て と て
" The drowsiness of the afternoon. "
言葉にならない声が絶えず聞こえてくる気がする。
冷え切った目をした魔女は眉一つ動かさず僕を見ている。妖精たちはようやく歩きまわれるぐらいになった騎士たちをも、嘲笑しながら訓練と称して攻撃を仕掛ける。湖を出ることが出来るのは、基本的には戦場に出ることが出来る騎士だけだ。それ以外はほぼ誰にもその名を呼ばれることなく、静かにはかなく逝く。
そもそも、そんな消えゆく存在に名前があるのかどうか。
ぐっと拳に力が入る。
ここは別の場所。
朝起きたときに、湖じゃないと、それだけ分かった。
「(…それから?)」
「(違う、僕は)」
「(そうだ、僕の剣―…)」
がんがんと響くような頭の痛みに耐えながら、薄っすらと目を明ける。天井が違う。湖の僕の部屋じゃない、とそれだけの事だったけれど、酷く安心した。
「うなされてた?起きられる?」
心配そうな声に、体を起こそうとすると「寝てていいよ」とその人は言った。そうだ、この声は朝一番に、見た人だ。視界がぼんやりとしているので目をこすると、その人は近くのテーブルにコトリと何かの器がのっている盆を置いたようだった。ふんわりと甘い香りが漂ってきて、意識がはっきりとし出してくる。お腹が小さく鳴って、恥ずかしくなってきょろきょろとしてしまったけれど、気づかれてはいないらしい。
「あれ?…何か、違う?」
「何、が?」
「…ううん、こっちの話。ちっちゃいモードレッドなんだね」
覚えてくれてるのかな、と言う呟きが聞こえたので、頷くと何故か慌てていた。からん、と乾いた音がする。ベッドから降りようとすると、「新しいスプーン持ってくるから」と軽く押し戻されてしまった。いつもなら、彼女の力ぐらいどうってことないのにと考えたところではたと思考が止まった。「いつも」とは、どういうことだろう。
「…ティタ、」
「!…な、なぁに?」
「その、すぐ、…戻る?」
「うん、スプーン新しいのに取り替えてくるだけだから」
「そうか、じゃあ…待ってる」
彼女の―ティタの名前を呼んだことで、なんだか僕もまたほっとした。いや、ただ、嬉しそうにはにかんでくれたからだろうか。ふぅ、とゆっくり息を吐いてまた、言われたとおりにシーツを被ってみた。仄かに香る甘い香りが気になるけれど、目を閉じる。
*
ラーンスロットと別れた後、しばらくチアリーと散歩をしていたはずなのに、ちょっと目を放した隙にチアリーはふらりと姿を消してしまった。妖精たちが神出鬼没なのはエレナを筆頭にいつものことなのだけれど、それでもやはり驚く。
お日様の上り具合から、そろそろ昼食の用意をしようかと思っていたところに、ウィルとばったり出くわしたのだった。しかも器用に片手でモードレッドを抱えて、もう片方の手で紙袋を持っていた。
「ええっ、ウィル、どしたの?!と、とりあえず紙袋持つから貸して」
「おう、有難い。よく分からんが、ちょっとこいつの部屋に行って寝かせるわ」
お前は何か食えるもん作ってやれ、と言われて呆然としていたらウィルはそのまま行ってしまった。皆の昼食を用意した後に小鍋にミルクをいれて沸かし始めた。卵を割ってほんの少し蜂蜜を入れてほぐして、温まったミルクを少しずつ注いで混ぜていく。
ちょっと紙袋を覗いたら、バゲットが入っていたので少し拝借することにした。三分の一ほど切ってさらに食べやすいように細かく切る。あとはりんごがあったから、それも半分は小さい角切りにし、残りは兎の形にしてから塩水に漬けておいた。
「おっ、すまんなティタ。あいつは寝かせたし、しばらくしたらまた見に行ってやってくれ」
「う、うん…」
「おいおいティタ、そんな心配そうな顔すんなって。多分あいつ、体が慣れてないだけだろ」
「そうならいいけど…あ、ウィル。パン使わせてもらったよ」
「おう、食え食え。また買ってくりゃいいだけだから気にすんな」
そう言ってからりと笑って私の肩をぽんと叩いた。この人はいつもおおらかだな、と少しほっとした。そして、しばらく話をしていたのだけれど、料理ができたそうそう「ここは片付けとくから早く行け」と追い出されたのだった。
スプーンを持って戻ってきた。ノックを二、三度しても静かなのでそっと扉を開けると、体を起こしたままでぼんやりとしているらしかった。ちいさく欠伸をしているのが見える。
「…おかえり」
「た、ただいまー」
意外な言葉に驚いたけれども、まずは食事が先だ。お盆にスプーンを置いて、モードレッドの所に運ぶ。そんなに大きくない器だから、食べ切れるだろう。まだ、ふわふわと暖かな白い湯気が立っている。
「あ、でもベッドの上で食べるのはお行儀悪いか…」
「いい。こぼさないで食べるから」
一回りほど小さな手にスプーンと器を渡すと、もぐもぐと食べ始めた。甘味はほとんど入れていないので、蜂蜜の小瓶を示すととぽとぽかけて楽しそうにしていた。こういう表情は子供らしくて可愛い。
「それも食べていい?」
そう言ってモードレッドはお盆の上のりんごを指差している。いいよ、と頷くと空っぽになった器と交換で、今度はりんごを食べ始めた。
「(何だか無心に食べてるなぁ)」
大きくても小さくても、食べる方はあまり変わらないものなんだな、と一人で感心してしまった。
それにしても、とようやく一息つく。
ゆっくり部屋を見渡すと、シンプルな事この上なかった。テーブルや椅子も必要最低限のものしかない。
「(そう言えば、あれはなんだっけ)」
何度かうなされながらモードレッドは言っていた。クラレンスとは何だろう。人の名前だろうか。武器らしきものもないし、一体どうしているのか。小さいモードレッドに聞いたとしても多分わからないかもしれない。気になるけれど、聞くに聞けないというのは歯がゆいものだ。
「…?ティタ?」
「…はっ、はい!何?!」
「美味しかった。ごちそうさま」
ありがとう、と空になった小皿を渡されて受け取る。お腹いっぱいになったのか、また小さくあくびをしていた。お盆の上に一度置いてから、私は小さなモードレッドのほおに触れた。
「な、な、な、何…?」
「うん、可愛いなって」
「ぼ、僕、男だけど」
私の言葉にどこか膨れた顔をしているけれど、それもまた可愛い。でも、それをそのまま口にしたらきっと怒りそうだ。ごまかすようにニコッと笑うと、ん?と小首を傾げている。軽く撫でてあげると、子猫のように小さく身じろいでいた。
( 午後のまどろみ )
title / By myself.
The drowsiness of the afternoon.
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