※第三者視点


 それは冬の寒い晩、建業に構えたる主、なまえ様の居城にて。今日の宿直(とのい)を任されている私は、庭で奇妙な人影を見ました。一心不乱に両節昆を振るうその姿は、なんと凌統殿ではありませんか。何か狂気に取り憑かれているのではないかと勘ぐってしまうほど、只管に鍛錬をしているようでした。
 私はなんだか空恐ろしくなって、宿直所に慌てて戻ったのです。

「いやさ、そりゃあ凌統殿は死んでも死に切れぬ思いを抱いているだろうよ」

 と語るのは、同僚の男。ここからは他言無用、と大の男が四人揃って、ひそひそ声で話します。

「何せ、凌統殿は主様の勧誘を何度もお受けなさって、とうとう呉から引っこ抜けた豪傑よ。主様も嬉しそうに、直属護衛に引き入れて、身辺の警護をお任せになった。時々は轡を並べて遠出したりサ。てっきり俺ァ、これかと思ったね」

 下卑た笑いで小指を立てる。私はどうにもこの男が好きになれないけれど、こういう耳ざといところは便利である。以前いったいどこでそんなに噂を聞くのだと尋ねたら、抱いた女官がすらすら話してくれるらしい。下半身の緩い男である、とますます軽蔑したものだ。

「それがさ、知ってのとおり凌統殿と主様の間に交わされたのは婚儀じゃねえ。義兄弟だ!ああ、耳を疑ったね。そんで、主様は呉の傘下に入ったけンど、その手引きをした甘寧様とよろしくやっちまった。鈴の甘寧、凌統殿の親の仇さ。主様の神経を疑うけどね、恋ってのは人を狂わせるものだよ。ま、呉から離反してその土地ぶんどっちまったんだから、ちいとばかし常人とはお心が違うのかもしれねえなァ…」

 お互いしみじみとした表情で沈黙してしまうものだから、シンと部屋はますます底冷えしてくる。不意に誰かが小便、と立ち上がったので、それを口実に外を出た。
 吐く息は白く、いよいよもって雪が降りそうだと空を仰いだ。おや、なんだか明るいぞ。そこで私はようやく異変に気づいたのです。轟々と立つ音、赤い炎、焦がれる煙。主様が戦にて使った手法を見たことがあります。火計なのです。

「であえー!であえーー!!」

 口々に眠りこけている兵士供を起こします。まさかこのような要所をいきなり攻め入る輩がいるとは思いませんから、備えはひどいありさまでした。主様を護衛する兵数百人、甘寧様の供が数人。今は、魏との小競り合いが続いていたので、わずかな兵しかこの建業にいなかったのです。ですから、身内の謀反ということは疑いようがありませんでした。

「城を捨てる。すぐに前線へ伝令を送るように。一旦後退をし、彼らと合流を計り、態勢を立て直す」

 主様はすぐに兵を集めて、そう指示なされました。既に武装の身支度は済んでおり、さすがに凛々しいお姿でございました。脇に控える夫の甘寧様も頼もしく、乗り込んできた斥候を一ひねりに倒しておしまいになりました。今思えば、なまえ様と甘寧様、お二人を見たのはこれが最後にございます。
 私は殿(しんがり)につきました。死を賭して抗戦いたしましたが、何分敵の士気は高く、直ぐに主だった武将は首を討ち取られました。指示するべき大将がおらねば烏合の衆、仕方なく彼らに下ることになったのです。

「これらはみな、元を辿れば呉の兵士たちです。再び孫呉に仕えなさい」

 我ら捕虜を集めてそう仰ったのは、行方をくらませていた陸遜様でありました。主様が呉を勝ち得た時に、孫家は南の僻地へ幽閉されました。その際に陸遜様は姿を消したようで、主様が懸命にその消息を辿っていたといいます。孫呉の忠義からこのように事を起こしたのでしょう。私とて命は惜しいもので、有り難くその言葉を受け入れました。
 陸遜様は数日経っても城から動かずに、孫家の皆様が到着されるのをじっと待ちました。なぜなまえ様を追撃しないのでしょう?誰もが不思議に思っていた時です。同僚の男が驚くべき情報を寄越しました。

「どうやらなまえ様はおっちんだらしい」

 そんな、まさか、言葉が出ません。陸遜様は後を追いかけませんでしたし、わずかながらも手勢を率いていたので農民に首を取られるということもないでしょう。

「それがサ、なんと凌統殿が寝返ったらしい。やっこさん、陸遜様と文のやり取りを交わしていたそうな。で、この期に便乗して裏切ったんだろうねえ… なまえ様もまさかあのかわいがっていた義兄弟が、と思ったろうよ。だけンどね、死体がみつからねえのさ。凌統殿はその手で討ち取ることが出来なかったんだと。甘寧様が隠しておしまいになったのサ。甘寧殿も自刃して、その死体は今度長江の河原に晒されるってよ。凌統殿にやられるよりは、自分の手で、と思ったんだろうなァ。なによりなまえ様の首なんざ、俺たちもみたぐねえ。…だが、凌統殿も本当におかわいそうなことで」

 私は何とも言えぬ気持ちであった。
 一度でも主と仰いだお人の訃報に多大な衝撃を受けただけでなく、仲睦まじい夫婦のなれの果て、尊敬する兵(つわもの)の凌統殿の気持ちを察するにあまりある。
 乱世とは斯くも儚きものかと、私は嘆息するのでした。


(130107)

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