強面の紳士は、空港のチケットを一枚手渡して告げた。

「君のためだ」

 彼は一刻も早くヘルサレムズ・ロットを発つようにと付け加えた。ライブラの末端にいながらも、彼、クラウス・V・ラインヘルツを慕っていた私には解雇処分どころかこの世の終わりに聞こえた。
 分からない。彼も私を憎からず思っていたように感じていた。クラウスは無類の紳士であり、その正義と愛は平等に分け与えられるものだ。己惚れていたわけではない。ただ、少しばかりその天秤が自分には多く振り分けられていたように思える。
 秘密結社ライブラとしての彼と私の関係は、上司と部下のそれだったが、プライベートも共にしていた。彼の趣味である園芸を手伝い、植物園に赴いたり、新しい茶葉が入荷されれば一緒に買いに行ったりしていた。昨日だって、彼の興じているプロスフェアーを鑑賞して一日を過ごしたのだ。
 それが突然、ここを離れろと、貴方の傍から離れろという。

「……はい」

 納得がいかないという意に反して、存外簡単に是と、気づけば従っていた。理由は分からないが、彼の言葉は絶対だ。私の為というならばそうに違いない。すぐに支度を済ませ、一時間後には飛行機に乗っていた。


 呆然と、窓の外を眺めていた。空から見えるHLは思いのほか小さい。つい先ほどまではあそこに自分も属していたのに。これから私はどこへ向かうというのだろう。感傷的になっていた私は自分に迫る脅威に微塵も気づいていなかった。

 飛行機は、そのまま墜落した。

 偶然?そんなわけがない。いくら異界が隣り合わせだとして、三年前の大崩落の影響だとして、飛行機の墜落率の0.0009%が数パーセントあがっていたとして、滅多にないことだ。ああ…実はエイブラハムが乗り合わせていたのかもしれない。それならば納得がいく。
 だが生憎と、この飛行機には一般人しか乗り合わせていなかった。墜落は、第三者によるものだ。血界の眷族、最も厄介な相手である。私は気づけば病院のベッドに横たわっていた。何が起こったのか断片的にしか覚えていない。二日酔いみたいに、思い出そうとするとガンガンと頭が痛くなる。
 スティーブンの長い説明を聞いて、実際に乗り合わせていたザップにより一命をとりとめたことを知った。やはり、偶然などではない。ザップを私につけていたということは、何かしら私の身に何か起きることを想定していてのことだ。

「クラウス、教えて。私の身に、私の周りに何が起きているの?」

 花を持参して見舞いに来たクラウスに、開口一番に尋ねた。彼は非常に困惑した様子であった。ためらい、目を泳がせ、それでも頑固者の彼は口を割らない。

「君を守ろうとした」
「ええ……」
「安全な場所に逃がせば、このHLとの関わりがなくなれば、無事でいられると―――だが、違ったようだ」
「クラウス」

 では、また私をライブラに置いてくれるのか。期待を込めた目で彼を見る。何かを決意した彼の三白眼はいつもより鋭く光っていた。

 病室からしばらくして、とある一室に私は案内された。貴族らしい調度品に囲まれ、天蓋のあるクイーンサイズのベッド、流行りの服を揃えたクローゼット、私と彼しか映らない鏡、窓のない部屋。

「最初からこうすればよかったのだ」

 クラウスの大きな手が、満足げに頬を撫でた。いつも私たちを守ってくれる手。変わらないはずなのに、どこか怖い。

「私の手元から離してはいけなかった。私の見えるところこそ、最も安全で、守れる場所」

 閉じ込められたのだ。彼の大きな手のなかに。日差しさえも遮られた、彼の深い深い懐のなかに。

「君のためだ」

 彼は彼の不変なる真実を告げた。


(150912)

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