03


 岩山の大きな穴の中に、静かになった獲物を、ヒースコートは担ぎ込む。
 この穴に入ることが出来るのは、群れ長の彼と彼の家族だけであった。その洞窟の深奥にある、
 高台になっている岩の上には獣の皮が敷かれている。ヒースコートはそこに腰を下ろすと、小さく息を吐いた。

「……ヒース様……」

 声を掛けてきたのは、ヴィヴィアンだ。彼女はヒースコートの正室だった。群れ長と番になれるのは、
 同性の怪人鳥達の中で、最も強い者が選ばれる。ヴィヴィアンは、たっぷりとした緑髪を揺らしながら、
 ヒースコートに近付いてくる。

「狩りに出ていたの?」
「うん。この間生まれた子も、もう飛べるくらいには成長したから、手本を見せないといけないでしょ」
「でも、わざわざヒース様が自ら、出なくても……無理をしたんでしょ。顔色が悪いわ」

 ヴィヴィアンが、そっと頬に手を当ててくる。その手を外しながら、ヒースコートは小さく笑って見せた。

「確かに、完全には抜けてはいない。でも、ずっと篭っていたら、飛び方も戦い方も、
狩りだって出来なくなるでしょ。それに、周りに示しが付かないしね」

 そこでヒースコートは、外へ繋がる穴を見る。
 ゆっくりと、身体を労わるように立ち上がったのを見て、ヴィヴィアンが不安そうな顔をした。

「ヒース様、……また出掛けるの?」
「すぐ戻ってくるから」

 最後に軽くヴィヴィアンのたっぷりとした髪を撫でてから、ヒースコートは巣穴を出た。
 周りの岩山に空いた穴は、其々餌の保管庫や、仲間の怪人鳥ハーピーの巣穴だ。
 鳥足で岩を蹴り飛ばすと、ヒースコートは腕と背中の翼を羽ばたかせ、空を飛んだ。

 凄まじい勢いで岩山の麓まで、降り立ったヒースコートは、そこに立っていた少女を見た。
 彼女はこちらを見ると、無邪気な笑みを浮かべ、その場には似つかわしくないピンクのドレスの裾を持ち、深く腰を折る。

「こんばんは。魔将、ヒースコート様」
「見かけない顔だわね。こんな怪人鳥ハーピーの巣窟に、
お嬢ちゃん一人で何の用かしら」
「近くに来たので、挨拶しに来たんですぅ。魔将であらせられる、ヒースコート様を無視して、
岩山を通り過ぎる程、わたし失礼じゃない子でしょぉ?」
「アンタとは初対面だから、んなこと知らないけどね」

 切り捨てるように言うヒースコートに、少女は「うふふっ」と肩を揺らして笑った。

「ヒースコート様ってば、冷たい言い方ですぅ」
「悪いわね。アタシ、誰彼構わず優しくなんてしないのよ」
「お気になさらずですぅ」

 どこまでも、少女は無邪気に微笑んでいる。

「今、この岩山に近付くのは危険だと、誰かに教わらなかったのなら、
チャンスを上げる。今すぐ立ち退きなさい」

 そう言うと、少女は黄色い目を細めて微笑んだ。

「そういうわけにも、いかないんですよぉ」

 今度はヒースコートが微笑んだ。聞き分けの無い子供を、激しく叱る前のような柔和な顔だ。
 その左腕に、音を立てて茶色い鱗が浮かび上がる。瞬く間に、猛禽類のような足へと変わった。
 黒く太い爪が、鋭い光を放つ。

「アタシが笑っているうちに、言うこと聞きなさいね」

 ヒースコートの声が低くなる。

「今すぐ帰って頂戴」
「それは無理ですぅ」

 その途端、ヒースコートの姿が消え失せ、一瞬で少女へと詰め寄った。
 それまで、無邪気に微笑んでいた少女が、目を開けてヒースコートを見つめていた。
 ヒースコートが振り上げた、猛禽類の足のような左手が、少女目掛けて振り翳される。
 けれども、少女はまたすぐに微笑んだ。太く大きな蔓が地面を突き破って、ヒースコートの前に立ち塞がる。
 ヒースコートは、すぐさまその蔓を引き裂いた。

「この程度で、アタシが怯むとでも思ってんのかしら。
だったら、可哀想なくらいに、アンタの頭は、綺麗なお花畑なのね」
「そうなんですよぉ」

 少女の鮮やかな緑髪が、意思を得たように動き出す。長く伸び始めたその髪は、まるで鞭のようなしなやかさで、
 叩き付けてくる。やがて、それはいつしか太い蔓へと変わっていた。燕のような身のこなしで、
 その蔓の攻撃を避けたヒースコートは、勢い良く蔓を切り裂いた。
 途端、その切り口から濃紫色の煙が吹き出してくる。僅かに眉を潜めたヒースコートは、すぐさま上空へと飛ぶ。

「アンタ、小娘にしては厄介な物持ってるのね」
「可憐な花には棘があるし、可愛い子には毒があるものなんですよぅ。
シルヴィお姉さまの受け売りですけどぉ」

 濃紫色の煙が、地上に充満している。ヒースコートは頭上を見上げた。
 巣穴までは大丈夫だと思うが、この毒煙が上に広がるのだけは、防がなくてはならない。
 此処から一番近い巣穴には、まだ二ヶ月の子供達がいる。

「公爵様の言った通りですぅ。この時期、怪人鳥ハーピーは繁殖期に入るから、
 どうしたって子供を優先に考えてしまうんですねぇ。だから今の一瞬、ヒースコート様は、
わたしを殺すことよりも、子供さんのことを考えたんでしょぉ」

 この程度の毒煙は、ヒースコートには影響がない。そのまま突っ切って、彼女を引き裂くことなど造作も無かった。
 しかし、幼い子供であればこの毒煙は、危険極まりないものだ。

「……公爵様ですって?」
「はあい、公爵様がお仕事くれたんですぅ。普段なら、子供さんもある程度自立しているし、
戦う力だってそこそこついてますぅ。でもぉ、まだ二ヶ月なら狩りに出始めたばかりで、
他の魔物からも人間からも、大人が守る時期でしょう?」

 ヒースコートは唇を釣り上げる。

「あらまあ。アタシらのこと、よく勉強してるみたいじゃないの。それも、その”公爵様”からのお言葉かしら?」
「そうですよぉ。公爵様、とっても物知りなんですぅ」

 少女は毒煙の中でも、変わらない笑顔を浮かべていた。

「だからぁ、力の弱いわたしでも、ちゃんとあなたの足を引き止められる話し方と、戦い方を教えてくれたんですよぉ」

 その言葉に、ヒースコートは少女の意図に気付いた。
 翼を羽ばたかせ、雷鳴の如く空へと飛び上がった。風を切り、あっという間に見えなくなるヒースコートを見て、
 少女は「あらぁ」と両手を口に当てた。

「流石、最速のヒースコート様ですぅ」

                   ◆

 凄まじい速度で、近付くにつれて、竜巻のように渦巻く風が、周囲を囲っていることに気付いた。
 その風の渦から、微かに漂ってくる血生臭い匂いに、ヒースコートは顔を顰める。風の渦を突き破り、
 岩山の頂上付近へと舞い戻ったヒースコートは、そこに誰の姿も無いことを知った。
 使役している鳥の魔物が、何羽か切り裂かれて、転がっているだけだ。見覚えのある色の羽が、
 血に塗れて激しく散らばっている。砕けた卵もあった。

「敢えて、あの小娘の気配をアタシに気付かせて、毒煙でアタシの嗅覚を封じ、
アタシがあの小娘に気を取られている間に、アンタがアタシの仲間を手に掛けた。それで、だいたい合っているかしら」

 金色の瞳が、鋭い眼光を放つ。針のような鋭い視線に、

「お見事ですわ」

 と、その女は手を打った。ヒースコートの金色の瞳が、じわじわと血潮のように赤く染まっていく。
 羽毛も髪も総毛立ち、女を睨みながら、一歩ずつ近付いていく。

「ねえ、アンタ。この、魔将ヒースコートに喧嘩を売った、その落とし前。
ちゃんと考えた?」
「勿論。このような真似をしたあたくしを、あなたが許さないということは、
きちんと承知しておりますわ」
「分かっていて、そうしたのなら、清々しい程に狂った奴だこと。
アンタ、八つ裂きだけじゃすまないよ」

 女はクスッと笑う。

「いくら最速とはいえ、片腕だけで、あたくしに挑むおつもりですの?」
「アタシはこの片腕の状態で、魔将に上り詰めたし、この群れを統率してきたのよ。
あまり、見くびってもらっちゃ困るんだけど」
「数百年間、群れ長の地位を守り抜いているのは、素晴らしいと思いますわ。
けれど、魔将になったのは、もう随分と大昔のことでしょう。戦いに明け暮れるわけでもなく、
群れの存続を第一に考える怪人鳥ハーピーですし、あまり驕り高ぶる態度は、
良くないと思いますの。それに、群れの危機に、気付けなかったあなたにも、非があるのではなくて?」

 するとヒースコートは、瞬く間に女へと距離を詰める。
 振るい上げた、猛禽類の足のような左手を、女に向かって振り下ろす。女は手にした扇子で、その爪を防いだ。
 けれども、その凄まじい勢いで、扇子が手から離れてしまう。そのまま、ヒースコートは女の腕を切り裂いた。
 皮膚が引き裂かれ、血液やピンク色の真皮だけではなく、骨が覗いている。皮一枚で繋がった腕が、ぶらぶらと揺れた。

「そうね。気付くことが出来なかったわ。アンタが作った風の壁で、
声や音が阻まれてしまっていたからね」
「あら。あたくしの力を、そこまで買い被って下さるなんて」
「……そこに直りなさい。次は左腕を切り裂いてあげる」
「ご遠慮致しますわ。あたくしには、まだやるべきことがありますもの」

 女が手を伸ばすと、弾いた扇子が彼女の手に飛んでくる。
 それを受け止め、女はヒースコートに向けて、扇子を薙いだ。途端に、凄まじい突風が吹きつけ、
 ヒースコートは目を細める。その視界の中で、女が白い風の渦へと消えていくのが見える。

「待ちな!」

 一歩踏み出したヒースコートは、更に生まれた強力な風圧に阻まれた。
 さっきの壁よりも、もっと強い風圧で、近付くことさえ儘ならない。
 岩が削り取られ、羽が舞い散るその場に立っていたヒースコートは、静かになったその場で、ふと泣き声を聞く。
 その声を探り当て、崩落しかけた巣穴の中に、たった一人。子供がいた。

「ヒース様!」

 泣きながら羽ばたいてきたのはエルダだった。二か月前に還った子供の中でも、
 最も小柄で飛び方もおぼつかない子だ。それ故に、今日の狩りには同行させなかった。
 娘が泣きながら、しがみついてくるのを、ヒースコートは左手で受け入れる。

「エルダ!」

 エルダは鼻を啜った。

「ヴィヴィアン達はどうしたの」
「あの魔物が来て、次々と殺されちゃって……ヴィヴィアン様は他のみんなを連れて、南に飛んでいったの」

 嗚咽混じりで話すエルダは、小さく震えている。

「だけどあの魔物に、遅い人から殺されていっちゃった。エルダは、飛べなかったから、隠れていたの」

 あのレベルの魔物であれば、隠れていようと見つけ出して、八つ裂きにすることだって出来た筈だ。
 敢えて見逃したのだろう。殺すまでもないと思ったのか、他に考えがあるのかは、分からないが。

「そう。エルダ、他の連中は南に飛んで行ったのね」
「ヒース様……」
「大丈夫。ヴィヴィアンは賢いから、群れの全滅を防ぐ為に此処を捨てたのよ。
南に向かったのなら、きっとドルズブラの岩山に向かったんだわ」

 エルダの頭をとんとんと叩き、ヒースコートは鋭い眼差しで考えに耽る。
 あの小娘が口にした公爵について、調べる必要がありそうだ。



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