02


 書斎の入口で、エドワードは両手で顔を覆っていた。
 不安になり、クラウディアが声を掛けようとする。それよりも一瞬早く、

「……ディディ」

 と、エドワードが呼んだ。

「はい」

 エドワードは顔から手を離し、クラウディアを見た。
 難しい顔をして黙り込んだエドワードを見て、クラウディアが不安そうな顔をした。

「エド様?」
「……いや、大丈夫」

 その不安そうな顔を見て、エドワードは我に返った。
 取り繕うように微笑んで見せる。彼女の顔を曇らせたくはない。

「少し、ぼうっとしてしまった」
「最近、ご公務でお忙しいのでしょう。あまり、ご無理はなさらないで下さいね」

 クラウディアがほっとしたように、笑いかけてくる。
 エドワードは、己に抱いた不安を押し隠して、静かに笑い返して見せた。

                 ◆

 クラウディアと初めて出会った日のことを、エドワードはよく覚えている。
 両親を失い、親戚が皆死んでしまったことで、呪われた家だと白い目で見られ、外が怖くなっていた時。
 そのまま、屋敷に篭っていた頃のこと。そんな春の日の出来事だった。

「クラウディア・レッドフォードと申します」

 セオドアの紹介で出会ったのが、レッドフォード伯爵の一人娘であった。少し癖のある髪と、
 翡翠色の綺麗な目をした少女であった。華奢で色白の彼女は、その低い背丈も相まって、年齢よりも幼く見えた。
 このままでは、公爵家が途絶えてしまう。爵位も剥奪されてしまう。何か大きな後ろ盾を得なければならない。
 セオドアがそう思って、用意してくれた相手だということを、エドワードはすぐに気付いた。
 残された者として、家を守ること。そして、此処まで支えてくれた、クロード達を安心させること。
 それが恩に報いることだと、エドワードはクラウディアとの婚約を決めた。

 クラウディアは、その見かけとは裏腹に、割と気の強い所もある少女であった。
 良く言えば明るく元気で、悪く言えば落ち着きの無い。彼女には、彼女の両親も手を焼いているらしい。

「エド様!」

 その元気の良さに振り回されることも多く、エドワードは辟易としたものだ。
 けれども、明るい笑顔の彼女を見ていると、少しずつエドワードも明るくなれていた。
 そんな気がした。何度も顔を合わせるたびに、エドワードはクラウディアに心を惹かれていたのだ。

 明るく前向きで、暗い闇など押し返してしまうような、その力強い生き様に、エドワードは救われていた。
 だからこそ、いつしか心から彼女を愛し、彼女を守り、支えたいと思うようになっていたのだ。

 エドワードは、クラウディアの笑顔が好きだ。その声が好きだ。風に揺れる、赤茶色の巻き毛が好きだ。

「エド様」

 明るく無邪気に呼びかける時の、その表情や声音が何よりも愛おしかった。

”エド様 ”

 エドワードの目の前に、クラウディアがいる。
 幼い頃とは違う。芯の強さを持ち、明るく筋を通しながらも、落ち着きを手にした、妙齢の女性へと成長した。
 寸胴だった体型はすらりと伸びて、くびれはしなやかに。癖のあった赤茶色の髪はより華やかに。
 翡翠色の瞳は、まるで吸い込まれそうに。

 クラウディア。クロード。アリス。セオドアは、皆こちらを見ている。
 けれども、彼女達が見つめているのは、エドワードではない。エドワードは必死で声を上げる。

――今、君達に声を掛けているのは僕じゃない。

――気付いてくれ。これは僕じゃない。

――ちゃんと僕を見て。僕の声を聞いて。

 エドワードは声を上げながら、それでも一音とも出ていないことに気付く。
 自分の口なのに、放つ言葉は思っていることと、違うことが出ていた。知らない名前や知らない言葉が、次々と紡がれる。
 手足は意思に反して勝手に動く。

――やめてくれ。僕の声で、ディディの名前を呼ばないでくれ。

 クラウディアが、いつも見せてくれる柔らかい微笑みで、こちらを見ている。
 クロードが、いつもと同じように、落ち着いた笑みを浮かべて、こちらを見ている。
 アリスが、いつもと変わらない静かな顔で、こちらを見ている。
 セオドアが、いつものように朗らかに微笑んで、こちらを見ている。

 けれども、誰もエドワードを見ていない。

――僕じゃない。僕じゃないんだ。

 どんどんと、彼女達の姿が遠ざかっていく。エドワードは、自分が深い闇の中へと落ちていることに気付いた。
 クラウディア達のもとへ戻ろうと、闇の中で必死に抗う。闇の中から這い上がろうと、必死にもがく。

 不意にその足を掴まれ、エドワードは一気に闇の中に引き摺り込まれた。見下ろせば、
 とぐろを巻いた黒く巨大な影が、下にいる。そこから伸びた人の腕が、足を掴んでいたのだ。

 その赤い瞳に見つめられ、エドワードは背筋を凍らせた。
 まるで、地獄の底から響くような低い声が、耳に纏わりついてくる。


「                 」



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