サンプル2





 夜は陸地に停泊する。日が沈む前に二人は小さな島を見つけて錨を下ろし、野営の準備を始めた。
 即席の炉を作り、さて食事を、という段になって張り切ったのはオリオンである。
「舟を出して貰ったお礼に、今夜は俺が作るよ。これでも結構上手いんだぜ」
 そう言って舟に積まれていた食糧袋をあさり始めたが、やがて妙な顔をして戻ってきた。
「……あんたって実は凄いとこのお坊ちゃん?」
 彼は両手に持っている食材を掲げた。バステトが用意した食糧袋にはいつの時代のデータを参考にしたのか、一般的な旅の携帯食とは呼べないものばかりが入っていたのである。チーズやパンや豆はいいとして、いつ切り分けたものなのか不明だが何故か新鮮そうな牛肉と、キジ肉を燻製にしたらしいハムが一塊。加工もされていない生の果物が一揃い。それから干した魚が数種類と、蜂蜜とくるみを埋め込んだ焼き菓子、葡萄酒の壜が数本。アメティストスにも正体がよく分からないものも多かった。あきらかに異国のものらしい野菜なのか果物なのか判断に困る真っ赤な球体状のもの、黄色い棒状のもの、妙なとげが全面に張り出してあるもの。小麦に似ているが微妙に違う穀類。パンの一種のようだが、妙にふわふわとしている真ん丸いもの。
「いや、別にそういうわけでは……」
 何と答えていいか分からずに言葉を濁したせいか、オリオンは適当にアメティストスの事を食道楽の若旦那だと結論付けたらしく「とにかく口に合いそうなものを作ってみるよ!」と余計に張り切って食材を切り始めた。見慣れない果物に鼻を近づけて、珍しい匂いがすると喜んでいる。
 手持無沙汰になったのを理由にアメティストスはその場から離れると、いつの間にか姿を消していた黒猫を探しに出かけた。
 バステトは二人から離れ、何かを考える素振りで砂浜に座り込んでいた。書庫にアクセスして今回の観測データを取り込んでいたのである。彼は自分に近づく気配に気付くと接続を断ち、相手がアメティストスだと確認すると、猫らしく伸びをした。
「食糧袋にあったものはお前の趣味か?」
 バステトは小首を傾げ、尻尾をひとふりした。
『と言うと?』
「一介の旅人にしては異国情緒がありすぎる」
 ああ、とバステトは頷いた。
『いくらここが仮想世界とは言え、食べ物は生命活動に直結するエネルギー源です。また食事における満足度は良質な意識レベルの保持にも繋がります。この箱庭に置けるアナタの活動を支援する意味を込め、あえて時代考証は無視しても良いと判断しました。武具を軽量化した理由と同じです』
「あの野菜だか果物だか分からん奴は何だ?」
『キウイフルーツの事でしょうか。あるいはトマト?』
「何だそれは。おかげでオリオンには食にうるさい奴だと思われた」
『今から食糧を修正する事も可能ですが、どうしますか?』
 オリオンの意識を弄った事を非難された前例がある為、こちらの意向を確かめておこうという腹だろう。バステトは事もなげに聞き返した。皮肉や当て擦りのない、効率重視のまっすぐな尋ね方である。アメティストスは少しの間思案して、やがて首を振った。
「……いや。オリオンが張り切っているから、このままでいい」
『了解しました。では食材の扱いに困った際はお声掛けを。レシピをダウンロードする事も可能ですので』
 バステトはそう結ぶと前足を折り畳み、再び遠い目をすると、中断していた書庫へのアクセスを再開した。
 アメティストスはその姿を見下ろして不思議な感慨に囚われる。神というものは随分と事務的なものだ。
(だからこそ、こんな無神経な仕業ばかりを人間にさせるのだろうか)
 釈然としないまま野営地へ戻り、焚き木を拾ったり水を汲んだりと細々とした作業に戻る。簡単な舟の掃除も済ませた頃、夕食の準備ができたという知らせが入った。
 オリオンが作ったのはキジ肉と野菜を煮込んだ汁物だった。
「ごめん。珍しいものでも煮れば大丈夫かなーと思ったけど、ちょっと失敗した」
 顔の前に片手を立ててオリオンが謝る。何かと思えば、バステトがキウイフルーツと呼んだものを輪切りにして鍋に入れてしまったようだった。椀にすくって汁を飲んでみれば、確かに甘酸っぱい香りが漂って珍妙な風味になっているし、果肉もどろどろに煮崩れて木匙ですくえないほどになっている。しかしキジ肉の旨みが染み出して他の野菜に絡んでいるので、絶望的に不味いというほどではない。
 そもそも奴隷生活のせいで、食べられるものであれば何でも食べてきたアメティストスである。多少の事では動じなかった。涼しい顔でスープを食べ始めたアメティストスを見て安堵したのか、オリオンもせっせと木匙を使って食事に専念する。彼も食べ物には頓着しない男なのだった。
 汁物の他に用意されていたのは牛肉の串焼きだった。ちろちろと燃える焚火の近くに串を刺し、炎で炙る。まんべんなく焼けるようにオリオンが串を回すと、滴った肉汁が音を立てて灰の中へと落ちていった。これもバステトが用意した肉なのだが、どこで放牧されたものなのか、今まで見た事もないほど霜が乗っている。焼きたての肉に齧り付くと、しみじみとした感嘆が二人の口から漏れた。
「何これ……めっちゃ柔らかい……」
「……柔らかいな……」
「脂がすげえ……」
 改めてオリオンはどこから仕入れた食糧なのか知りたがった。どうせ分かりはしないのだと腹をくくって、正直に「神からの贈り物だ」と答えたが「そんな虚ろな目で冗談を言われても笑えねえよ……」とオリオンに突っ込まれただけだった。
 話をすれば何とやら、バステトが焚火に近寄ってきた。まだ誰の手にも取られないまま地面に刺さっている串焼きに顔を向け、ふんふんと匂いを嗅いでいる。オリオンが「そっちはまだ熱いぞ」と自分の串から肉片を千切って放り投げてやると、しばらく匂いを嗅いでいたが、そっと前足を揃えて器用に食べ始めた。
「……お前も食べるのか」
 意表を衝かれ、アメティストスは疑問を口にした。浮世離れしたこの猫が普通の獣のように鼻面を押し当てて肉を頬張っている姿に違和感があったのだ。バステトは顔を上げ、ぺろりと口元を舌で拭う。
『エネルギー源として摂取する必要はありません。ですがこの姿に擬態している以上、オリオンの目もありますし、生き物の摂理に従うのがいいと判断しました』
「美味いと感じるのか?」
 神殿では常に天への貢ぎ物に満たされているが、神も人間と同じような味覚を備えているのだろうか。釈然としないまま眺めていると、オリオンが「あんたっておっかない顔してるけど結構優しいのな」と評してくる。オリオンから見れば、にゃあにゃあ鳴く猫に「肉は美味いか」と話しかける図になっていたのだろう。訂正しかけたが、共に行動する以上、今後も彼の前でバステトに話しかける場面は出てくるはずである。いっそ最初から誤解されていた方が良いのかもしれないと、アメティストスはやむなく反論を諦めた。



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