料理もままならない












 その下宿は珍しい事に一階が肉屋になっており、頼めば割安で商品を売ってくれた。
 蝿が多いのが困りものだが気軽に厨房も貸してくれるので、イヴェールは滞在中、ちょくちょく食材を買い込んで料理を作るようになった。生肉の他にも様々な種類の腸詰が所狭しと並べられているので、一通り味見してみたかったと言う理由もあれば、いつでも好きな時間に料理が食べられると言う魅力もある。

 その日も遅く起きたイヴェールは厨房を借り、休憩中の若い店員と世間話をしながら壁にかかったフライパンを取ったところだった。ソーセージと野菜は既に刻んでおり、あとは炒めるだけ。店員との会話を楽しみながら油を引き、食材を入れ、さて点火――と意気込んだ瞬間。
「イヴェール、お前、剣どこに隠した!」
 外出していたはずのローランサンが、怒鳴りながら猛烈な勢いで飛び込んできた。なんだなんだと振り返れば、彼は奥の階段を駆け上がり、瞬く間に二階から荷物を取ってくる。剣を隠しただなんて人聞きの悪い、自分で置いていったんじゃないかとイヴェールが憤慨していると、やがて別の客がやってきた。
「テメェもか!俺らのシマを荒らした新入りってのは!」
 しかも柄の悪い客である。その上、問答無用で殴りかかってくると言う親切な挨拶付きだった。
「!?」
 咄嗟に持っていたフライパンで男の拳を受け止めると、ばっと生暖かい食材がイヴェールに飛び散る。髪には野菜の切れ端が、服には肉の脂が張り付いた。突然の乱暴を怒るべきか、食事を台無しにされたと嘆くべきか迷ったが、立て続けに相手が殴りかかってくるので結局まともな言葉が出てこない。視界の隅で店員が慌てて逃げ出すのが見えた。
「この野郎、大人しく殴られやがれ!」
「ん、んん、これ何?」
 拳を受け止めるたびに、ごいんごいん、と鈍い音が響く。足元に置かれていた野菜籠を蹴りつけると少しばかりの時間稼ぎになったが、新鮮なトマトが泥まみれの靴で踏み潰されるのを見るのは胸が痛んだ。あと少しで美味しく腹の中に収まるはずだったのに。
 後退するうちに壁際に追い込まれそうになり、イヴェールは仕方なくフライパンを持ち直し、相手のこめかみに叩き付けた。柄が短いので衝撃はダイレクトに手首へ響いたが、急所を狙ったおかげで男は呆気なく意識を飛ばしてくれる。
 ちょろい。
「なんだ、剣がなくても大丈夫そうだな。凄いじゃん、そのフライパン」
「……火にかけていたら最強だったんだけどね」
 奥の階段から皮肉げなローランサンの声が届いた。イヴェールは眉を寄せながら前髪に張り付いた人参を摘み上げ、床に倒れ込んだ無法者の背中に投げつける。痺れる右手を軽く振って、これ見よがしな溜息を吐いた。
「それで、これは一体何の騒ぎだ?」
「知らないけど同業者っぽい。歩いてたら急に喧嘩ふっかけられた」
「ふうん。この程度の相手に剣を抜かないといけないだなんて、君も随分お上品だったんだ。知らなかったよ」
 嫌味たっぷりに言い放つと、馬鹿言え、とローランサンが鋭く切り返した。
「こいつ一人じゃないから、わざわざ戻ったんだ」
「は?」
「気をつけろ。必要ならこのまま荷物を持って移るぞ」
 どういう事だと聞き返す間もなく、次なる客が店内に踏み込んできた。
 しかも十人近い団体客である。どいつもこいつも悪そうな顔をした屈強な男達で、天井から下がったソーセージの束を邪魔そうに刃物で切り落す者までいた。イヴェールは口元をひくつかせながら言葉を探したが、あまりな展開に声が出てこない。強いて言えば「食べ物を粗末にするな」と怒鳴りたかったが、しかし自分も食材を床にぶちまけた直後なので後ろめたくなり、渋々他の台詞に置き換えた。
「……この前の仕事で目立ちすぎたかな。だから町の元締めに挨拶した方がいいって言ったのに」
「いちいち許可取るのも面倒だろ」
「パリでは物乞いをするにも場所代を取るらしいけどね。大きな仕事となれば尚更、同業者に妬まれるはずだ」
「それくらいでちょうどいいさ」
 鼻で笑いながらローランサンが剣を構える気配がする。イヴェールも邪魔になりそうな足元の男を蹴り飛ばし、立ち回りの為の場所を空けた。軽く手首を回してフライパンを掌に馴染ませながら、他に武器はないかと周囲に視線を走らせる。鍋、麺棒、柄杓、肉切り包丁、燻製肉を縛る為のロープ――思わず溜め息が漏れた。
 どうも今日は罰当たりな戦い方をしなければならないらしい。






END.
(2011.12.20)




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