※じわり、の続き


「祁山を包囲します」

天啓のように孔明は陣触れを出した。彼の落ち着いた声に皆、整然として行軍を始める。
布陣したところで、孔明は鮮卑の一族へ攪乱攻撃を指示した。その間見事に孔明の神算をもってして祁山を奪ったものの、問題は兵站である。以前の教訓を生かし、木牛を開発したもののやはり長期戦になれば、蜀は撤退せざるえない。それを見越してか、司馬懿はなかなか攻撃をして来なかった。

「司馬懿は動く気配がありませんね」

伯約がため息まじりに崖下を見下ろした。

「おかげでこっちは罵詈雑言の文句を捻り出さなきゃいけないわ」
「真面目に働いて下さい。それはそうと、あれからどうです?」

あれから、とは。勿論密書のことを差しているのだろう。あれから数度に渡って届けられたものの、最近は見ていない。さすがに諦めたのでは、と伯約に問えば、そうですねと実に心のこもっていない返事がした。
嫌な沈黙が降りる。
伯約はしばらくしてからそっと幕舎に戻った。

後日、司馬懿はとうとう痺れを切らして攻撃を仕掛けてきた。しかし、すぐに孔明の鮮やかな戦術によって撃退される。これを受けて司馬懿は消極的になり、いたずらに時が過ぎた。
その内、蜀の陣営に李厳の文が届く。もはや兵站を運搬すること叶わぬという趣旨であった。この為、早々に孔明は陣営を引き払い蜀に戻ることを決断。司馬懿が撤退に際し、追撃をすることを予見してなまえに殿(しんがり)を任せた。

「死を賭して、命を全うします」
「期待していますよ」

丁寧に孔明へ礼を取ってから、なまえは手勢を連れて魏軍が通るであろう道の脇に伏せた。果たして追撃に来た張コウが通りかかる。今が好機と、合図を送り一斉に弓兵で打ちかけた。
そうして残りの部隊で殲滅にかかる。歴戦の勇とはいえ張コウももはや佳境に差し掛かっていた。とうとう馬謖の仇(あれの場合自業自得でもあるが)といえる、張コウを討ち果たしたときである。

「フン…お前がなまえか」

やけに高飛車な男の声が背後から聞こえた。手間取りすぎたのか、魏軍本隊が後ろに迫っていたのだ。

「お前に宛てた文、どれも返事は来なかったようだが。どうだ、今からでも遅くはない。魏に降伏しろ」
「名乗りもせずに無礼な奴。既にお前の配下をこの手にかけているというのに、何を馬鹿な」

勿論名乗らずとも、目の前にいる男が誰かは分かっていた。孔明と対のような羽扇を持つ、魏の軍師司馬懿。司馬懿の言動から、文の添削はおそらく彼が指示したことであろう。そう思うと、対峙するのが少々やり難い。

「落ち行く蜀にいて貴様に何が残る?悪いことは言わん、私の下につけ。貴様の才を思って言うのだ」
「…そのお気持ちは有り難いことだが、そういうわけにもいかない」
「なぜだ?そこにいる姜維という男も魏を裏切った。なまえ、お前が蜀を裏切ったところで誰も責めはしない」
「……伯約…?」

伯約は孔明と共に行ったはずだった。それがどうしているのか。なまえは信じられないような目で、伯約とその部隊を振り返る。彼の瞳は疑いようもなく、敵を見るようであった。

「言っただろう、お前が敵に回るならば……私は本気で討ち取る、と」
「伯約、待って!これはちがっ…」

弁明をする間もなく、伯約の軍は一斉になまえ目掛けて攻撃の構えを取った。問答無用、というわけだろう。
以前から伯約によく思われてはいないと思っていたものの、ここまで実力行使に出られるとは思ってもみなかった。弾かれたようになまえも自身を守るために弓兵へ攻撃準備を命じた。まるでそれを支えるように魏軍も伯約に向けて態勢を整える。

「撃てーー!!」

ここに、司馬懿が思い描いた、蜀の伯約と魏のなまえという構図が完成したのである。結果、魏軍本隊に伯約の小勢では太刀打ちできるはずもなく彼らは撤退した。
そうしてなまえはとうとう魏に下り、五年が経った。

「張コウという惜しい老将を失ったが、なに、なまえを得たことは我々にとって多大な成果だ。フハハハハ」
「……結果的に貴方に仕えることが出来て幸運と言えますが、よくよく考えれば酷い人ですね」
「なんだ、不満があるのか?」
「いいえ」

孔明は第五次北伐、五丈原に散った。かねがね反骨と評された魏延は馬岱に討ち取られたと聞く。もし未だに蜀へ残っていたならば、なまえも同じ道を辿っていたかもしれない。
とどのつまり、司馬懿が指摘したとおりの事態が起こり得た何よりの証拠であろう。孔明と伯約、二人の傑出した天才に埋もれていたなまえは魏にてようやく日の光を浴びた。司馬懿には重用してもらい、実に有意義な日々を送れている。なまえが蜀を攻撃する事が負い目となっていることも司馬懿は察してか、専ら呉を担当していた。

「司馬懿殿、これでも私は感謝しているんですよ」
「……ほう?」
「貴方の下に降る事が出来てよかった、これは嘘偽りのない言葉です」
「…ならばこれからも私の隣で、私に尽くすがいい」
「はい」

照れ隠しのように羽扇で顔を隠した司馬懿の後をなまえはついていく。幸せだ、なまえは心からそう感じた。



(120417)
一応第四次北伐イメージしました
勿論いろいろ間違ってますし、時間軸スルーというひどいありさまです 張コウが老将なら司馬懿おまえもだよ!ていう…

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