03


 その夜。
 アリスは、クラウディアの眠る寝室の扉を、そっと閉めた。
 臙脂色の絨毯が敷かれた廊下の壁は、床から十五センチの高さまでは木で出来ており、
 そこから天井までの土壁は、上品に白く塗られている。

 その廊下を、ランタンの頼りない橙の灯りで照らしながら、アリスは足音一つ立てずに歩いていた。
 すると、暗がりの向こうから誰かが歩いてくる音が聞こえてきて、アリスはゆっくりと足を止めた。
 暗い闇の中で、ランタンの灯りに照らされて浮かび上がってきたのは、クロードだった。
 彼はこちらを見ると、にっこりとした微笑を浮かべてくる。

「ご苦労様です、アリスさん」
「……」
「奥様はご就寝なされたようですね。階下の施錠確認は終了しております。
ですから、外出される場合は、またしっかりと、鍵の施錠を徹底してくださいね」

 そう言いながら、クロードが背中に隠していた手を差し出してくる。その手に持っているのは鍵束で、
 銅色のリングに幾つもの鍵がぶら下がっている。アリスは白い手を伸ばして、クロードから鍵束を受け取った。

「それでは、失礼します」

 最後にもう一度微笑んでから、エドワードの寝所へ向かうクロードを見送り、
 アリスは再び廊下を歩き出した。階段を降りて中通路を渡り、別棟へと向かう。
 この棟は使用人の部屋が並んでおり、その中でも一番良い部屋が、クロードのものだ。
 その次に良い部屋がアリスには与えられており、下級女中達は、数人で一部屋を使っているが、
 アリスは此処に来た時から、所謂“特別待遇”であった。それ故、他の使用人から白い目で見られることが多かったが、
 彼女はそのことを気にすることはない。そもそも、そうした感情や他人の目というものに対し、
 アリスは酷く淡白で、まるで彼女達のことなど、眼中に無いようだった。

 アリスの部屋の中にあるのは、くすんだ銅色の縁取りをされた、実にシンプルな姿見と、
 そのすぐ傍に本当に小さな机が一つ。その足元に、小さなトランクがあるだけだ。寝具の類はなく、
 人が生活しているとはおよそ思えない。アリスは暗い鏡に映る、自分の姿を確認する。髪紐を解けば、
 星屑のような銀色の髪が、パサリと踊って肩に落ちた。それを今度は、器用にシニヨンへと纏めていく。


 町の中には、外灯が一定の間隔を開けて並んでおり、その白い光に群がるように、
 蛾が何匹も飛んでいる。石畳の上を、屋敷をそっと出てきたアリスが歩いている。踝まで隠す黒いロングスカートに、
 頭には黒いボンネット帽を被っている。黒いレースやリボンのついたそれは、彼女の銀色の髪を隠していた。
 茶色のトランクを両手で持つアリスが向かっているのは、ベクス森林と呼ばれる場所だった。
 リグスファイヴ邸の、更に北部へ徒歩十数分の位置にある大きな森だ。
 この森を超えた先は隣国との国境線代わりとなる、ランド川が流れている。

 閑静なスタンフィールドの町の中には、石畳を踏むアリスの靴の音だけが響いている。
 この地域を治めているエドワードの手腕によるものか、魔物の襲撃こそあれ、治安自体は良い方だ。
 アリスは誰ともすれ違うことなく、ベクス森林へとやってきた。藍色の空に浮かぶ月は雲に隠れ、森は更に暗く、木々は黒く染まっていた。
 アリスが左手に持つカンテラの灯りで森を照らしているが、一メートル先は、すぐに闇に染まっている。
 ミミズクや梟のような鳥の鳴き声が、森の中にこだましていた。




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