春も花もお呼びでない






 ここ数日、《宿主》の様子がおかしい。
 遮光眼鏡型情報端末――便宜上R.E.V.O.と呼ばれる存在は、ぴしゃりと目の前で閉められた窓に視線を向けながら、しばらく保留にしていた疑惑を確定させた。
「しばらく開けねぇぞ、この窓は」
 スタジオから帰宅した矢先、何やら鬼気迫る表情でカーテンまで引いて、《宿主》がそう宣言する。
 猫型になった際はこの出窓に座って日光浴をしながら道行く人々を観察するのが、便宜上R.E.V.O.の日課である。口が悪い《宿主》も、曲線がふんだんに使われたこの生き物のデザインには弱いのか、普段よりも対応が柔らかくなるようだと学習した結果、このようなスタイルで過ごすのが多くなった。出窓でごろりと横になっていると、曲作りに行き詰った彼がふらふらとやってきて、意味もなく尻尾をいじったり、肉球をいじったり、腹毛の匂いを嗅いだりと奇行を繰り返すのも珍しくない。特に光と風をたっぷり浴びた後は魅力が増すらしく、時々部屋に訪れるマネージャーにも「ひなたぼっこして、ふかふか&ふかふかだね〜?」と誉められていた。《宿主》自身も「だろ?」と満更でもなさそうに相槌を打ち、一人で外出する際はわざわざ窓を全開にして、ひなたぼっこを推奨していたくらいである。
 まさか、封印されてしまうとは。
『これでは換気できないのでは? 部屋の空気を定期的に入れ替えるのは、健康維持の面でも有効なはずです』
 忠告も含めて提言するが、《宿主》――ノエルはそれから次々と他の窓を閉めて回った。ばん、ばん、しゃっ、しゃっ。窓が閉まり、カーテンが引かれる音がリズミカルに続く。
「来ちまったんだ……」
 一通り作業を終えて我に返ったのか、ノエルが陰気な声で呟いた。薄暗くなった部屋で、それはいささか芝居がかって見える。
「俺にも……ついに花粉症が……!」
『花粉症……?』
 すぐさま書庫に接続し、単語の意味を調べる。ピロリ、と喉の奥から電子音が鳴り、ずらりと検索結果が並んだ。そう言えば最近、通行人にもマスク姿の人間が多かった気がする。
『――成る程。把握しました。それにしてもカーテンまで引く事はないと思いますが……』
「念の為だよ、念の為! 今までさんっざん、市蔵からも聞かされてたんだ……! いや、あれは脅かされてたって言った方が近い……! いらんアドバイスをあれこれ……くっそ、マジか〜…マジで目が痒い〜…」
 去年までは平気だったのにとぼやきながら、ノエルはしきりに瞼を擦り、ドラッグストア名前が印字されたビニール袋をテーブルに置いた。スタジオからの帰り道で買ってきたらしい。出てくるのは目薬、マスク、錠剤、柔らかいティッシュなどの細々とした商品だった。赤や黄色などの目立つ文字で、どれも花粉症対策を謳っている。
 くしゃみを二度した後、ノエルが「まずはこれか」と取り出したのは、酒瓶くらいの大きさがあるボトルだった。蓋を覆うように透明なカップがついている。画像検索してみると、どうやら目の表面についた埃や花粉を洗い落とすタイプの洗眼液らしい。
 ふむ、なかなか原始的な手段だな――と学習していると「ぎゃあ!」と洗面所からノエルの悲鳴が響いた。見ると、途中で洗眼液を零してしまったらしく、頬から襟元までびちゃびちゃになっている。
「洗眼カップの隙間から、どっと零れちまって……」
 彼は悲しげにうめいた。顎の先からぽたぽたと雫が滴っている。洗眼カップの縁はなだらかな曲線を描いており、眼窩に隙間なくフィットするように作られているが、その形が合わないのだとノエルは主張した。
「くっ……ここに来てフランス人の血が……日本人離れした顔立ちが仇に……!」
 深く嘆いているが、それはどうだろう。《宿主》がコツを掴めていないだけではないだろうか。
 そう思ったが、推測に過ぎないので発言は控える。代わりに再び情報を検索した。最新医学から民間療法まで、かなりの情報がヒットする。それだけ悩まされている人間が多いのだろう。
 ノエルは「骨格に合わねえんだ骨格に」とぶつぶつ呟きながら、どうにか洗眼をやり直したようだった。今度は成功したらしく、ほっと安らいだ表情をしている。
「あ〜…。やっぱり少しはさっぱりするな。もう一回やろうかな……」
『洗眼薬の使い過ぎは良くないらしいですよ』
「あ?」
『瞳の必要な分泌液まで流し去ってしまい、かえって良くない事もあると。一日三回程度がいいらしいです』
 そう教えると、彼は支えを失った子供のような顔をしたが、すぐに「それじゃ仕方ないな」と気を取り直した。テーブルにはまだ買ったばかりの対策グッズがある。そちらを試す気になったらしい。その中には新しいペット用ウェットティッシュが含まれており、思わずぎくりとした。
『何故それが……? ワタシは関係ないはずでは……?』
 警戒信号が出され、ぐんと耳が後ろに下がる。アレはあまり好きではない。
「飛んできた花粉はペットの毛にもつくんだよ。そしてさっきまで窓も開けていた……俺が言いたい事は分かるな?」
 素早く取り出されたウェットティッシュに体中を拭かれ、便宜上R.E.V.O.は「ぴぴぴぴぴ!」と猫らしくない悲鳴をあげた。


 それからしばらく、花粉症対策に追われる日々が続いた。花粉を家の中に入れないように窓は閉じられ、ただでさえ溜まりがちな洗濯物は室内干しを余儀なくされる。代わりに濡れぞうきんで床を拭くノエルの姿が見られるようになり、空気清浄機も導入された。外出する際にはマスク、眼鏡、帽子……とお忍びの芸能人らしい(あるいは不審者、あるいは、やはり花粉症の酷い人の)格好になり、帰宅した際は手洗い→うがい→洗眼、という手順が徹底された。
 しかし。
「全然よくなんねぇな……」
 目をしぱしぱさせ、ノエルが両手で顔を覆った。
「もう外に出たくねぇ……目玉を取り出して洗いたい……鼻づまりを忘れてゆっくり寝たい……」
『……大丈夫ですか?』
 寝台に潜り込んでうめいている《宿主》の足元をおろおろと歩き回る。彼が音楽以外にここまで熱心に取り組んでいるのを見たのは初めてだった。(いや、冬の鍋パーティも同じくらい張り切っていたような気がする。特に牡蠣鍋【要検証】)
「そうだ! グラサン! グラサンの住んでいる世界なら多少マシなんじゃ?」
 ノエルはむくりと起き上がると、携帯で忙しなくメールを打った。なかなか返事が来ない事で有名な相手だが、タイミングが良かったのか、すぐに返事が来る。

【むしろそっちより酷い】

 普段はふざけた語尾やら意味の分からない顔文字やらが文末についてくるのに、やけに簡潔なメッセージだった。そのシンプルさに、かえって底知れない絶望を感じてしまう。
「マジか……これ以上なのかよ……」
 がっくりと肩を落としたものの、ノエルは諦めない。「じゃあ他のパイセンたちの世界は? 外国だし状況も違うだろ!」と再びメールを打ち始めた。
『いえ、待ってください! それならばワタシでも調べられます、少々お待ちを!』
 ここは自分の出番だと、ぴんと髭をそらせて宣言する。ノエルにも見えるように、普段は脳内で済ませている検索モードをホログラム投影に切り替え、空中に青白い画面を呼び出した。こちらの本気にノエルも勇気づけられたようで、充血した目をしぱしぱ見開いて画面を覗き込む。
『メルヒェン・フォン・フリートホーフ氏と、イドルフリート・エーレンベルク氏――ドイツ――』
「あそこって黒い森があるんだろ? よく知らねぇけど、いかにも花粉がヤバそうだな……」
『いえ、どうやらドイツと日本は飛んでいる花粉の種類が違うそうです。日本ではスギとヒノキが主流ですが、ドイツをはじめヨーロッパ諸国にはスギとヒノキの木がないそうなので、《宿主》の現在の症状は緩和されるかと。ただ、ドイツでは一年を通して他にも様々な花粉が飛んでいるらしく――多くのドイツ人も様々なアレルギーで悩まされているようですね……』
「駄目だ、スギ花粉が良くても他で死んじまう」
 すかさず却下された。
『ではイヴェール・ローラン氏――フランス――』
「葡萄畑のイメージしか出てこねぇな」
『主にイトスギの花粉があると』
「結局はスギじゃねぇかよ、却下!」
『しかもマスクをつけると重篤な伝染病者と勘違いされる可能性があると』
「ふざけるな! マスクなしで生きられるか! フランス野郎は見た目ばかりを気にしやがって!」
 偏見である。自分の父親がフランス人だった事も恨みの要因になっているのだろうか。いや、ここで《宿主》の精神分析をしている場合ではない。次へ進まなければ。
『ハロウィン・ナイト氏――アメリカ――』
「ばあちゃんと一緒に見たドラマの、大草原の小さな家のイメージが強いな。馬車でごとごと引っ越すやつ」
『結論を行ってしまえば、アメリカにも花粉症はあると。ただ国土が広いので、花粉の種類も、またその種類に応じて花粉の飛ぶ時期も、地域によって様々のようです』
「バラついてんのか……あの先輩らしいな……わちゃわちゃしてるっていうか……」
 ノエルが遠い目をした。
『次はエレフセウス氏――ギリシャ――』
「あっ、なんか海と荒野のイメージがある! 緑少なさそう! ここにきて当たりじゃねえか?」
『残念ながら、やはり花粉症もあるようです。ポプラやオリーブなど』
「なんっで微妙にオシャレなんだよ! ポプラやオリーブって! ポプラやオリーブって!」
 期待したぶん、落胆が大きかったらしい。突っ込むノエルの声が大きくなった。
『残るは――タナトス氏ですが……』
「…………」
 二人は黙り込んだ。タナトス、すなわち死。冥府にヨウコソされてしまう。
 やはり自分でどうにかするしかないなと結論し、ノエルは携帯を放り投げて仰向けになった。彼曰く、少しでも呼吸が楽になる姿勢、との事である。猫の姿のまま布団の上をとんとんと移動して、彼の枕元の横で座り込む。本物の猫は親愛の印にお尻を向ける事が多いらしいが、そこまで忠実に生態を再現しているわけではないので、普通に寄り添うだけだ。
『地道に戦っていくしかないようですね』
「そうだな……。春が憂鬱だなんて言ったら、贅沢だって文句言われそうだしなぁ」
 あのうるさい先輩に、と付け加え、ノエルはずるずると鼻をすすった。



END
(2018.03.10)


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