Thank you for coming home!
おかえりなさい…!
街中に沸き起こる歓声で、目を開ける。気だるい中で天井を見上げていたけれど、少しして私はベッドから身を起こした。隣にはフワニータが私の手を握ったまますやすやと気持ち良さそうに眠っている。彼女の魔法は、本当に夢の中で見せてくれているような状態だったらしい。
「(でも、あれは全部…夢じゃない)」
外敵やドラゴンたちを全て退けている皆の姿が見えた。どれだけ傷だらけになっても、誰一人として自分の手から剣を離すことなく、立っていた。戦いの場など見たことのない私には、それこそ夢のようだった。
ごめんなさいとありがとうが、ない交ぜになりながらもちゃんと見てなくてはいけないと、それだけが私の中にあった。
魔法のすごさに驚きながらも、とにかく皆を出迎えたいと気ばかり焦る。けれども、私のためにと魔法を使ってくれていたフワニータを起こすのも忍びない。半分ほど立ち上がりかけたところで、落ち着こうと静かに静かに座り直した。
「…ありがと、フワニータ」
くぅくぅと小さく寝息を立てている寝顔はとても愛らしく、普通の女の子にしか見えない。緩やかに波打つ長い髪を撫でていると、ん、と小さく伸びをし始めた。そして、「おはよう…ティタ」と悠然と体を起こした。いつでもどこでも、マイペースなのは彼女の能力の一つでもあるかもしれない。目を軽くこすって、また一つ欠伸。
「…私は足遅いから、先に行っていいよ、ティタ」
何で考えていることが分かったのだろう。微笑みながら私の手をそっと離したフワニータは、目を閉じて何度か深呼吸した後、「うん、危なくない」と言いながらベッドから降りた。多分、危険がないか魔法で確認してくれたに違いない。私は「ありがとう」とぎゅっと彼女を抱きしめてから、部屋を出た。
*
「ただいま、ティタ。遅くなったな」
「ううん、おかえり、おかえり…!」
勢いよく走って来たティタは、開口一番「お帰りなさいっ」と飛びついてきたので抱きとめる。よほど不安だったのだろう。しがみつかれて離れないので、しばらく背中を撫でてやっていた。街中が人々の喜びで湧く中、よく俺たちを見つけたものだと思うが、鎧を着ているのだから、もしかしなくても目立っていたのかもしれない。
「ただいま、ティター!疲れたぁ」
「ははは、やっぱりお兄ちゃんが一番なんだな」
「えっ?何のこと?」
「頑張れよー若人!」
「……何で僕に」
「…しかし、夜だと言うのに賑やかだな」
「ま、自分たちの住んでた街に何にもなかったんだから、喜びたくもなるでしょ!」
何人かが辺りのざわめきにつられる様にわいわいと口々に言っている様子に、戦いが一段落したのだと改めて実感した。今からキャメロットに戻れない事もないが、そこまで強行軍を敢行するのもどうかと思って、後ろの騎士に声をかけた。
「ラーンスロット、これからどうする?」
「ここで一泊して朝一で出るのが妥当なところではないかな」
「うん、やっぱりそうだよな。ま、とりあえず皆ゆっくりしてくれよ。ほんとに、ほんとに…ありがとな」
そこでようやく離れたティタは、なぜか泣きそうな顔をして笑っていた。
「お帰りなさい、みんな。この街を助けてくれて、お兄ちゃんを助けてくれて、ありがとう」
ぽろっとこぼれた涙を拭いながら言うティタに、皆穏やかな表情をしていた。
「追いついたの…ティタ」
「きゃっ!?何?!フワニータ?」
人ごみの中からにゅっと顔を出したのはずるずると大きなぬいぐるみを抱えたフワニータだ。「えへへ」と嬉しそうな顔をしてティタに後ろから抱きついた。そんな女の子二人を見て、誰かがぷっと吹き出している。それを皮切りに、周りの騎士たちは一人一人「ただいま」とティタに声をかけたり頭を撫でたりしていたのだった。
*
女性陣たちは食事をとった後、早々に宿で休んでいる。それなのに、なぜか僕らは開いている酒場に有無を言わさず連れて来られていた。かちん、とグラスを合わせて乾杯している人々の横をすり抜け、カウンターの端へ行く。
「アーサー、飲めるよな?」
「あ、まあ、嗜む程度には、だけど…」
「エールもう一つもらおうか。マスター」
「…ペース早くないか、ラーンスロット?!」
ウィルヘルムがアーサーの分と彼自身の分を注文していたが、僕は後で、ともう少し黒板や周囲の風景を見やる。街が守られたことで安堵した様子を見せている街の人たちが、思い思いに酒を頼み、寛いでいる。それは、これまでと変わらない当たり前の日常であり、アーサーやティタが大事にしているものの一つだ。
そこそこ客が入っているようなので、そんなにすぐに注文は来なさそうだった。「まだ頼んでないのか?」と聞かれて仕方なく適当に頼んで小さなロックのグラスを受け取る。あまりに素早く出てきたので、どういう順番で出しているのだろうかと思ったけれど、奥の方でラーンスロットが頼んでいたグラスと同じ物が見える。多分、まとめて出してしまおうと言う算段なのだろう。
アーサーも驚いていたが、ラーンスロットのペースがかなり早い。空のグラスが近くに二つは見える。それなのに全く顔色が変わっていないのだから、この騎士は別の意味でも強いらしい。何時の間にかおつまみまで頼んで、こちらを気にかけつつのほほんと周囲の客と談笑していた。
「なぁ、ウィル。オリオンはいないのか?」
「あいつ、星眺めてるのが好きだからなー。外に行ったんじゃねえ?」
アーサーは、ようやく運ばれて来たグラスを握り、それを睨みつけたかと思うと、一気にあおった。そんな飲み方をするものだから強いのかと思えば、存外弱いようで顔をあっという間に顔を赤くしてしまい、僕は慌てた。
「なっ…!何をやってんだアーサー、ここで倒れるつもりか?」
「…い、いや、ほら、さ、折角皆いい気分なわけだし?」
「たまに思うが…本気で馬鹿だろ君は」
「こ、これぐらいは、飲めるかなと思ったんだけどさ」
「"思った"んなら最後まで平気な顔してろ」
意外な展開になってしまったことに、誘ったウィルヘルムの方が目を白黒させていた。ラーンスロット迄もが目を見開いている様子から、ここまで弱いとはどうも知らなかったらしい。アーサーは、小さく唸りながら突っ伏してしまった。
「…アーサー、モードレッドを見習え。こいつウィスキーのロックだぞ」
「…はははっ、さ、すが…だなぁ」
「何となく目についただけだよ」
皆と同じくエールでも良かったのだが、それでグラスを開けて飲まされる羽目になったらと先を読んだだけだが、そこは口にしない。ウィスキーなら度数も高いので、減りが遅くとも大目に見てもらえると踏んだのだ。
「…それにしても、アーサー、大丈夫か?」
ウィルヘルムが水をもらってきて、手渡した。一口二口とそれに口を付けたかと思うと、「ごめん、ちょっとだけ」とそのまま目を閉じてしまった。
「……お、おいおい、どうするよ」
「ふむ、困ったね」
「ラーンスロット、お前絶対困ってないだろ…」
ウィルヘルムの言葉にラーンスロットは陽気に笑って頷いている。たまにこういう茶目っ気を見せるこの湖の騎士には苦笑せざるを得ない。僕はウィルヘルムと目を合わせ、寝入ってしまったアーサーをしばらく皆で見守ることにした。
「あっ、見つけた!…あっ?!」
声に振り向くと、ティタがドアの所で目を丸くして立ち尽くしていた。するりと客を避けて、こちらのカウンターにやってきた。グラスとアーサーをそれぞれ一瞥し「うわぁ、飲んじゃってる」と苦笑交じりに呟いたのが聞こえた。
「あ、ってティタ、お前さん一人で来たのか?」
「うん、ウィル。ロビンフッドが教えてくれてね。…お兄ちゃん飲めないから大丈夫かなって…やっぱり駄目だったねぇ」
ティタはウィルヘルムにまいったなと言った後、アーサーの頭を楽しそうに撫でている。これはこれでなかなか珍しい光景だな、とぼんやり眺めてしまった。
「ま、もう少ししたら俺等も帰るからさ。おい、モードレッド、先に送ってやれよ」
「そうだな、女性が長居するところでもないからね」
「…え?あ、ああ。じゃぁ、アーサーをよろしく頼む」
ラーンスロットが僕にちらりと視線をよこし、ウィルヘルムに背中を押されて少しよろけそうになる。飲みかけのグラスが視界の端に映ったけれど、忘れることにした。周囲には女性客がいないわけでもないが、酒場にはやはり男性の方が多かったので、ウィルヘルムの言うとおり、確かに早めに帰った方が良さそうだ。ティタの手を掴んで、早々にその場を後にすることにした。
「ウィルヘルム、君はこの状況を狙ってたのか?」
「まっさか!たまたまだよ。ま、頑張れ若人ってね。しかし我らが王様は酒が弱いなんて、可愛いところもあるもんだ」
「ははは。全くだ」
「んっとに、ほっとけねーよな、こいつら」
酒場を出ると、大分外は静かになっていた。家に灯る明かりも消えている家が多い。夜もだんだん更けて、一人一人ベッドに入り夢路へと付くのだろう。
静かな街の中、ティタの後ろを歩く。僕だと、この闇夜に溶け込んでしまいそうだったけれど、彼女の姿は月明かりを受けてほんのりと明るい。月と星と空を交互に見ながら歩いていると、先にいたティタが立ち止まっていた。
ほんの数秒、その姿を見つめていると、彼女はゆっくりと振り返って、微笑む。
「…おかえりなさい、モードレッド」
面と向かって言われるとは思っていなかったので、今何を言われたのだろうと少し考えてしまった。ゆっくりと頭上の月を仰いで、また視線を戻す。
「ただいま…ティタ」
追いついた所でそう言うと、ティタは「見てたけど、やっぱり怖かった」と安心したような表情を見せた。その言葉にはたと思考が止まる。
「…見てたって?まさか来てたのか!?」
「ち、違う違う!違うよー!その、魔法で…見せてもらってたの」
「…魔法?そうか、そういうことか」
だからフワニータは彼女といたのかと、ようやく合点がいった。ティタがゆるく首を振って、僕の手を取る。たまたま、出来ていた一つの傷に、もう片方の手が触れた。
「守られてる私が怪我するななんて言えない。せめて皆帰って来てくれますように、ってそれぐらいしか…言えなくてごめんね」
何と言っていいのかわからずに、ティタの瞳を見つめる。
「(―僕の手がどれだけ傷だらけになろうとも、血で濡れようとも、君が守れるのならそれでいい)」
思ったことをそのまま口に出したら、確実にティタは怒り出しそうだ。そんな事を考えて、つい小さく吹き出してしまった。隣にいたティタが疑問符を浮かべて僕を見上げていたので、そのまま、微笑みかけた。
「いや、何でもないよ。さ、帰ろう」
宿までの道は、そんなに遠いわけではない。今だけ、と思って彼女の手を握る。
ティタの話を聞きながら、穏やかな月と星明かりを背に、できるだけゆっくりと、帰路に着いた。
A nightly performance.
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