芽吹きのシエスタ












 ちりちりと瞼を透かして光が踊る。星のように、火のように、魔法のように。
 日差しの強いイベリア中部の夏は、生き物の全てが力を失ってうなだれて見える。昼夜の気温差が大きく、果敢な太陽は燃え尽きる勢いで赤茶けた地面にくっきりと黒い影を縫い付け、人々は過ごしやすい夕刻になるまで室内でぐったりと身を潜めるのだ。
 午睡──シエスタとは古代ローマ時代に始まる、過酷な午後を最も快適に乗り切る手段である。
 普通の人間の身であれば、この炎天下に居るだけですっかり疲れて干からびてしまうだろう。しかしオリーブの木陰でうつらうつらしている少女は、華奢な体を幹に預け、幸福そうに睡魔と戯れていた。
 ──いい気分だ。
 ライラが焔の悪魔と契約して良かったと素直に思える一つは、自分の体が太陽の恩恵を心地良く思えるようになった事。焼け付くような光を浴びても肌を痛める事なく、心をふくよかに暖めてくれる事だった。
 そう言えば、魔神は燃え盛る火の中から生まれるのだと、母が語ってくれた寝物語を思い出す。眠い眼を薄く開けて隣を見ると、オリーブの木陰から漏れる日差しを浴び、逞しい体躯のシルエットが青空を黒く切り取るように佇んでいた。彫像のような横顔が遠く平原を見つめている。
「……ねぇ、シャイターン?」
『なんだ』
「貴方は眠くならないの?今まで、寝ている姿を見たことが無いわ」
 彼女が休んでいる間、悪魔は立ち続けたまま見張りをしているのが常だった。いつ衝突するか分からない二つの教徒だけでなく、巡礼者や旅人を狙う盗賊団などを警戒する為である。彼の力を持ってすれば人間たちの脅威など些細な物だろうが、優しい少女の目に無用な諍いが映ることを嫌ったのだ。
 しかし悪魔自身がその配慮を口に出した事はない。だからライラの疑問は、その理由を知らないが故の素朴なものだ。
『人間とは造りが違うので問題ない。それに――もう闇は、封印の眠りで飽いたのだ』
 問いを受け、ぼそりと彼は呟く。元からの性質なのか悪魔は余り感情を見せない。不意に語り出す過去の孤独でさえ、こうして口に出すときは平坦で精彩を欠いている。
 けれどそれは、長い長い封印の中で削られて磨耗されていった彼の犠牲にも思えた。本人が気付かない古傷を引き出してしまった気になり、ライラは躊躇った末、おもむろに彼の服の裾を引っ張る。
『どうした?』
 怪訝そうな悪魔を見上げ、やはり少し迷った後、わざと彼女は子供っぽく頬を膨らませてみた。上手く話に乗ってくれるかしら、と少しドキドキする。
「寝ないからといって、ずっと休憩しないのは駄目よ。それに、いつも私ばかりが寝顔を見られるのは何だか嫌だわ」
『何故?』
「だって恥ずかしいもの」
 だからここに座って、と地面を軽く叩く。悪魔は逡巡した様子だったが、示された場所に大人しく腰を下ろした。ようやく距離が縮まったとライラは満足げに笑い、痛んだ羽根を押し潰さないように気をつけて、彼の広い背にもたれかかる。
『……これで恥ずかしくないのか?』
「うん」
 不可解そうな彼の背で長い髪の中に埋もれると、陽光をたっぷりと含んだそれは意外に柔らかく、眠気まで包む安心感に満ちていた。彼女は軽く頭を跳ねさせ、その感触を楽しむ。
「ふふ。ふかふか」
『……そうか』
 背中合わせになった二人は互いの表情が分からない。何故か嬉しそうなライラの口調に、悪魔は尚も釈然としないようだったが、悪い気はしなかったのだろう。
『ならば良い』
 そう一言呟くと、再び辺りを見張り始める。せっかく座ってくれたのにやっぱり寝ないのかしら、とライラは残念に思った。
 もしかしたら日差しの中で昼寝する贅沢な心地を、彼は知らないのかもしれない。瞼の裏で光が踊る美しさや、まどろみの安らぎを。
「……シャイターン。あのね、疲れたなら疲れたって言ってね」
 触れ合うのが苦手なのか、いつもどこかぎこちない彼の仕草は、同時にライラをひどく和らいだ気持ちにさせた。人ならざる自分たちは、神や悪魔だという前に、なんだか生まれたばかりの動物のようだと感じる事がある。
「もう眠っても、貴方は独りじゃないのよ」
 凍りついた孤独に慣れてしまった彼に、そう示してあげたかった。わざと少女が無邪気に緋い髪へ戯れると、その背は驚いたように僅かに身じろぐ。だが、ライラは気付かない振りをして目を瞑った。
 今はシエスタ。
 人々にとっては過酷すぎる太陽も、彼ら二人だけには優しい。満ちる光にすっかり緊張を解いていた少女はすぐに寝入ってしまい、うとうと子猫のように船を漕いでいる。
 その気配を感じながら、眠ってしまうには惜しいのだと、悪魔は呟いた。穏やかな時を噛み締めるその言葉は、少女の耳に届く事なく、熱風に掻き消された。
(この世界に、君に勝るものなど)








END.
(2007.09.29)


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