Small talk ; 小話
"It is always thought that this desire only has to reach."
たたっと、軽やかに足元を駆け抜けていく音が聞こえた。
扉に近づいていくのと、ゆっくりと開いていくのは、同じぐらいだったらしい。
少年と少女はお互いに驚いたような顔をして、それでいて、「やっぱり」とでも言うような、安心したような笑みを浮かべていた。
「ただいま」「おかえりなさい」
声を掛け合うのも同じタイミングだったようで、また、顔を見合わせている。たしたしと小さく小さく足を踏み鳴らす音がして、どちらともなく床に目を向けると、赤いチアリーが二人に向かって一所懸命に手を広げていた。少女がひょいと抱き上げると、チアリーは機嫌よさそうに頬をすり寄せてきた。少女が嬉しそうにチアリーと笑っていて、ここにエレナがいたらどうだろうな、と少年も笑ってしまった。
「…何人かいるのかなぁ」
「…え?どういうことだい」
少し前の出来事を簡潔に説明した後で、少女は「あ、まだ作りかけだった」とだけ呟いた。何が、と聞く少年にちらりとオーブンの方を見ると、納得したのか軽く頷いている。
「じゃあ、僕も手伝おうか」
「えっ?ありがと。でも帰ってきたばっかりだし、モードレッドはチアリーと一緒に座ってて。お茶入れる!」
「ん?うん」
チアリーを抱っこしたままの少女に手を引かれて座らされたその椅子は、先ほどその妖精が座っていた椅子だった。それを少年が知ることはないけれど、「ちょっと待ってて」とチアリーを渡し戸棚から手早くポットとカップと茶葉を出していた。
妖精本人は何だろう、何が起こるのだろうと不思議そうな顔をしながらお行儀良く少年の膝の上で可愛らしい無邪気な笑みを浮かべている。オーブンが近くにあるので、少し空気が熱い。ガラス部分になっていたところから見えたのは、たくさんのビスケットで―多分ブリテンクッキーなのだろうと見当をつけた。
「〜♪〜♪」
「君はさっきティタからりんごをもらって食べてたんじゃないのか?」
「―!―!?」
妖精にとってもブリテンクッキーは特別なのか別腹なのかは知らないが、とにかく必死の抗議が返ってきた。湖にはも名も知らぬ妖精たちがたくさんいたことを思い出しながら、少年は穏やかにチアリーの頭を撫でながら諭していた。お茶のセットを持ってきた少女は、なるべく音を立てないよう気をつけて、一人分ずつ入れて少年の手の届くところに置いていた。チアリー用には少し小さめのカップで用意している。
それから、「もうそろそろかなー」と歌いながらミトンを手にはめて、オーブンを開いていた。もわっとした熱気が辺りに一瞬立ち込めて、驚いたチアリーがきょろきょろと周囲を見回している。
「あっ、ごめんね。熱かったかな?」
「大丈夫だよ、僕が見てるし」
「…うん、ありがと」
大きな天板を出して、窓際の調理台のほうへそれを置く。金属で出来た網目状のケーキクーラーの上に、焼きあがったクッキーをヘラで移していた。熱さも忘れてチアリーが真剣な顔でその様子を見つめているのに気が付いて、思わず吹き出しそうになってしまった。幾つかの天板を出しては移し変えていて、一つだけタルト台が出てきていたのが見える。
「クランブルはもういいや…普通のりんごのタルトにしよう」
アーモンドクリームだけ先に作っておいて良かった、と少女は言いながら、小皿を持ってきて何枚かを少年たちの方へ手渡した。「熱いからね、気をつけてね」としゃがみ込んでチアリーの大きな瞳を見つめてよくよく言い聞かせている。
「〜〜♪〜〜♪」
「あー…可愛いなー…チアリー可愛いなー」
「…あははっ」
ブリテンクッキーを両手で抱えて、上機嫌に食べ始めたチアリーを見て、少女もニコニコとしていた。サクサクと小気味良い音を立ててクッキーが少しずつ減っていく。少年も何か思う所があるらしく口を開きかけたが、何も言わずに二人を愛しげに見ていた。
お互いに、伝わらなくてもいいと思っている。
けれども、伝わったら幸せだろうと、そんなことも一方で考えているのだった。そして、それすらも互いに秘めている。それは、普段なら食べることや遊ぶことで頭がいっぱいになっているチアリーでさえ、何となく分かってしまった。食べかけのクッキーを手に、ふと、二人の顔を交互に見比べている。
「熱かった?舌痛い?」
「〜♪」
「別に大丈夫みたいだね」
視線に気が付いた少女は、チアリーのぷくぷくしたほっぺの食べかすをハンカチを出して拭っている。
変なの。
チアリーはそう思っていたけれど、それはこの二人には伝わらない。妖精の言葉は、基本的に妖精にしか理解できない音。私の言葉が届けばいいのに、届かなくてもいいのかな、ともう一枚クッキーに手を伸ばす。
「―。〜?」
目の前の女の子が、自分を見て嬉しそうに笑ってくれている。大きく口を開けてクッキーをほお張って、おもむろに頭上を見上げると、椅子代わりにしている少年も微笑んでいた。だから今は、これでいいんだと、チアリーはこくんと飲み込んで自分にと用意してくれたティーカップに手を伸ばした。
( こ の 思 い が 届 け ば い い と、い つ も 考 え る )
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マダムXの肖像
It is always thought that this desire only has to reach.
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