05


 ティナの紫色の瞳が、小さく煌めいた。

「グール、の、むれ、が、ごらくがい、で、あばれている、ですの」
屍食鬼グールだって……?」

 リアトリスは思考を巡らせる。屍食鬼は、その言葉通り、死体を貪る魔物だ。
 その性質上、陽があるうちは現れず、薄暗い洞窟や茂みの中で眠っている。陽が落ちると同時に目を覚まし、
 死体を探して周囲を飛び交う魔物だった。昼間のうちに、しかも生きている人間の多い町に、降り立つなど前代未聞だった。

「抗争っつったな……一方が屍食鬼として……もう一方は、なんだ……魔眼狼か?」

 ティナは首を横に振る。

「ちがう、ですの。あのね、いぜんのまもの、って、いっていた、ですのよ」
「以前の魔物?」

 訝しげに眉を潜めたリアトリスに、ティナが告げる。

「ひとの、すがた、した、まもの、って、いっていた、ですの」
「人の姿……」

 ティナの言葉を繰り返し呟いたリアトリスは、「まさか」と背筋に冷や汗を掻く。心臓が嫌な音を立てて、
 軋むように痛んだ。顔を歪めるリアトリスの心境にも気付かず、ティナは聞いた通りの言葉を紡ぐ。

「そうそうに、くじょ、する、まちから、まもの、せんめつ、する。ざんりゅう、していた、
せんとう、ぶたい、ゆうせんてきに、ごらくがい……」
「ティナ……!」

 リアトリスが、苦しげに体を動かす。名前を呼ばれたティナが、目をパチパチとさせる前で、
 リアトリスはゆっくりと、ゆっくりと身を起こした。ただそれだけの動きでも、全身が酷く重たい。
 金色の髪が、パサリと垂れ落ちる。疲労した呼吸を繰り返しながらも、リアトリスはまっすぐティナを見た。

「急ぐぞ」
「どこに、ですの?」

 ティナが、またゆっくりと瞬きをする。リアトリスはベッドから抜け出そうとしていた。

「娯楽外だ……ディックが殺されちまう……っ」


                    ◆


 地面に落ちた有翼種の魔物は、魔力結晶を残して塵となって消えていく。
 何十体、何百体斬り斃してきただろう。それでも、ディックは疲労した素振りも見せずに立っていた。
 元々赤かった髪や顔は、返り血を浴びて、悍しい色に染まっている。

 何の音も聞こえない。自分の呼吸と“敵”の悲鳴しか、耳に入ってこない。
 頭の中は、不思議とすっきりしており、シェリーの声だけが、繰り返し響いている。

『あたし以外は、皆、敵なんだ……』

 目の前にいるもの全てが、敵なのだと思った。
 彼女がそう言ったのだから、そうなのだろうと納得する。

 魔剣を振るうたび、ディックは力が湧いてくるような気がした。肉を断つその感覚が手によく馴染む。
 魔物が咆哮しながら、飛びかかってくるのを、ディックは軽々と避ける。避けるついでに、剣を薙いで斬り捨てた。
 周囲に散らばる魔力結晶には目も呉れず、ひたすら眼前の敵を消していく。

『あたし以外は、皆、敵だ』

 敵は排除しなければならない。そうでなければ、シェリーの隣にいられない。
 敵を殺さなければ、弱い奴だと思われる。弱ければシェリーの傍にいられない。
 シェリーの傍にいたい。

 ディックの中は、今はシェリーのことだけだった。アレクシアを失い、シェリーまで失いたくはなかった。
 喪失の恐れが、彼の闘争心を駆り立てる。『敵』を斬り捨てるたび、倒すたびに、ディックは更に敵を求めた。
 もっと、もっと、と欲深くなる。『敵』を全員殺せば、シェリーの傍にい続けることが出来る。
 そんな気持ちが、湧き上がって止まらない。

『あたしにはおまえが必要だ』

 あの艶かしい言葉が、まるで麻薬のように心を支配する。

 それと同時に、湧き上がって止まらないこの感覚に、ディックは既視感を覚えた。
 どこで感じたことだったか、少し考えて、あの村で感じたものだと思い出す。

 群がる魔物の最後の一体を塵に変えた時。ディックの耳は、幾つもの足音を聞いた。
 静かに、血潮のように赤く染まった左目を向ける。
 以前、この町を訪れた時よりも、もっと多くの魔物ハンターがいた。同様に、以前よりも、
 もっと強く向けられる、敵意と殺意を感じ取った。ライフルを構え、全員がこちらを睨みつけている。
 ぐるりと周囲を見渡せば、狭い路地にも何人か潜んでいるらしい。じりじりと、こちらの様子を伺いながら、
 発砲するタイミングを見計らっている。ディックは無感情な赤い瞳で、彼らを一瞥した。
 こちらを見る目に宿るのは、畏怖、害心、憎悪、奇異……様々な感情が渦巻いている。
 そうした視線は嫌いだ。

『殺せばいいのさ』

 くすぐったい程の優しい声が、耳に纏わり付いてくる。
 ああ、そうだ。と、ディックは魔剣を振り上げた。”敵”は殺さなければ。

 隊長格らしい男が、何か叫んでいる。その腕には、いつの間にか少年を抱き抱えていた。
 しかし、それに構うこともなく、ディックは強く石畳を蹴り飛ばした。ものの数秒で、男の眼前に差し迫る。
 男が目を見開き、小さく呻き声を漏らしたのを聞いた。魔物の血を浴びても尚、赤い魔剣の輝きは損なわれない。
 それどころか、尚の事美しく輝いている。ディックは握り締めた魔剣を、一切の躊躇もなく、
 男に向けて振り下ろした。男の顔に、一瞬にして恐れの色が浮かび上がる。

『許してくれ!』

 命乞いをする男の顔が、目の前の男と重なり、冷たい声を聞いた。

――また、殺すの?

 心臓が嫌な音を立てて軋んだ。ディックが振り下ろした魔剣は、男の頭上で止まる。
 その刀身が、小刻みに震えていた。急速に、心を支配していた敵愾心や闘争心が、消えていく。
 油の切れたブリキのように、ディックはゆっくりと首を動かす。ライフルを構える魔物ハンター達に混じって、
 アレクシアが立っていた。翡翠色の瞳で、じっとりとこちらを睨めつけている。





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