02


「ラスト様。此処にいる者は皆、あなた様に忠誠を誓う魔物ばかりです。
私もまた、ラスト様の為ならば命をも捧げる覚悟でおります」

 クロードの言葉を聞きながら、アベリーは心の中で舌を出す。
 彼に忠誠を誓った覚えは、一度も無い。退屈凌ぎの為、自分よりも強い魔物から身を守る為。
 ラストのもとへ身を寄せただけなのだ。命を捧げるつもりなんて、毛頭ない。

 ふん。と、アベリーが鼻を鳴らした時。不意に、強風が吹き付けた。
 凄まじい速さで、何かが近付いてくるのが分かった。激しく煽られる髪を抑え、眉を顰めながら、
 アベリーが空を見上げた。大きな、黒に近い紫色の翼を持った魔物が近付いてくる。
 その翼を折り畳みながら、彼は地に足を付けた。金色の瞳で睨むように見つめるのは、
 アベリーでもクロードでもなく、涼しい顔をして笑うラストの顔だ。

「久しいな、ヒースコート。いずれ、来るとは予想してはいたが、思ったよりも早かったな」

 ラストが目を向けているのは、ヒースコートの左腕だ。
 ヒースコートは、左手を強く握り締める。その腕の付け根から、黒い靄が溢れ出している。

「急に腕が疼き始めてね……そうしたら、アンタが出てきてるじゃない?」

 ヒースコートは小さく微笑んだ。その笑みに、ラストも微笑を浮かべて返す。

「約束なら、もう果たしたもの。変な細工される前に、魔力結晶を返そうと思ってね」
「それは、おまえに対する報酬だ。受け取っておくといい」

 その言葉に、ヒースコートは小さく笑う。

「何を企んでいるのか、教えてくれる?」
「働きに対し、相応の報酬を与えるのは、当然のことだろう。何を警戒している」
「……」

 その鋭い威光を放つ蒼い瞳に、ヒースコートは怖気を感じた。
 気付けば、濃霧のような魔力が渦を巻いて、周囲に満ちている。それはさながら、とぐろを巻いた巨大な蛇のようだ。

「敵を追い払ったくらいで、欠片とはいえ、魔力結晶を与えるなんて、大きすぎる報酬だと思ってね」

 そう答えれば、ラストは低い声で笑った。

「邪推深いな、ヒースコート。しかし、そうでなくては魔将になど登り詰められないか」
「……ごめんなさいね、アタシ、長話は好きじゃないの。アタシに何を求めている」

 ヒースコートが問いかけると、ラストは笑った。
 それから、その端麗な顔を一気に近付けてくる。薄く開いた口から、先端が二つに裂けた舌が覗いている。

「ヒースコート。俺のもとで、働く気はないか?」

 その唇から出てきた言葉に、ヒースコートは不愉快そうに顔を歪める。
 ラストから距離を取って、手を大袈裟に振った。

「は? 冗談でしょ。このアタシが、誰かの上に立つならまだしも、下に付くなんて、有り得ないわ」

 そう言えば、ラストは悲しそうに顔を歪めた。右手で顔を抑え、大きく肩を落とす。
 わざとらしい程に、大きな溜息を吐いた。

「そうか。残念だ」
「……腕は返すわ。これ以上、下手に関わりたくないもの」

 ラストの足元に、魔力結晶の宿った怪人鳥の腕が投げ捨てられた。
 もともと借り物の腕だった。引き千切った所で、ヒースコートに痛みはない。
 アタシの用はもう終わったと言うように、ヒースコートは、今にも大空へ羽撃たこうとしていた。
 その背中に、クロードの声が届く。

「ヒースコート様、どうかお早めにお帰り下さいませ。
あなた様が離れている間に、エルダ様が危険に晒されているやもしれません」

 クロードの言葉を聞いた途端、ヒースコートは全身の羽毛を逆立てた。
 雷速という通り名に違わぬ素早さで、クロードの元へ向かったと同時に、彼の胸倉を掴み上げる。

「アンタ……エルダに何をした」

 唸るような声で問い詰めるヒースコートの手を、ゆっくりと外しながら、
 クロードはいつも通り、貼り付けたような笑みを浮かべて、落ち着いた声で言った。

「私は何もしておりません。エルダ様が危ないかもしれないと、そう申し上げただけでございます」

 底の見えない、その貼り付けた仮面のような笑みが、ヒースコートの心を逆撫でする。

「もし、エルダの身に傷一つ、羽根一枚失うようなことがあれば……」
「まあ落ち着け、ヒースコート」

 凛とした声が割って入る。

「クロードの言葉は、ただの例えだろう」

 赤い瞳で睨み付けると、ラストが唇に微笑を浮かべながら、こちらを見つめていた。

「だが、今回のようにおまえが単独で動いている間、その娘はいつも一人だったんだろう?
それじゃあおまえも、些細なことで身を案じるのは無理もない。ヒースコート」

 ラストはその端麗な顔に、ゆっくりと笑みを浮かべてみせた。

「どうだ。娘の安全を守る代わりに、おまえ、俺の下に付かないか?」

 それはまさしく、狡猾な蛇の冷笑だった。



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