音が唄になるとき
















 幼馴染とは言え、ルーナは小さい頃、エンディミオなんかちっとも好きじゃなかった。
 おおらかな性格と言えば聞こえはいいが、ぼんやりとしていて冴えないし、身だしなみも気にしない。羊の世話をしに行ったのに、羊よりも泥まみれになって帰ってくる事もざらだった。仲間内で駆けっこをすれば必ずビリになったし、桶を持って水汲みに行けば大半を地面に零してくる。
 羨ましかったのは、そんな彼が誰よりも歌が上手い事。
 どんなに冴えなくても、彼が鼻歌交じりに家の手伝いをしている様子は微笑ましかった。一族の人間もエンディミオを「神がニ物を与えない顕著な例」と笑い話にしながらも、その才を深く愛していた。とにかく声がいいのだ。いずれ歌紡ぎの称号である『バラッド』の名を貰えるのは彼だろうと、誰もが信じて疑わない。
 それが悔しかった。ルーナも歌が好きだけれど、エンディミオがいる限り一番にはなれない。事あるごとに行われる祭り歌の主役は決まって彼だ。正式な場ではなくても、麦穂を収穫しながら田畑で歌われる他愛ない遊び歌も、彼が加わるだけでぐんと華やかになる。根の優しいルーナはそれを相手にぶつける事はしなかったが、成長を重ねるにつれて劣等感を刺激され、何となく避けるようになってしまった。
「それは間違ってるよ、ルーナ」
 ある日、ふてくされている彼女を捕まえて、エンディミオが困った顔で言った事がある。彼も彼で幼馴染に避けられている事に気付いたのだろう。見えない絆を手繰り寄せようとするように、逃げるルーナの右腕の袖を捕まえたのだ。
 雲ひとつない秋の夕暮れだった。晴れ晴れとして、かえって身の置き場所に困るほどの。西空には気の早い宵の星が昇っている。空気には麦を脱穀する粉っぽい匂いが混じり、少年の髪にも穂が引っかかっていた。
「歌に一番も二番もないよ。争うものじゃないんだから。それに、僕は君が羨ましい。ずっと天使様の声で歌えるんだもの」
「……天使様?」
「僕はそのうち声変わりしてしまう。今みたいに高い音は出せなくなる」
 語る声もまた、それを証明するように掠れている。ルーナはその事実に気付いてぞっとした。ずっと妬んでいたはずなのに、エンディミオの歌が聞こえなくなるのだと思うと、太陽を雨雲に遮られた心地がしたのだ。
「そんな――」
「勿論、悪い事ばかりじゃないよ。今度は低い歌が歌えるようになるんだから。少し寂しいけどね」
 エンディミオはそこで微かに顔を俯ける。ルーナは彼が可哀想になり、考えが至らず勝手に嫉妬していた自分が恥ずかしくなった。言葉を捜していると、袖を掴んでいた彼の手が躊躇いがちに離される。
「だからルーナ、僕の代わりに君が歌って欲しいんだ。天使様の声で」
 その為に合わせ歌があるのだ、とエンディミオは語った。男と女がそれぞれの声で歌えるように。旋律が綺麗に重なるように。いつか君と歌いたいと。
 後から思えば、それは告白めいた言葉だったのかもしれない。エンディミオの耳元は微かに赤く染まっていた。ルーナの袖を掴んだのも、手を繋ぐ事ができない年頃の少年らしい気持ちが選ばせた場所だったのかもしれない。けれどもその手は既に離されており、ルーナは両腕を所在なく脇に垂らしながら、同じ歌を愛する者として彼の言葉を真摯に受け止めるしかできなかった。二人とも幼く、まだ恋を知らなかったのだ。
 やがてエンディミオが声変わりを果たし、以前のような主旋律を歌わなくなると、彼は楽器を使って新しい曲を作る方を好むようになる。時折ルーナがそれに歌をつけた。声が低くなってもエンディミオの歌は翳りを見せなかったが、彼は自分一人で歌うよりもルーナと声を合わせる方がずっと面白いと言ってくれた。その時に感じるくすぐったい誇らしさが恋と呼べるものに育つまで、そう長くはかからなくて。
 僕のバラッド、とエンディミオはルーナを呼んだ。彼はもう袖など掴まない。まっすぐに恋人の手を握り、頬を取る。その時に聞く、甘く優しい声は彼女だけのものだった。子供の頃は貴方の事なんかちっとも好きじゃなかったのよ、と意地悪に言うと、でも今は好きになってくれたんだね、と穏やかに切り返す、彼のどうしようもない素直さが愛しかった。
 ――会いたい。
 長い物思いから覚めるのが、いつも怖い。一人きりになった頼りなさが身に沁みるから。狭まった視界で頭上を仰ぐと、窓の隙間から夜明けの空が見えた。ルーナは外套を襟元に引き寄せ、夢の名残を振り払う。一番安い藁の寝台に泊まったせいで、故郷に広がる田畑の匂いを鮮明に思い出していた。
 引き裂かれて、離れ離れになって、あの麦畑が焼き尽くされた後も、歌だけは残る。この目から光が完全に奪われる前に、あの人の顔をもう一度見る事が出来るだろうか。
 歌が導くところへ、音よりも早く、辿りつけたら。





END.
合同お題より。


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