01


【The heart of a man−ある青年の心―】
He is not on the side of justice. He has no heart that is not cloudy.
He is not philanthropic. He does not know who he is and suffers.
In agony, little by little, he sank into the darkness.
                        ―――――――――――――

 ディックは、はっと左目を開けた。部屋の中はまだ暗い。
 この日は新月だったこともあり、僅かな明かりも無く、時計台の中はひっそりと闇に包まれている。
 その暗闇の中でも、シェリーが身を起こしていることに、ディックは気付いた。

 同じように身体を起こしたディックは、名前を呼ぼうとして躊躇した。
 シェリーの纏う雰囲気は固く、強張っている。二人で共有している掛布団を、掴む手に力が籠っていた。
 今にも、穴を空けてしまいそうな程、握り締めている。

「……」

 そこで、ディックはまた気付いた。なにか、気配を感じる。薄らとだが、言いようのない不安を駆り立てる、
 そんな魔力を伴っていた。ウィットエッジよりも、もっと先から。
 まるで、無数の蛇が肌を這っているような、そんな悍ましささえ感じてしまう。もしかすると、
 この気配で目を覚ましたのかもしれない。そう思わせる程、不気味な魔力だ。

 シェリーがこちらを向いた。そして、不意に両腕を伸ばして、強く抱き付いてくる。
 唐突なその行動に驚きながら、ディックは静かな声音で問いかけた。

「どうしたの」
「……おまえも、気付いているだろう」
「この魔力の、気配のこと?」

 そう言うと、シェリーは小さく頷いてみせる。
 シェリーはディックを抱き締めながら、以前オズバルドに言われた言葉を思い返していた。
 ある冬の日。彼は突然やってきて、こう言ってきた。

『今度は、死闘なんてものじゃない』
『一方的な虐殺だ』

 ディックの首に回した腕に、自然と力が入った。

 シェリーが体を強張らせていることに、ディックは気が付いていた。

「この魔力の主が、どうしたの」

 そう問えば、シェリーは更に体を密着させてくる。
 何者も恐れず、寄せ付けず、常に自信で満ち溢れている彼女が、何かを恐れている。
 けれども、それは他者に対する怯えではないと、なんとなく理解していた。

「おまえは、あたしが守ってやる」

 シェリーの小さな声が届く。その言葉を聞いたディックは、左目を僅かに見開いた。

――私があなたを守るわ。

 あの柔らかな声音が蘇る。守られてはいけない。守られてしまえば、また……。
 そんな恐れが顔をもたげ、心を黒く塗り潰していく。

「俺は一人でも、戦えるから大丈夫」

 ディックはシェリーの両肩を掴むと、そっと引き剥がした。

「シェリーの手を煩わせるようなことは、絶対にしない」

 その力強く真っ直ぐな言葉は、危うい程の覚悟を滲ませている。シェリーがこちらに手を伸ばし、右頬に触れてくる。
 空っぽの右目を、ほんの少しだけ撫でた。赤い唇が音を紡ぐ。

「勇ましいことと無謀は違う。測る相手を違えるなよ」



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