帰ってきたら風呂も沸いている。温かいご馳走まで用意してある。以前よりも夫の言うことを甲斐甲斐しく聞く妻はまさに申し分ない働きをしていた。
それなのに風間さんは夫婦らしからぬ点がひとつだけあると不満げに呟いた。

「なにが不満なんですか」

むっとして尋ねてみるが、逆に気づかないのかと言わんばかりに睨まれる。負けじと睨み返すとため息をつかれた。そしてふてくされたように風間は床へ寝転ぶ。急に不安になったのでおそるおそる近くへ寄って呼びかけた。

「風間さん?」
「それだ」
「、え」
「いったい貴様はいつまでその呼び方を続けるつもりだ?」

確かに言われてみれば夫婦の契りを交わしたのにいつまでも風間さんではしっくりこないのも頷ける。
ただわたしはあまりにもその呼び方に慣れていて、気軽に千景と呼ぶには畏れ多い威厳を彼は兼ね揃えていた。

「い、今更じゃないですか」
「貴様も風間なのに納得がいかん」
「うう…!」

だけどどうしても千景と呼ぶには抵抗があった。なにより面と向かっていきなり呼び方を変えるのには恥じらいがある。
いつまでもはっきりしない妻に旦那はイライラしてきたのか強引にその細腕を掴み、胸元に引き寄せた。

「わっ」
「フン、なんとまあ色気のない声よ」

そういいつつも色気のない妻を満足げに風間はしっかと抱きしめる。突然の行動にしばし状況が掴めず呆然としていた妻だが、慌ててその腕から逃れようとするが以前のようにはうまくいかずに無駄な抵抗で終わった。

「観念するがいい、早く呼ばぬと…」
「あっはははは!や、やめっ!」

脇の下をくすぐられてそのくすぐったさにもがく。存外鬼の力とは侮れない、妻と同じくらい細い風間はまったく微動だにしなかった。

「わか、わかりました、千景さん!」
「……よかろう」

ようやく腕から解放されて風間に向き直り、文句のひとつでも言おうと口を開きかけたところで唇に温かいものが不意に触れた。

「ち、千景さん…」
「なんだ?」

すっかり口付けにすべてをもっていかれて恨めしく見ても、風間は意地悪く微笑むばかり。これも惚れた弱みというやつだ。


(091124)

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