欺かれた町の物語












「つまりこれは鬼神の仕業でございます」
 美しい語り手は魅惑的な眼差しで、おもむろに話し出した。




* * * * * * *




 噂とは生き物である。
 大都市から離れた小さなオアシスの一つ、隊商の中継地として賑わう市場で、噂は人々の生活に事欠かない。有益な情報は商人達の間で金に変わることもあるが、最も多いのはやはり娯楽としての姿。無数に飛び交う巷談に自分も仲間に入れろと加わって、馬や驢馬もいななく始末。
 新しい噂はひた走る。飛び上がる。人々の口から、身振り手振りで送り出される。
 即ち「ここ最近のさばっている盗賊団を追い払う為、とある高名な将軍が聖都からやってくるらしぞ」と。
 噂は生き物である。言い出した者が遠方からの商人であろうが、評判の悪い金貸しであろうが、あるいは道端で喜捨を乞う物貰いの女達であろうが、はたまた茶屋で暇を潰す隠居した老人達であろうが――そんな事は問題ではない。一度話題に上ったものは次々と広まり、真実味を増す。
 町は歓喜した。隊商を襲う盗賊団を片付けてくれるのは嬉しいことだが、彼らの期待はむしろ舞台の題目でしか見たことがない「将軍」への憧れ。話によると狼のように逞しい偉丈夫で、異教徒との戦いでも負け知らず。黒いターバンを高々と巻いた英雄であるらしい。
 噂は成長する。人々は待ち焦がれる。
 彼の到着を。




* * * * * * *





 城壁に近い市場の入り口、アーチ型の門の下。
「じゃあ私は買出しに行って来るから、貴方はここで待っててね」
 質素なローブで全身を包んだ少女が、くるくると動く真紅の瞳で連れの男に念を押している。
『……私も共に往く』
 一方、不服そうに向かいに立つのは天を突く大男。小柄な少女と並ぶとまるで月と太陽のよう。人目を忍んで道の端に寄っているが、隣を通り過ぎようとした驢馬使いの少年が慌てて道を空けるほど、彼らはやや浮いていた。色違いの髪を衣装の下に隠し、口元を面紗で覆っていたライラはそっと溜息を吐く。
「あのね、シャイターン……」
 町に出ようと言い出したのは彼女だ。悪魔は基本的に睡眠や食料を必要としないが、元は普通の人間で、未だ眷属として同化しきれていないライラではそうもいかない。擦り切れた衣服も交換したいし、何よりレコンキスタの戦況がどうなったのか情報収集したかったのだ。
 しかし、どうもこの連れは人目を引く。黒布で角や翼を隠しても、人ごみから頭二つ抜きん出た巨体は隠しようがないし、やはり纏う雰囲気が異質な物を感じさせるのだろう。行過ぎる人々が奇異の目で見るのも無理もない。
「気持ちは嬉しいけど、ついてきちゃ駄目」
『…………』
「貴方はお金の使い方も知らないし、大きいから目立つもの。もし悪魔だってバレたら大騒ぎになるじゃない」
『だが……』
 別行動に不安を覚えているのか、悪魔は口ごもった。ライラの言い分にも一理あると分かっているのか強く言わないが、納得しかねて目を伏せている。ライラは子供を説き伏せるように優しく言い聞かせた。
「ここは戦場から遠いし安全だから、私一人でも大丈夫。用を済ませたらすぐに戻ってくるわ。ね?」
 愛しい少女に頼み込まれると反論できないのだろう。彼は黙り込んだ後にこっくりと頷き、ライラをほっとさせた。
「迷子になるといけないから、ここを動かないでね」
『分かった』
 そんな約束を交わし、ぱたぱたと少女が広場へ走り去っていくのを見送った悪魔は、腕を組むと物憂げに壁へ背を付けた。
 ここ暫く彼女と常に行動を共にしていたせいか、取り残されると手持ち無沙汰に感じる。ライラの姿が折れ曲がった道に邪魔されて見えなくなると、いよいよ表情が曇った。
 ――待てばいいだけの話だ。
 そう自分を納得させる。言いつけの通り微動だにせず帰りを待っていると、やがてチラチラと自分に集まる視線に気付いた。普段なら歯牙にもかけないが、今日はライラに目立つなと言われている。努めて無視する事にした。
 一方、通りがかる人々は悪魔の容姿に釘付けだ。逞しい長身に黒い衣装とくれば、まさか彼が噂の将軍ではあるまいか。顔に奇妙な模様が描かれているが、それを気に掛ける人間はどこにもいない。ひそひそと期待に満ちた囁きが漏れる。
「うわぁぁぁ!」
 と、そこでタイミングよく上がる男の悲鳴。
 見ると何があったのか、新たに門を潜っていた隊商の馬たちが暴れ出している。その興奮たるや赤い目をギョロリと剥き、口から泡を吹かんばかりで、全く尋常な様子ではない。
 馬は人ごみをなぎ倒すように駆ける。一頭、二頭……合わせて四頭。あっという間に狭い通りは狂乱に陥り、人々は我先にと逃げ出して荷物が地に飛び散った。
 悪魔はそれでも動じない。動かない。興味がない。
 それでも馬がこのまま暴れ続ければ、ライラが買い物をしている広場に行ってしまうと気が付いた。そこで視線を上げて通りの中央に歩き出し、向かってくる獣を超然と見遣る。
 目立つなと言われているので焔は使わない。否、使う必要もなかった。
 獣は本能で神を見抜く。緋色の瞳に射抜かれて馬たちはたたらを踏み、高くいななきながら首を振って速度を緩めた。先頭に立つ一頭の首に手を掛けると、息荒く足を踏み鳴らしながらも次第に大人しくなる。残りの三頭も躊躇いがちに静まって、彼の様子をおどおどと窺い始めた。
『……他愛無いな』
 悪魔は口元だけで微笑み、静かに馬たちを宥める。その様子を見て色めき立ったのは、逃げ遅れた周りの人々だった。
 やはり彼が噂の将軍に違いない!途端、わっと歓声が上がる。
「気迫だけで暴れ馬を静めるなんて!」
「さすがだ!」
「さっきから只者ではないと思っていたんです!」
 町人たちは口々に賞賛し出す。悪魔の方は何が起こっているのか分からず、珍しく戸惑った素振りを見せた。正体がバレたのなら怯えられてもいいはずだが、何が楽しくて人間たちは嬉しげに騒いでいるのか。
「せっかく将軍がいらっしゃったんだ!町を上げて歓迎しよう!」
「さあさあ、こんな汚い所じゃなくて一番上等な場所でお持て成ししますよ!」
 そう勧められたがライラとの約束がある。頑として動く様子を見せない悪魔に人々は「何て慎み深い御方なんだ!」と感動し、それならばと次々と貢物を持ってきた。
 我先にと差し出される色とりどりの果実、飲み物、食べ物――。
 この急展開に悪魔は呆気に取られたが、ライラを置いて逃げ出す訳にはいかない。仕方なく切り盛りされた甘いナツメヤシを口に含めば、次はピスタチオを包んだ鳥の煮物が押し付けられ、いつの間にやらウード弾きと踊り子が歌い出す。水パイプは如何ですかと渡されたチューブを吸うと、ごぽごぽとガラス管の水を通ったタバコの煙が肺に雪崩れ込んで、彼を少し咳き込ませた。
『…………』
 そうして半ば諦めた形で悪魔は人々の歓迎を受けていたが、ふと一人の商人が自慢げに差し出していた品に目が止まる。その手には美しい刺繍の飾り紐、また精緻な金細工の施された髪飾りやブレスレットがあった。
 ――ライラにやったら喜ぶだろうか。
「お気に召しましたか?」
『……ああ』
 ようやく色よい返事をした「将軍」に人々は更に狂喜乱舞。待ち望んだ英雄を喜ばせようと、わいのわいのと手を叩き、狭い通りはさながら宴の様相を呈した。
「え……?」
 驚いたのは市場から戻ってきたライラである。踊り子とウード弾きを掻き分けて進むと、悪魔は肘かけに半身を預け、道に敷かれた絨毯の上にゆったりと座っていた。周りには様々な料理の盛られた皿や、色鮮やかな嗜好品などが置かれている。何やら遠くが賑わっているとは思っていたが、まさか悪魔を王族のように祭りたてているなんて――運命を見通す慈悲深きアッラーでさえ仰天するだろう。
『ライラ……良かった。帰ったのか』
 彼は戻ってきた少女を見つけると、心なしか安堵したように名を呼んだ。将軍の連れが来たと人々もざわめきながら道を開けてくれ、訳が分からないまま前へと進む。
「う、うん。それより何これ、どうしたの?何かのお祭り?」
『分からんが歓迎されている』
 ライラも食べるか、と蜂蜜で焼いた菓子を渡された。既にこの状況に順応してしまったらしい。あまりに普段通りの様子なのでライラも一口素直に食べてしまったが、そんな場合ではないと我に返る。
「甘くて美味しい……けど、こんなに目立つなんて駄目じゃない!バレたら大変なのに!」
『大丈夫だ。正体を見破られてはいない』
 悪魔は無事再会できて密かに嬉しいのか、貢ぎ物であれこれとライラを着飾りたがっている。流れるような手つきで小鳥をモチーフにしたアラベスク模様のブレスレットを手首に嵌められ、次いで、ローブから零れていた髪を辿り耳の上に切花を挿し込まれた。
「あ、え?」
 おろおろとライラがされるがままになっていると、また運の悪い事に、動揺した彼女の靴が悪魔の服の裾を踏んでしまったらしい。頭部を覆っていた布がはらりとめくれ、燃え立つ赤い髪の間から二本の角が晒されてしまった。
「「あ」」
 そう呟いたのは、一体幾人の声だったのか。跳ね回っていた音楽が途切れ、人々は目を丸くして息を呑んだ。ライラ自身も口元に手を当てて青ざめる。
『…………』
 当の悪魔と言うと、自分を凝視する人間達を流し見ただけだった。肩に広がる髪を軽く首を振って払うと、隣に立つライラの腰を抱き寄せて耳元に囁く。
『潮時ならば帰ろう……ライラ』
 ざわりと風が巻き起こった。四方から急激に集まった鳥たちが二人を包み込むと、呆気に取られている人々の前でパッと飛び去り――黒い翼が晴れた時には既に彼らの姿はなく、また、捧げられた品々もごっそりと消えていたのだった。





* * * * * * *




「――と、このように人々は将軍に扮した鬼神に欺かれ、恐れ多いことに我らがアッラーに背く神を祭り上げてしまったのでございます」
 物語り師の娘は口を閉ざす。アネモネの花のような薄紫のヴェールの下、サランダの顔に優雅な笑みが満ちた。
「お分かり頂けたでしょうか、イスハーク様?」
「成る程……だから俺が入城しても、また偽の将軍ではないかと怯えているのか」
 向かいに座ってクツクツと笑う狼将はさも愉快げだ。隊商の町、賓客を迎える一室。太陽はまだ高い。
「いやいや、何やら民の様子が変だとは思っていたが、そんな経緯があったのだな。教えて頂けて有り難い。しかし俺に対する貢ぎ物まで奪っていくとは、全く鬼神もやってくれる……。サランダ殿もその場に?」
「いえ、わたくしは人づてに聞いたまでですわ。しかし下々の者しか耳に入らない噂もありますので、物語るには不十分しませんの」
 ふふ、と笑う娘はおっとりとして美しい。イスハークは上機嫌で杯を手に取った。
「町人たちに俺を信じさせるには、盗賊団を退治して見せればいいだけの事だ。それよりサランダ殿、ここで偶然お会い出来たのもアッラーのお導きに違いない。どうだ、夜に今一度ここに――」
「まぁ、申し訳ありません。せっかくですが妹たちの所に戻らなければならないんですの」
 本当に残念ですわ、と一向になびかないのが堪らない。あしらう娘の仕草も麗しく、それすらも愛しげに見遣ってイスハークは豪快に笑った。

『欺かれた隊商の町の物語』

 これは挿話。歌われる事もなく記録される事も少ない、まどろみながらも賑々しい、和やかな昼の一話である。








END.
(2008.10.12)

アラビアンナイトのように話がポンポンと進む展開にしたかったんですが、シャイライとイスサラを出しただけで気が済んでしまった。最早スペインが舞台ではなく、単なるイスラム圏ですね


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