06
「やあ、ディディ」
噴水に腰を下ろして、静かな庭園を眺めていたクラウディアは、その声にはっと立ち上がる。
振り向けば、エドワードが立っていた。「ああ!」と声を上げて、クラウディアは噴水を迂回しながら、
エドワードのもとへ駆け寄った。赤茶色の巻き毛が、ふんわりと揺れる。
エドワードが屋敷に戻ってきたのは、数日前だ。会談の帰りに、魔物に襲われたという。
馬も御者も、護衛をしていた魔物ハンター達も殺されてしまったが、運良くエドワードとクロードは生き延びて、
屋敷に戻ってきた。外傷は無かったが、大事を取って、エドワードはしばらく療養していたのだ。
「エド様、もう歩かれても大丈夫ですの?」
「君には、心配を掛けてしまったね。もう大丈夫だよ」
穏やかな微笑を湛えて答えるエドワードに、クラウディアはほっとした顔をする。
しかし、すぐにまた不安そうに眉を下げた。悲しそうな色を宿す、翡翠色の瞳を見て、
エドワードが小首を傾げた。金糸のような髪がさらりと踊る。
「どうしたんだい?」
「エド様。……エド様のご両親は、十年……いえ、もう十一年前に魔物に襲われて、命を落としましたわ。
それから、エミリアさんに、レオン叔父様やウィルさん、ダイナさん。シンシア叔母様……
ホーストン家の方々が、一人残らず亡くなられて、」
その唇が、小刻みに震えている。
「遂には、エド様まで魔物の毒牙に襲われて……私は、怖いのです」
そっと、まるで小動物を掴むような弱い力で、クラウディアはエドワードの服の袖を掴む。
「いつか、エド様が帰ってこなくなるのではないかと……そう思うと、怖くて、怖くて堪らないのです」
「……ディディ」
エドワードは愛おしそうに目を細めると、クラウディアの小さな身体を抱き締めた。
力強く抱き締める。
「僕のことを、心配してくれるんだね」
クラウディアの赤茶色の髪を、エドワードは優しく撫でた。
クラウディアもまた、彼の愛情に応えるように、大きな背中に腕を回した。
「大丈夫。君を残して、僕はいなくなったりしない。僕はこれからも、君と共に在りたい」
王都からの帰りの記憶が、酷く曖昧でぼんやりしている。
魔物に遭遇し、多くの人が命を落としてしまったが、幸いエドワード自身と、付き従っていたクロードは、怪我一つ無かった。
――けれど、何か大事なことを忘れている気がする。
まるで濃霧のように、記憶は霞んでよく思い出せない。
とても恐ろしいことが、起こっていた気がする。そして、以前よりも更に、自分の中に違和感を覚えていた。
「ディディ」
名前を呼んで、エドワードはクラウディアから見を離した。
ズボンのポケットから、小さな銀色の鍵を取り出すと、それをクラウディアに握らせた。
「よく聞いて、ディディ。この先、もし僕が僕でなくなった時。僕の寝室のテーブルを見て欲しい。
そこに、一冊の手帳が仕舞ってある。それを、よく読んで欲しい」
そう言うと、クラウディアは困惑したような顔をする。
「エド様。それは一体、どういう……あら」
クラウディアの声につられて、エドワードは振り向いた。
ニコニコと笑みを浮かべている、クロードがいる。クロードは深く腰を折った。
「昼食の準備が整いました」
「ありがとう、クロード。エド様、ランチですって」
クラウディアが微笑んだ。
「行きましょう」
「あ、ああ」
頷いたエドワードは、なんとなくもう一度クロードを見た。
そこで、クロードの浮かべる笑顔に、一瞬だけ奇妙な感覚を抱いた。
しかし、それも一瞬のことで、すぐに分からなくなる。
いつもと何も変わらない。穏やかな日常だ。
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