありませんか。きっとお二人も分かってくれたはずですよ」
「そうだといいが……」
 レオンは力なく微笑んだ。もう眠る、と呟く彼を残して部屋を出ると、小さく呻く泣き声が去った扉の向こうで聞こえてくる。
 死に別れた弟妹を静かに悼む王子の声も、やがて沈痛なポリュデウケスの足音に紛れて遠ざかっていった。

 運命の神託。

 こうして各国を巻き込んだ不吉な予言は、幾つかの歪みを残しながらも、破滅を回避したかに見えた。





 * * * * * * *

 



 ――そう言えば、瞳の色も知らなかったな。
 黄昏の残照が琥珀の目を焼いた。槍を振るえば、出陣を果たした彼の周りでは凄まじい閃光が迸る。燃えたように平原は赤く、研ぎ澄まされた神経には山岳を抱く戦場の向こうまで透かせそうな気さえした。血煙を浴びながらレオンティウスは馬首を巡らせて、何年も前の事に思いを馳せる。
 戦場の何が死んだ弟妹を連想させたのか、自分でも分からない。
 呆気なく自分の手にかかった敵兵の儚さか、地に伏せる屍の従順さか。死すべき運命にあった彼らの前で、自分は神の申し子ではなく単なる通過点でしかないのかもしれないと感じる。
 あれから数年。
 二度の出産でイサドラは子を生めぬ体になり、また側室シャウラも精神を病んで急死し、アルカディアの王族構成は既に確定されていた。レオンティウスは幼少の頃こそ命が危ぶまれる場面も多かったが、十二歳を過ぎた頃にはブロンディスの力の我が物とし、今は列国の中でも群を抜いた優秀な王子として名を馳せ始めた最中である。ここ最近では国々の対立も厳しくなり、過酷な戦乱に明け暮れて目が回るようだった。
「もう夜が近い。深追いはさせるな、カストル」
「はっ」
「明日に持ち越して体制を立て直す。レグルスとゾスマは撤退の準備と、父上への連絡を」
「了解」
「お任せください」
 指令を下した彼の横を、忠実な臣下が馬を走らせる。没し始めた地平は徐々に暗闇に染まり始め、充満した死の匂いさえ濃くしていくようだ。レオンは愛馬の首を軽く叩いて労をねぎらい、最後に野を見下ろす。気の早い夜風が精悍さを増した彼の横顔を愛撫した。
 夏を装う山岳地を縫い、平野は狭く入り組んでいる。戦いがなければ昼間には小高い丘を牧童が歩き、川べりには涼を求めて小鳥が囀っているのだろう。彼は血で汚してしまった事を内心で詫びながら、皮が厚くなり武人の物と変貌した自らの手を風に晒した。
 自分の死を望む異母兄。
 無抵抗に殺された羊。
 知らぬ間に死んだ弟妹。
 武器を取って最初の敵を殺める瞬間、この三つの事柄をよく思い出す。最も胸の深くに刻まれた記憶だからだろうか。槍を振るって一つの物語に幕を閉じるたび、彼自身が走馬灯を見るように脳裏を過ぎる光景がある。
「……アルカディア」
 呟く自国の名は理想郷の代名詞。母の腹に耳を当て期待に胸を膨らませた、あの麗しい蜜月の象徴。全てが幸福に廻るのではないかと幼く笑んだ、少年時代の偶像。
 ――幸せだった。
 しかし僅かな時間しか希望を持つ事も許されなかった。第一王子と言う恵まれた生い立ちの自分にとって、新たな宝石を掴もうとする事自体が過ぎた望みだったのかもしれない。双子が亡くなったと聞いて人知れず流した涙の熱さが、未熟な胸を今でも焦がす。
 ――せめて、今ある物だけでも守りきってみせよう。
 一房の金の髪が重たげに揺れた。レオンティウスは躊躇いなく馬を駆り、明日の戦いに向けて逸る心を抑えながら雷槍を握り直す。時が彼を殺伐とした青年時代へ押し流していく。
 ここが私の国。アルカディアが私の家族であり、私自身の楽園であるように。
 課せられた運命が望むのなら、この国の為に身を削る事も惜しくはなかった――。

 こうして縦糸が歴史を走らせ、横糸が英雄を交わらせた時代。
 庶子の第一子、嫡男の第二子。相対する魅力で人を惹きつけたアルカディアの二人の王子だったが、立場の違う彼らが和解する事は生涯なく、やがて王位を賭けて剣を交える事になる。
 一方、山野に隠れ住んだポリュデウケス夫婦が育てた双子の運命も絡む事となり、予言をなぞって全ての歯車を回し始めるのだったが、そのような事態が先に待っていると年若い王子が知るはずもない。
 神の眷属と言えども死すべき人間の身――だからこそ獅子は見えない糸を引き受け、紡ぎ上げられた理の中で凛と生き抜いた。







END.
(2008.11.30)

本編だとあまり生活観の感じられない爽やか王子なので、出来るだけ人間臭くしてあげたいなと思ったらこんな事に。


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